メッセージ - 神殿とは(使徒7:44-53)
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韓国語通訳有 한국어예배
ステファノはなぜ捕られられ、最高議会で弁明しているのかというと、偽りの証人によって「彼がモーゼと神殿に対して冒涜の言葉を吐いた」「ナザレ人イエスはこの神殿を打ち壊しモーセの慣例を変えるだろう、言うのを聞いた」という訴えが彼に対して為されたためである。
そこで彼は、神はいかにイスラエルを立ち返らせようとして来たか歴史を紐解き説明するが、その内容は聞いている者達の耳障りの良いものではなく、いかにイスラエル民族が神に逆らってきたか、という歴史であった。
今日の箇所には、荒野の幕屋から神殿に至るまでのいきさつが説明されている。
神殿の前身は荒野の幕屋で、ヨシュアの時代にこの地に持ち込まれ、ダビデが神殿を建てたいと願ったものの、建てたのはソロモンだった。
祭司長達や律法学者達は礼拝祭儀施設として神殿を大切にしているが、建物よりもっと大切にしなくてはならない事柄を、彼らは疎かにしている。
「いと高き方は人の手で造ったようなものには住まない。」(48節)
イエス様は「この神殿を壊してみよ、三日でそれを立て直す。」と言われたが、それは建物の事ではなく御体の事を言われたのであって、まことの神殿は人の手による建造物ではなく「からだ」であり、神を敬いイエスを信じる一人ひとりである。
49,50節はイザヤ66:1,2の引用であるが、そこには
「わたしが顧みるのは、苦しむ人、霊の砕かれた人、わたしの言葉におののく人。」(イザヤ66:2後半)
と書かれてある。
主は神殿という建物や場所よりも、そこに集う礼拝者の御言葉を恐れ敬う心をご覧になる。
主は教会という建物や場所よりも、召しだされた者達がいかに霊が砕かれ、キリストに明け渡しているかを、ご覧になられる。
神殿を建てようという思いが最初に起こされたのは、ダビデであった。
彼は、神様のために幕屋ではお粗末だから、もっと立派な建物を建てたいと思ったのかもしれないが、主は
「あなたがわたしのために住むべき家を建てようというのか。」「むしろ牧場の羊の群れの後ろからあなたを取って、わたしの民イスラエルの指導者にした」(2サムエル7:5-8)
と言われた。
ダビデは力がついてきたから神殿を建てたいと思ったが、そのダビデを羊飼いから王へと仕立て上げ力をつけたのは、神である。
人が神のために家を建てようなどと言うのは、おこがましいのだ。
私達人間がすごいから神様がついてきたのではなく、神様が憐れみをもって選ばれたからこそ、イスラエル民族があるのである。
ステファノの説教ははじめから終わりまで、神様視点でのメッセージであった。
それに対し、神様に逆らってきた者達の視点はずっと人間中心、自分中心だった。
そのような視点だから、預言者の言う事が気に食わないと言って殺してきたし、
主の御旨に気付く事無く、預言者達が殊更に告げてきたメシヤさえも、十字架につけたのだ。
「今や、あなたがたがその方を裏切る者、殺す者となった。」(7:52)
ステファノはたった一人で、大勢の地位の高い人達を糾弾した。
結局その時代の人達は悔い改めるに至らず、その後、ローマ兵に囲まれ滅ぼされてしまった。
私達は彼らのように、自分中心に御言葉を塞いで心頑なにしてはならない。
御言葉を聞く時は、私達に都合が悪かろうと、耳障りが良くなかろうと、謙虚に受け入れるべきである。
御言葉をそのまま受け入れる皆さんでありますように。イエス様の名前によって祝福します。