メッセージ - アサ - 久しぶりに現れた主の目に適った王(1列王記15:9-15)
アサ - 久しぶりに現れた主の目に適った王(1列王記15:9-15)
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- 執筆 :
- pastor 2016-7-18 12:00
アサ - 久しぶりに現れた主の目に適った王(1列王記15:9-15)
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9節以降は、アビヤムの子・アサ王のついての記録となる。
『イスラエルの王ヤラベアムの第二十年にアサはユダの王となり、エルサレムで四十一年世を治めた。その母の名はマアカといってアブサロムの娘であった。アサはその父ダビデがしたように主の目にかなう事をし、神殿男娼を国から追い出し、先祖たちの造ったもろもろの偶像を除いた。』(1列王記15:9-12)
アサは、ソロモン以降では初めて「良い王」として記録されている。
良い王の基準は11節にある通り、ダビデのように、主の目にかなう事を行う事だ。
彼は主の忌み嫌うものを取り除いた。
主の祝福が来るには、まず、自分の内から主の忌み嫌われるもの、性質を取り除く所からである。
『彼はまたその母マアカが、アシラのために憎むべき像を造らせたので、彼女を太后の位から退けた。そしてアサはその憎むべき像を切り倒してキデロンの谷で焼き捨てた。』(1列王記15:13)
彼は自分の母といえど、主が忌み嫌う事をするなら位から退けるという徹底を貫いた。
それは、主の大切な働きを為す器として、相応しい性質である。(ルカ14:26、出エジプト記32:29)
彼が為した事と、その結果、主がどのようにして下さったのかについては、第二歴代誌のほうに、3章に渡って、詳しく記されている。
彼は、諸々の偶像の祭壇を除き去り、また人々に命じて主を求めさせ、教えと戒めとを行わせた。
それで彼が王になってから十年の間、穏やかであった。(1-6節)
『彼はユダに言った、「われわれはこれらの町を建て、その周囲に石がきを築き、やぐらを建て、門と貫の木を設けよう。われわれがわれわれの神、主を求めたので、この国はなおわれわれのものであり、われわれが彼を求めたので、四方において、われわれに平安を賜わった」。こうして彼らは滞りなく建て終った。』(2歴代誌14:7)
しかし、主は時に、その人の信仰を試し、より深くするために、試練を送られる。
すなわち、エチオピア人が百万の軍隊と三百の戦車を率いて攻めてきたのだ。
『時にアサはその神、主に向かって呼ばわって言った、「主よ、力のある者を助けることも、力のない者を助けることも、あなたにおいては異なることはありません。われわれの神、主よ、われわれをお助けください。われわれはあなたに寄り頼み、あなたの名によってこの大軍に当ります。主よ、あなたはわれわれの神です。どうぞ人をあなたに勝たせないでください」。そこで主はアサの前とユダの前でエチオピヤびとを撃ち敗られたので、エチオピヤびとは逃げ去った。・・ユダの人々の得たぶんどり物は非常に多かった。』(2歴代誌14:11-13)
私達の人生でも、試される事がある。その試練は、何によってパスするのか。
アサは、主に依り頼む事によって、見事パスした。
私達が救われる方法は、単純である。
主イエスを信じ、救いの拠り所を彼に置くのだ。
そうするなら、自身も、その家族も、救われる。(使徒16:31)
人生のあらゆる苦難や戦いの時、主を呼び求める事が、救われる鍵である。
『彼らはまた、ゲラルの周囲の町々をことごとく撃ち破った。主の恐れが彼らの上に臨んだからである。そして彼らはそのすべての町をかすめ奪った。その内に多くの物があったからである。また家畜をもっている者の天幕を襲い、多くの羊とらくだを奪い取って、エルサレムに帰った。』(2歴代誌14:14-15)
周囲は彼を恐れて、もはや攻めてくる事は無かった。
主を恐れる人は、周囲から一目置かれ、敵からも恐れられるのだ。(創世記35:5、申命記2:25)
主は、信仰に立って勝利した彼に、預言書を遣わして、激励の言葉をかけた。
『時に神の霊がオデデの子アザリヤに臨んだので、彼は出ていってアサを迎え、これに言った、「アサおよびユダとベニヤミンの人々よ、わたしに聞きなさい。あなたがたが主と共におる間は、主もあなたがたと共におられます。あなたがたが、もし彼を求めるならば、彼に会うでしょう。しかし、彼を捨てるならば、彼もあなたがたを捨てられるでしょう。』(2歴代誌15:1-2)
主にとっては、やっと、主を恐れ敬う良い王が現れたのだ。
ソロモン時代以来、長らく主を呼び求める王が無かった所に。
主は、どれほど喜ばれただろう。
主は彼に、信仰に立って物事を行う事を続けよ、と激励される。
『そのころは、出る者にも入る者にも、平安がなく、大いなる騒乱が国々のすべての住民を悩ました。国は国に、町は町に撃ち砕かれた。神がもろもろの悩みをもって彼らを苦しめられたからです。』(2歴代誌15:5-6)
主を恐れ敬わない期間は、根拠不明な恐怖や不安に悩まされ、する事なす事失敗し、敵にかすめ奪われてしまうものである。
そして、根拠不明な怒りや憎しみが沸き起こるゆえに、味方同士・身内同士で必要の無い争いや喧嘩があって、いらないエネルギーロスで消耗し合い、共に砕かれてしまうのだ。
『あなたがたのうちで生き残る者にも、彼らが敵の国にいる間、彼らの心の中におくびょうを送り込む。吹き散らされる木の葉の音にさえ彼らは追い立てられ、剣からのがれる者のように逃げ、追いかける者もいないのに倒れる。追いかける者もいないのに、剣からのがれるように折り重なって、つまずき倒れる。あなたがたは敵の前に立つこともできない。
それまではそういう時代だった。』(レビ記26:36-37)
『しかしあなたがたは勇気を出しなさい。手を弱くしてはならない。あなたがたのわざには報いがあるからです」。』(2歴代誌15:7)
主は預言書を通して言われた。主を恐れ敬う道には、大きな報いが待っている。
主は言われる。それを期待して歩みなさい、と。
彼が祝福されている様を見て、北イスラエル王国の人々も多く集って来た。(2歴代誌15:8-9)
北イスラエル王国は、ずっと悪い王がずっと続いて災い続きだったためだ。
主の道に歩む事こそ祝福の道であり、その道に歩み続けるなら、成功する。
しかし、成功した時こそ、自分の中から「高慢」という敵が沸き起こって来る事をいつも気をつけるべきである。
彼は、初期の頃は主の喜ばれる良い道を歩み、大いに祝福されたものの、人生後半になると高ぶってしまう。
主の喜ばれる道から、右にも左にもそれる事なく、祝福の道を歩む皆さんでありますように!
イエス様のお名前によって祝福します!