メッセージ - ふさわしくない者に三度声をかけ立たせて下さる主(ヨハネ21:15-19)

ふさわしくない者に三度声をかけ立たせて下さる主(ヨハネ21:15-19)

カテゴリ : 
礼拝メッセージ説教音声配信 » 主日礼拝
執筆 : 
pastor 2016-4-17 16:26

ふさわしくない者に三度声をかけ立たせて下さる主(ヨハネ21:15-19)
第一礼拝 Youtube動画 / 音声
賛美集会〜第二礼拝 Youtube動画
賛美集会音声
第二礼拝音声
週報/メッセージ(説教)概要

 弟子達は、弱く愚かだった。主であるイエス様の受難の時は裏切り、復活した後も、主から聖霊の息を息吹かれて「遣わします」と言われたのに出て行かず、元の仕事である漁師に戻ろうとした。主はそんな弟子達を怒ったり責めたりせず、かえって炭火焼きのパンと魚で迎え、愛によって身も心もほぐして下さった。
弟子達は主から聖霊の息吹を息吹かれ任命されたのに、なぜ、魚を捕る漁師に敢えて戻ろうとしたのか。
ペテロがイエス様と出会った最初に言った言葉にヒントがあるかもしれない。
「主よ、わたしから離れてください。わたしは罪深い者です。」(ルカ5:8) 本当は心から主が好きで、主からも、その働きからも離れたくないのに、そして主から「これをしなさい」と命じられたのに、敢えて身を引いてしまうなら、その理由は大体、「自分は到底足りていない、主に相応しくない」という思いがある故だろう。
人間社会では「します」と言って出来なかったり、まして裏切ってしまった場合、責められたり断絶されたりして傷つき、ますます引き篭ってしまうが、ペテロは相当自分に失望し、傷ついていただろう。
イエス様は好きだ、ついて行きたい、3年半の間一緒にいて、本当に充実していたし、楽しかった。
けれどイエス様と一緒にいる内に、到底イエス様に相応しい自分ではない、こんな弱く裏切ってしまった自分は足りていないのではないか、自分はここにいないほうがいいのではないか、いたら迷惑なのかな…。
そのような思いがもしかすると彼にあって、主の働きからフェードアウトしようとしていたのかもしれない。
主は、そんなペテロの心を、そして、そのような私達の心をも、主は全てを知っておられ、取り扱って下さる。
弟子達が主から炭火焼きのパンと魚を頂いて、食べ、心もお腹もほぐれた所で、主はペテロに言われた。
「わたしをアガパオー(完全に愛し尽して)しているか?」 ペテロはイエス様に、自分は「フィレオー(好きである、親愛の情を持っている)している事を、あなたはご存じ(オイダー)です」と、答える外に無かった。
主よ、あなたはご存知です。あの鶏が鳴いた夜明けの晩、死ぬまでイエス様について行くつもりだった、躓かないつもりだった。けれども結局、あなたを知らないと言って躓いてしまった。自分で覚悟した通りには出来なかった。その躓いてしまった悲しみも、受けてしまった傷も、イエス様あなたは全部ご存知です…。
そんなペテロに、イエス様は『わたしの「小羊たち」を「食べさせ(ボスコー)』なさい」と言われた。
イエス様はここで、「いや、アガパオーしなさい」とも「死ぬまでついて来なさい」とも言われなかった。
イエス様は二度目、「わたしをアガパオーしているか?」と、再び訊ねられた。ペテロは先と同様に答え、イエス様は『わたしの「羊たち」を「牧し(ポイマイノー:食べさせ、養い、治める)」なさい』と言われた。
すなわち、一度目の時よりも、さらに「主の羊達」にたいする深い養いが要求されている。
主は、三度目、ペテロに言われた。「わたしをフィレオーしているか?」。ペテロは、主が三度目、「完全に愛し尽くしているか」ではなく、「親愛の情を持っていいるか」と聞かれたので、心を痛めた。
主が自分の側へと降りて来て下さったのだ。完全に主を愛し切れない、従い尽くせない自分のレベルへと。
『主よ、あなたは全てを「ご存じ(オイダー:主観的に知っている)」です。わたしがあなたを愛していることは、「おわかりになって(ギノスコー:経験して知っている)」います。』 ペテロは、あなたはわたしを知っている、という点を、ただただ強調した。従えない弱さがある自分、裏切ってしまった自分、再びその可能性がある自分、そんな足りていない自分を悲しく思っている、けれども、それでもあなたは慕っている、という事を。
主は一貫して「わたしの羊」について指示されている。『わたしの「羊」を食べさせボスコー)なさい。主が求めておられる事は、自分の過去の成り立ちや、弱さや、愛の無さはさておき、主の羊達を養う事なのだ。
そして言われる。『あなたが若かった時には、自分で帯をしめて、思いのままに歩きまわっていた。しかし年をとってからは、自分の手をのばすことになろう。そして、ほかの人があなたに帯を結びつけ、行きたくない所へ連れて行くであろう」。・・・こう話してから、「わたしに従ってきなさい」と言われた。』
働き人がもし、自分で自分を縛り、自分が描いたビジョンに生きるとするなら、それはまだ若造だという事であり、成熟した働き人は、聖霊に縛られ、自分が思っているのではない所へと導かれて行くものだ。
人がもし自分を見、自分の力で生きるなら、必ず失望する。しかし主に依り頼むなら、決して失望はしない。
主は働き人がたとえ二度倒れても、三度、立たせてくださる。 「さあ、私達は主に帰ろう。主は私達をかき裂かれたが、また癒し、私達を打たれたが、また包んでくださるからだ。主は二日の後、私達を生かし、三日目に私達を立たせられる。私達は御前で生きる。私達は主を知ろう、切に主を知ることを求めよう。主は朝の光のように必ず現れ出で、冬の雨のように私達に臨み、春の雨のように地を潤される。」(ホセア6:1-3)

トラックバック

トラックバックpingアドレス トラックバックpin送信先urlを取得する
メインメニュー
礼拝ライブ中継

礼拝ライブ中継!

礼拝ライブ中継!

過去の礼拝映像も視聴できます

メッセージ
このページを紹介!

 
 
 
礼拝週報
メッセージ音声
携帯メールで毎日メッセージを購読!無料!

以下コードを読み込み、空メールを送信すれば登録できます。

パソコン/ウィルコム/スマートフォンで受信:以下にメールアドレスを入力下さい。

メルマガ購読・解除
日々のバイブルメッセージ
   
バックナンバー
powered by まぐまぐトップページへ
Podcast

以下画像をitunesへドラッグすれば、更新が自動的にPodcast配信されるようになります。

※2020/1/1より以前に登録された方は、再度、以下Podcast画像をitunesへドラッグする必要があります。

 主日礼拝ポッドキャスト

定期祈祷会ポッドキャスト

その他音声 ポッドキャスト

検索
Copyright ©Yokohama Voice of Christ Church 横浜天声キリスト教会
All Rights Reserved.
 〒231-0058 神奈川県横浜市中区弥生町2-17 ストークタワー大通公園?-201
TEL/FAX:045-326-6211

ephes_03-tensei@ yahoo.co.jp
© 2022 Powered by XOOPS Cube 2.1
Welcome Guest