メッセージ - 安息に入れない予備軍(ヘブル4:1-10)
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韓国語通訳有 한국어예배
「神の安息にあずかる約束がまだ続いているのに、取り残されてしまったと思われる者があなたがたのうちから出ないように、気をつけましょう。」(ヘブル4:1)
安息に預かる約束があるのに、取り残されてしまう者とは、与えられた約束を信仰によって結び付けない者である。
「聞く者、これに信仰をまじへざりしに因る」(文語訳2節)
この事から、約束を聞いただけで安息に入れるという訳ではなく、聞いた言葉を、信仰によってその人自身に混ぜ合わせなくてはならない。
御言葉を聞いても何も良い事が起きない、と言っている人は、コンセントを挿さずスイッチも入れないのと同様で、御言葉に力が無いのではなく、その人が聞いた御言葉に信仰を混ぜないから、力が発揮されないのである。
ヘブル4:4-7節には、安息に入れない予備軍が書かれてある。
メタボ予備軍にならないためにテレビや雑誌等でよく注意喚起されている。
一日何歩以上歩かない者や、エレベータばかり使っている者は危ない等と言われているが、「ああ、私は予備軍だ」と言うだけで何の改善もしない者は、事実メタボのままである。
御言葉を聞いて「それ聞いた事ある」「でもねー」と言って、何の改善も無い者は「安息に入れない予備軍」である。
予備軍の特徴として「不従順な者」(6節)、「神の声を聞いても心を頑なにする者」(7節後半)。
安息に入れない者とは、聞いても心と顔面を頑なにする者、自分の考えをあくまで固持する者である。
安息に入れない予備軍の行く先は暗闇と歯軋りであるため、メタボ予備軍よりもはるかに深刻。真剣に扱っていただく必要がある。
神のみわざは既に完成されており、安息日の休みは残されている。(9-11節)
ところが、さもみわざが完成していないかのように、安息とは程遠いかのように人々が振舞っているのはなぜだろうか。
それは、御言葉に信仰を混ぜていないからである。
アダムとエバは、善悪の木から以外は、全ての木から取って食べて良いと言われたのに、さも何か不足しているかのように感じてしまったり、
善悪の木から取って食べたら必ず死ぬ、と言われたのに、さも神のようになれると思ったりしたからこそ、大地は呪われ、額に汗しつつ、死に向かって生きていかなくてはならなくなってしまった。
10節「神の安息にあずかった者は、神が御業を終えて休まれたように、自分の業を終えて休んだからです。」
御言葉を信じるのであれば、神の安息がその人を覆い、そして自分の業を休む。
しかし信じないで疑う者は安息を得ず、右往左往した末に滅びる。
信じて安息を得、自分の業を終えて休む皆さんでありますように。
イエス様の名前によって祝福します!