メッセージ - 生ける神の陣を呼び込んだダビデ(1サムエル記17:1-37)
生ける神の陣を呼び込んだダビデ(1サムエル記17:1-37)
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週報/メッセージ(説教)概要
前々回、ダビデや信仰の先人達が皆経験した「羊飼い」という性質の重要性を見たが、今回は、偉大な王とへと成長して行くダビデが、いかに常人とは違った「神の国の考え方」を持っていたかを見たい。
イスラエルにペリシテが攻めてきた時、ペリシテの代表戦士・ゴリヤテが一騎打ちを申し出て来た。
彼は巨人アナクの子孫で、身長286cm、鎧は57kg、投げ槍は穂先だけでも7kg。彼は言った。一騎打ちする者を出せ、自分を倒せたらお前達の奴隷となってやる、もし自分が勝ったら、お前達が奴隷となれ、と。
人々は彼を恐れ、40日間何も出来ず、いいように言われる屈辱の日々を送った。モーセの時代も、アナク人はイスラエルに罠となった。当時もイスラエルはアナク人を恐れ、約束の地に入る事を拒み、40年の荒野生活を強いられたが、今回もサウル王をはじめ、イスラエルの人々は恐れ、40日、右往左往していた。
ゴリヤテは大上段から、一方的に、彼が決めたルールを押し付けているが、世の、主を敬う事の無い「無割礼の」、大上段な力強い言葉を鵜呑みにするなら、意気消沈し、ただなぶりものにされるだけである。
私達も、目の前に立ちはだかる「現実」「世情」といったゴリヤテの巨大さ・力強そうな有り様を見て、恐れたり、無割礼の者が発信して来る諸々の情報に振り回されてなぶりものにされていないだろうか。
ゴリヤテは「お前達はサウルの奴隷ではないか」と言った。イスラエルの戦士達は、万軍の主のしもべであり、主にあって何者にも勝利するはずである。それなのに皆、ゴリヤテの言葉を鵜呑みにして、神のしもべではなく、恐々なサウルのしもべになってしまっている。世に流れている無割礼のことばは、社会やメディアを通じて私達にもレッテルを張ってくる。「おまえは社会の奴隷ではないか、**会社の奴隷ではないか、おまえは年収**になって、あれとこれを手に入れないなら、おまえの人生は終わりだ」などと。
無割礼のことば、無割礼の強大な者に勝利する秘訣は、真理の言葉を、信仰を混ぜて宣言する事である。
ゴリヤテを打ち倒したダビデは、どうだったか。彼は、父の羊を飼う、紅顔の美少年だった。体重はゴリヤテの鎧ほどにも満たなかったろうし、父の家でも、軽んじられていたが、彼がゴリヤテの言動を見た時、憤りに満たされ、言った。「この割礼なきペリシテびとは何者なので、生ける神の軍をいどむのか。」(26節)
他の大人達はゴリヤテの外見や装備を見て恐れたが、ダビデには一切眼中に無く、ただの「無割礼の者」だとし、それに対して自分達は「生ける神の陣」として、「真理の立場」を表明した。偽りの者や割礼無き世の者が大げさに迫って来る時、私達は真理の言葉を信仰を混ぜ込んで宣言するのだ。世の中は、私達神の民が真理を宣言し、真理の御言葉に従う時、霊的世界が動き、そして現実世界も動き出すのだから。
ダビデが宣言した「生ける神の陣」とはどういうものだろう。申命記23:9-13に記されている。
生ける神の陣営は、聖なる所、聖なるお方が歩まれる場所である。『ゆえに陣営は聖なる所として保たなければならない。主があなたの内に汚い物のあるのを見て、離れ去られる事のないためである。』(申23:14)
ダビデは、聖なる主のために清く保つべき所を、汚れた者に好き放題させていた人達にも憤りを覚えただろう。私達も人生の中、家庭の中に、きよい主を呼びこむためには、自分をきよく保つべきだ。そして、聖なるお方が宿るべき所を、無割礼の者が好き放題にして汚しているのを見たなら、大いに憤るべきだ。
ダビデの長男エリアブは、末っ子・ダビデが、陣営の中で色々な人と話しているのを見て、責めた。年長者の身内が、信仰を挫く事を言って来る時、結構、折れやすかったりするが、ダビデは全く動じなかった。
サウル達もエリアブも信仰が無かったため、「神の陣」ですらなかったが、ダビデは信仰によって、たった一人で「生ける神の陣」を張ったのだ。生ける神の陣が一人でも張られるなら、勝利の主が戦われる。
サウルがダビデを呼び寄せた時、ダビデは、自分が行ってあのゴリヤテを討ち取って来る、と言った。
サウルは、羊飼いの少年が根拠の無い全能感に駆られ大ごとを言っている、と思ったかもしれないが、根拠はあるのだ。彼は父の羊を飼っている時、ライオンや熊が、羊をさらって行こうとしたのを追いかけ、撃ち殺したのだ。彼は誰も見向きもしない羊飼いの仕事をしている間、王の性質と力と信仰を学んでいたのだ。
ダビデは、自分には獅子や熊を殺す力があるぞ、ではなく、獅子や熊から羊を救い出す力を与えて下さった主が、勝利をもたらして下さる、と、信仰告白をした。あくまで主の力こそ、勝利の鍵なのだ。
私達も、目の前に、世の強者が立ちはだかる時、真理の立場を表明し、生ける神の陣を張るべきである。
その時、勝利の主が戦いに立たれ、世の無割礼の敵は、この万軍の主の御前に倒されて行くのだ。