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メッセージ - 黙示録は恐るべき書であるか?(黙示録1:4-8)

黙示録は恐るべき書であるか?(黙示録1:4-8)

カテゴリ : 
礼拝メッセージ説教音声配信 » 講解説教(新約) » 黙示録(2回目)
執筆 : 
pastor 2016-3-19 18:08

黙示録は恐るべき書であるか?(黙示録1:4-8)
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この書・黙示録の出所元は、神であり、この書が与えられた目的は、キリストのしもべ達(すなわち、私達も含めたイエスキリストを信じる全時代・全民族・全国語の聖徒達)に対して、すぐにでも起こるべき事を開示するために書かれたものであり、そしてまた、この書は集会の中で朗読されるのを前提とした書かれ方である事が、1章1節から3節までの所で分かる。
主はこの書の中で、「耳のある者は、御霊が諸教会に言うことを聞くがよい。」と、7回も言われた。
そうであるからには、黙示録という書は、全時代・全人類の人が耳を傾けるべき書であるのだ。

『ヨハネからアジヤにある七つの教会へ。今いまし、昔いまし、やがてきたるべきかたから、また、その御座の前にある七つの霊から、』(黙示録1:4)
『今いまし、昔いまし、やがてきたるべき者、全能者にして主なる神が仰せになる、「わたしはアルパであり、オメガである」。』(黙示録1:8)
アルファは、ギリシヤ語アルファベットの最初の語であり、オメガは最後の語である。
つまり主イエスキリストは、昔も今も、これから後も、全「時」を超越しておられる御方であり、また、空間も超越しておられる御方である事が宣言されている。
全てのものは「ことば」によって造られており、そして主キリストは「ことば」のはじめなる御方、終わりなる御方、そして、永遠なる御方である。

この書の最初期の段階で、キリストの時空超越性が宣言されているが、同じように、この書を読んで行くに際しても、時間的・空間的概念に囚われてはならないのだ。
もしこの書を、普通の書のように、順番どおり時系列そのままで読み解いていこうとするなら、途中で混乱を来してしまう事は必至だろう。
なにしろ、ある時は太古の事が記されているかと思えば、突然、未来起こるであろう事に話が移ったり、また、ある時所では地上の事が記されているかと思えば、突然、天上の事に話題が移ったりするのだから。
だからこの書を読み進めて行く場合は、この記事は昔の事を言っているのか、今の事を言っているのか、未来の事なのか、あるいは、地上の事を言っているのか、それとも天上の事を言っているのか、といった事を、常に注意しておく必要がある。

『また、忠実な証人、死人の中から最初に生れた者、地上の諸王の支配者であるイエス・キリストから、恵みと平安とが、あなたがたにあるように。わたしたちを愛し、その血によってわたしたちを罪から解放し、わたしたちを、その父なる神のために、御国の民とし、祭司として下さったかたに、世々限りなく栄光と権力とがあるように、アァメン。』(黙示録1:5-6)
ヨハネはここで、最初の祝祷をしているが、祝福の源なる御方は、誰であるか。
それは、「忠実な証人、死人の中から最初に生れた者、地上の諸王の支配者であるイエス・キリスト」である。
そう、イエス・キリストは、忠実な証人である。
彼は、父のふところにおられたひとり子なる神であり、その彼が、地上に降りて来られ、神を証したのだ。(ヨハネ1:18)

また彼は、死人の中から最初に生まれたお方、いわば長男である。
最初の人はアダムであるが、彼は死を全人類にもたらしたゆえ、彼の子孫である人は皆、死と呪いの「負債」の中に生きる以外にない。
しかし、最後のアダムであるキリストは、生かす霊となられた。(1コリント15:45)
キリストは私達をこよなく愛され、罪の中に死んでいた私達を生かすために、十字架上で血を流して下さり、『その血によってわたしたちを罪から解放し、わたしたちを、その父なる神のために、御国の民とし、祭司として下さった。』(黙示録1:6)

私達は、キリストにあって、王とされ、祭司とされた・・・なんという素晴らしい特権であろう!
この事は、次の御言葉をもっても保証されている。
『あなたがたは、選ばれた種族、祭司の国、聖なる国民、神につける民である。それによって、暗やみから驚くべきみ光に招き入れて下さったかたのみわざを、あなたがたが語り伝えるためである。あなたがたは、以前は神の民でなかったが、いまは神の民であり、以前は、あわれみを受けたことのない者であったが、いまは、あわれみを受けた者となっている。』(1ペテロ2:9-10)
確かに私達には、キリストにあって、王族の祭司としての素晴らしい特権が与えられてはいるが、同時に、そのための務めや責任、そして、それに相応しい立ち居振る舞いも求められている事を、忘れてはならない。

