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メッセージ - エリヤ - 最も暗い時代に遣わされた、最も偉大な預言者(1列王記17:1-6)

エリヤ - 最も暗い時代に遣わされた、最も偉大な預言者(1列王記17:1-6)

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礼拝メッセージ説教音声配信 » 講解説教(旧約) » 1列王記
執筆 : 
pastor 2016-8-4 16:10

エリヤ - 最も暗い時代に遣わされた、最も偉大な預言者(1列王記17:1-6)
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北イスラエル王国が主の目の前に悪を行い、それによる諸々の災いによって荒れすさんでいく中、主はなおも、北イスラエル王国を愛され、立ち返らせようと、度々預言者を遣わして来られたが、彼らは尽く、立ち返らなかった。
そして、闇が最も深くなった時、主は、偉大な預言者・エリヤをその時代に遣わされる。

エリヤは、預言者の代表格的存在である。
ユダヤ人達は、以下のマラキ書の預言を元に、エリヤが来るのを今でも待ち望んでいる。
『見よ、主の大いなる恐るべき日が来る前に、わたしは預言者エリヤをあなたがたにつかわす。彼は父の心をその子供たちに向けさせ、子供たちの心をその父に向けさせる。これはわたしが来て、のろいをもってこの国を撃つことのないようにするためである」。』(マラキ書4:5-6)

ユダヤ人達は過ぎ越し祭ではエリヤが来た時のための、空の盃を用意し、一連の祭りの最後で皆で盃にあずかる時、外にエリヤが来ていないかどうかを、子供に確認させに行く。
子供が扉を開けて、エリヤが来ていない事を確認すると、祭りの司式者である父親は「来年は必ず来る」と言って、家族皆で、以下の歌を歌うの習わしとしている。
「エリヤが来る。エリヤが来る。来年は必ず エリヤ来る。その後、ダビデの家にメシヤが来る。その後ダビデの家にメシヤが来る。」(キムヒョンジョン博士著 テフィリン P119)この伝統は今日でも続けられている。
それは、エリヤが来て、その後にダビデの子孫であるメシヤが来るとするなら、イスラエルが代々舐めてきた民族的な苦しみから解放される、という、神の約束を信じているからである。
しかし、それらはとんでもない思い違いである。

エリヤも、メシヤも、とうの昔に来たのだ。
『弟子たちはイエスにお尋ねして言った、「いったい、律法学者たちは、なぜ、エリヤが先に来るはずだと言っているのですか」。答えて言われた、「確かに、エリヤがきて、万事を元どおりに改めるであろう。しかし、あなたがたに言っておく。エリヤはすでにきたのだ。しかし人々は彼を認めず、自分かってに彼をあしらった。人の子もまた、そのように彼らから苦しみを受けることになろう」。そのとき、弟子たちは、イエスがバプテスマのヨハネのことを言われたのだと悟った。』(マタイ17:10-13)

バプテスマのヨハネこそ、人々の心をメシヤであられるキリストへと向けさせるエリヤの役割を果たした。(マタイ11:14)
そして、メシヤなるキリストが来られたのに、当時の主だった人々は、バプテスマのヨハネも、イエス・キリストも否定してしまったのだ。
それでユダヤ人達は、今でも頑なにキリストがメシヤであられる事を否定し、エリヤの来るのを頑なに待ち望んでいる。

やがて、イスラエル民族は、自分たちが突き刺したお方であるキリストを受け入れる時が、必ず来る。その事も預言されている。
「わたしはダビデの家およびエルサレムの住民に、恵みと祈の霊とを注ぐ。彼らはその刺した者を見る時、ひとり子のために嘆くように彼のために嘆き、ういごのために悲しむように、彼のためにいたく悲しむ。」(ゼカリヤ12:10)

その偉大な預言者エリヤはどのような働きをしたのか。
それが、第一列王記17章から、第二列王記の2章に至るまで、詳細に記されている。
この章以降、あたかも物語の主人公の座を彼が奪い、彼を中心にイスラエルの王が、そして王国全体が、彼を通して語られる主の言葉に振り回されて行く展開となって行く。

『ギレアデのテシベに住むテシベびとエリヤはアハブに言った、「わたしの仕えているイスラエルの神、主は生きておられます。わたしの言葉のないうちは、数年雨も露もないでしょう」。』(1列王記17:1)
この言葉が発せられて以降、3年半の間雨は降らないのだが、この時はイスラエル人々も、またエリヤ自身さえ、いつまで雨が留められているのかを知らなかった。
イスラエルの民は、エリヤの言葉どおりに起きた事の実体験をしたが、アハブは悔い改めず、逆にエリヤこそイスラエルに災いをもたらすものとして、彼を見つけ次第、捕らえるようにと、イスラエル全体におふれを出した。

主に失礼を犯した自分が悔い改めるのではなく、悪いのは御言葉を語った者だとし、神に心を向けず、また、自分の悪にも向けない。そのような人からは、災いがいつもつきまとって離れない。
御言葉によって戒めを受け、そして実際に望ましくない状況へ落ち込んでいったなら、その状況は主がご自身の立ち返らせようとして起こされたのであって、自分が悔い改めるべきである。
それをせず、逆に御言葉を伝えた人や、御言葉どおりの事が起きた状況を「逆恨み」するとするなら、それはアハブの道である。

エリヤは、最初から宣言している。「わたしの仕えているイスラエルの神、主は生きておられます。」と。
つまり、イスラエルに雨が降らないのは、、エリヤのしわざではなく、彼が仕える主が為される事なのだ。
そして主は彼がアハブに捕らえられないように守り、その間の養いを与えられる。

『主の言葉がエリヤに臨んだ、「ここを去って東におもむき、ヨルダンの東にあるケリテ川のほとりに身を隠しなさい。そしてその川の水を飲みなさい。わたしはからすに命じて、そこであなたを養わせよう」。エリヤは行って、主の言葉のとおりにした。すなわち行って、ヨルダンの東にあるケリテ川のほとりに住んだ。すると、からすが朝ごとに彼の所にパンと肉を運び、また夕ごとにパンと肉を運んできた。そして彼はその川の水を飲んだ。』(1列王記17:2-6)
主はエリヤを養うために、まず、ヨルダンの東に行けと指示された。
エリヤは、そこにかくまわれるのだが、この偉大な預言者を養うよう命じられたのは、なんと、カラスである。
カラスは律法では汚れた動物であり、カラスが運んできたものを食べるのは、律法を持たない私達でも嫌だが、それでも主はカラスに命じ、朝夕ごとにパンと肉を運んできた。
こんな時代であるからこそ、主は、その御言葉を忠実に伝える人を「宝」のように守り、カラスを用いられてでも、その人を養われる。
その時、主は、「ちょっとこの人は神様に用いられないだろう」というようなカラスのような人さえ用いられることがあるのだ。

この時代、主の目には、偉大な預言者をかくまい養う為に、不信仰なイスラエルの誰かを用いるよりは、カラスを用いたほうがましだ、と映ったのだろうか。
まさに、当時のイスラエルがどんなに情けない霊的状況であったかを示す、主からの大いなる「皮肉」である。

北イスラエル王国は、この干魃の間も、主に立ち返る事をしない。
しかし、どんな暗黒の時代でも、主は備えておられる。エリヤのような預言者を、そして、バアルに膝をかがめない七千人を。(1列王記19:18)

今のこの暗闇の時代、私達がイエス様を主とし、信仰を保って働くなら、私達こそ、主に備えられた「バアルに膝をかがめない七千人」であり、干魃のような時代であっても、主から養いを頂く保証を頂けるのだ。

 

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