メッセージ - 止まる事を知らず広がる福音(使徒9:19b-31)
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韓国語通訳有 한국어예배
サウロはアナニヤの手引きによって目からうろこのようなものが落ち、悔い改め、人生の方向性を180度転換した。
アナニヤがサウロを弟子達の所に連れて入った時、そこには大きな驚きと恐れがあっただろう。
なにしろ、あの有名な迫害者サウロがダマスコス入りしたと聞いただけで何人もの弟子達が震え上がった、あの噂の張本人が突然連れてこられ、入ってきたのだから。
しかしその驚きは喜びに変わり、主への感謝に変わったからこそ、その後数日間、弟子達との有益な交わりができたのであろう。
22節「サウロはますます力づけられ、イエスがキリストであることを論証し」
サウロは、あの光に打ちのめされた自身の体験よりも、聖書からイエスがキリストであることを論証した。
元々旧約聖書には、イエスがキリスト、すなわち救い主である事の根拠が、至る所にちりばめられているため、聖書に親しんできたサウロには論破する事は難しいことではなかった。
サウロはイエスの事を語る毎に、ますます力づけられていった。
それは御言葉を伝える者なら誰もが経験している所ではないだろうか。
イエスが神の子である事、罪を赦し永遠の命を与える主である事を伝えれば伝える程、力が湧いて来るものだ。
後になって思い返してみると、よくもあそこまで福音を伝えたものだ、と思う事もあるが、主ご自身が守って導いてくださった事も同時に分かるのである。
イエスが主である事を伝える者には御霊の助けがあり、霊が燃やされるため、人の目も危険も気にならなくなって来るのだ。
かなりの日数が経った後、サウロを殺そうとする陰謀が起こるが、主はそのような隠れた陰謀さえ分かるように取り計らってくださり、みすみす殺されるような事が無いように配慮された。
街の門を昼も夜も監視され、サウロは行き来できなくなってしまうが、弟子達は彼をかごに乗せて城壁伝いに吊り降ろし救い出した。
そして彼はエルサレムに着き、弟子達の仲間に入ろうとするのだが、やはり交わりに加わる事に難航する。
しかし「慰めの子」と呼ばれるバルナバが、サウロを執り成し、弟子達の交わりへ加える事に成功した。
31節「こうして教会は、エルサレム、ユダヤ、ガリラヤ、サマリアの全地方にわたって平和を保ち、主〔へ〕の恐れと聖霊の慰めにあって、その基礎が固まり、発展し、その数を増していった。」
いのちの危険がいつも隣り合わせなのに発展して行くとは、一見すると相反しているかのように見えるかもしれない。
しかし福音とは、人の罪が赦され、病や貧しさから解き放たれ、死の門をも打ち破るいのちの道であり、いのちの危険があっても、なおいのちで飲み込んで行くからである。
聖霊によって慰めを受け、いのちを増やしていく皆さんでありますように。
イエス様の名前によって祝福します。