『見よ、彼は、雲に乗ってこられる。すべての人の目、ことに、彼を刺しとおした者たちは、彼を仰ぎ見るであろう。また地上の諸族はみな、彼のゆえに胸を打って嘆くであろう。しかり、アァメン。』(黙示録1:7)
日本語は「雲に乗って来る」と訳されているが、正確には「雲と共に」、あるいは、「雲に囲まれて」である。
つまり、孫悟空のように筋斗雲のような雲に乗って来るという意味ではなく、栄光の雲、すなわち、圧倒的栄光の内に降臨されるのだ。

その時、「ことに、彼を刺しとおした者たちは、彼を仰ぎ見る」と書いてあるが、彼を突き刺した者とは、何も、あのゴルゴダの丘でイエス様を突き刺したローマ兵に限定されるものではない。
イエス様を十字架に突き刺す者とは一体どういう人か、ヘブル書に書いてある。
『いったん、光を受けて天よりの賜物を味わい、聖霊にあずかる者となり、また、神の良きみ言葉と、きたるべき世の力とを味わった者たちが、そののち堕落した場合には、またもや神の御子を、自ら十字架につけて、さらしものにするわけであるから、ふたたび悔改めにたち帰ることは不可能である。』(ヘブル6:4-6)

イエス様はゴルゴダの丘で、執り成しの祈りをして下さった
『そのとき、イエスは言われた、「父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです」。』(ルカ23:34a)
ここの「言われた」は直接法未完了形であり、すなわちイエス様は、そのとき、ずっと「言い続けて」おられたのだ。
イエス様は今も、「知らずに」イエス様を突き刺しているような人のために、執り成し続けておられ、そして全ての人がイエス様に立ち返る事を、望んでおられる。

無知のため、知らないがために、イエス様を十字架につけたり、キリスト者を迫害する人であるなら、あわれみを受けるチャンスがある。
パウロは言っている。
『わたしは以前には、神をそしる者、迫害する者、不遜な者であった。しかしわたしは、これらの事を、信仰がなかったとき、無知なためにしたのだから、あわれみをこうむったのである。その上、わたしたちの主の恵みが、キリスト・イエスにある信仰と愛とに伴い、ますます増し加わってきた。』(1テモテ1:13-14)

しかし、「いったん、光を受けて天よりの賜物を味わい、聖霊にあずかる者となり、また、神の良きみ言葉と、きたるべき世の力とを味わった」のに、その後、敢えてイエス様の尊い贖いを脇に押しのけ、好きこのんで堕落の方向に行くとするなら、その者は、キリストを再び十字架に突き刺し、キリストの尊い贖いの血を汚す者である。
そのような者は、キリストが栄光を帯びて来られる時、胸を打って嘆く者達の側となってしまう。

キリストは人の罪をその身に負うために「一度だけ」ご自身を捧げられるために、この世に降りて来られ、そして贖いを成し遂げられた。
そして二度目、将来来られるのは、主の現れを待ち望んでいる人たちの救いために来られるのであって、好きこのんで堕落の道を楽しむ人々のために再び十字架にかかるためではないのだ。次のように書いてある通りである。
『キリストもまた、多くの人の罪を負うために、一度だけご自身をささげられた後、彼を待ち望んでいる人々に、罪を負うためではなしに二度目に現れて、救を与えられるのである。』(ヘブル9:28)

黙示録は怖い書、というイメージがあるかもしれない。
しかし、黙示録を怖がるべきは「さばきに値する人」、すなわち、キリストに敢えて反抗する者達であって、神を愛する人、その名を信じる人は、怖がる事は一切ない。
確かにキリストにあって歩む人は、迫害を受けたり、試練を受けたり、忍耐しなくてはならない事はあるだろう。
しかし、主の御名の中にある人は、誰一人、永遠の滅びに至る者はない。(ヨハネ17:12)

また私達は、耐えられないような試練に遭うのではないか、酷い迫害に耐えられるだろうか、と恐れたり心配したりする必要も、一切ない。
次の言葉にある通りである。
「あなたがたの会った試錬で、世の常でないものはない。神は真実である。あなたがたを耐えられないような試錬に会わせることはないばかりか、試錬と同時に、それに耐えられるように、のがれる道も備えて下さるのである。」(1コリント10:13)
「だから、あすのことを思いわずらうな。あすのことは、あす自身が思いわずらうであろう。一日の苦労は、その日一日だけで十分である。」(マタイ6:34)

この書は、キリストに贖われて尚、好き好んで罪を犯し続けている者達には、恐れるべき書物であろ。
しかし、主イエス様を愛し、救いを待ち望んでいる人にとって、恐れるべき書ではない。
むしろ、主の来られる時のために、自らを整えるための書であり、約束されている栄光の報いを望み見て、楽しみにしつつ今を整える書とすべきである。

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