メッセージ - 荒れ野に放置される者達(ヘブル3:7-19)
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韓国語通訳有 한국어예배
ヘブル3章にはモーセの時代、神の安息に入れた民と入れない民の違いについて、明確に書いてある。
かの時代、イスラエルの民は信仰によってエジプトを出、約束の地、安息の地を目指しているはずだったが、行く途中に多くの者達が不平不満を言い、他の民の心を挫いた。
やれエジプトの方が良かった、ここにはマナしか無いじゃないか、モーセはこの荒れ野で我々を殺すつもりだ、などなど。
ある時は、モーセを石で撃ち殺して別の指導者、別の神を立ててエジプトへ戻ろう、と言い出す始末だった。
なぜ「心を頑なにしてはならない」「試みてはならない」と書いてあるのか。
それはもちろん、死なないためであり、安息に入るためである。
夫婦生活について、結婚を前にした男女向けにこのような例えがある。
夫婦生活は、命綱をペアで繋いで山を登っていくようなものである。
二人で同じ目標を目指して力を合わせて登って行き、片方が滑っても片方が支えて行くなら、無事目的に到達できる。
相手だけに頑張らせて、自分は全く努力せずブラブラぶら下がるつもりでいるなら、結婚は考えないほうが良い。
もしあなたが頑張っているのに、相方は何も努力せず、いつも命綱にブラブラして「おなかすいた」「ねぇかまって」と言ってばかりいたら、どう思うだろうか。
この荒れ野で不平不満を呟いていた者達は、今にも崖から落ちそうなのに命綱でブランコ遊びしていたような者達である。
主は確かに恵み深く憐れみ深いが、期限がある。
40と言う数字は試みの数字であり、これに耐え抜いたヨシュアとカレブは幸いだった。
頑張っている人達の心を挫いた者達を主は荒れ野で滅ぼしたように、命綱でブランコ遊びしているような者達は、主ご自身が命綱を切って、落として行く。
そのようにならない為に、私達には12,13節の御言葉が与えられている。
「兄弟たち、あなたがたのうちに、信仰のない悪い心を抱いて、生ける神から離れてしまう者がないように注意しなさい。
あなたがたのうちだれ一人、罪に惑わされてかたくなにならないように、「今日」という日のうちに、日々励まし合いなさい。――」
兄弟姉妹のうち誰かが罪に惑わされて頑なになるのであれば、兄弟姉妹みんなで真剣にその人を立ち直らせる努力をすべきである。
それは「今日」と言われている日のうちである。
「その日」が明けないうちに立ち直らせないと、罪や頑なさが、その人に定着してしまうからである。
荒野で滅ぼされた人達は、神様の提示された御言葉を退けて、あくまで自分の主張をし通した者達である。
17節「いったいだれに対して、神は四十年間憤られたのか。罪を犯して、死骸を荒れ野にさらした者に対してではなかったか。」
兄弟姉妹の心を挫いて命綱にぶらぶらぶら下っている者は、
死骸として荒れ野に晒されたまま、置いて行かれ、
他方、信仰によって一歩一歩前進して行く者達には、安息が近づいてくる。
「このようにして、彼らが安息にあずかることができなかったのは、不信仰のせいであったことがわたしたちに分かるのです。」19節
皆さんは死骸として置いて行かれる者達だろうか? それとも安息の地に向かって一歩一歩全身し安息を勝ち取る者達だろうか?
それは、皆さんの信仰次第である。
信仰の歩みを日々為して、安息の地に入れる皆さんでありますように。
イエス様の名前によって、祝福します。