メッセージ - 面倒見られる者から面倒を見る者へ(使徒9:32-35)
礼拝説教メッセージ音声:面倒見られる者から面倒を見る者へ(使徒9:32-35):右クリックで保存
韓国語通訳有 한국어예배
癒しのわざは、福音書や使徒の働きを見るとさほど珍しくない出来事のように思えるが、現代を生きる我々には、病の癒しは切実ではあっても滅多に起きない事のように思える。
アイネヤの癒しに限っては、それを見聞きしたこの地方の人達が主に立ち返る程に、インパクトのあるものだったようだ。
彼は中風で、8年間体が動かない状態だった。
中風とは半身不随などで体がマヒしてしまう、癒し方い病気である。
この病について聖書の他の箇所で思い出すのは、4人の人が一人の中風患者を担いでイエス様の所に連れて行った場面である。(マルコ2:1-12)
イエス様のいる所は人がいっぱいだったためそのまま連れて行けず、屋上に登って屋根を剥がし、イエス様の所に4隅を吊って降ろした場面だ。
そのマルコの場面と使徒の場面で共通している事は、そこにいた人々に大いなる驚きをもたらした事。
この病が癒され突然立ち上がるなどという事態は、正気を失うほど驚くべき事である。
もう一つの共通している事項として、癒されるときに「起きて寝床を担ぎなさい」という言葉も一緒にかけてもらった事である。
中風患者は体が動かないため人に世話になりっぱなしで、誰かに運んでもらわなくては移動もできない。
人の中には、霊的な中風患者もいる。
その人は肉体的には健常であっても、霊的な感覚や良心がマヒし、霊的に面倒を見られっぱなし、という状態である。
ペテロもイエス様も「自分で自分の寝床を運びなさい」と言ったのは、もはや自分で自分の面倒を見ることができるのだから、以前のように人から面倒を見られっぱなしという習慣から
脱出しなさい、という事である。
イエス様は癒す時に「あなたの諸々の罪は赦される」と言われた。
周りの人達は「神おひとりのほかに誰が罪を赦すことができるだろうか」と思ったが、イエス様の場合は本当に人の罪を赦す権威があるお方である。
その事を示す為に、敢えて「起きて歩け」ではなく「あなたの諸々の罪は赦される」と言われたのである。
中風の癒しとは「このように、全き回復の他に「罪の赦し」も連想させるものである。
ペテロはこのように声かけた。
「アイネヤよ、イエスキリストがあなたを癒される。起き上がりなさい、そして自分で床を整えなさい。」
イエスキリストが癒される時、霊的にも肉的にも回復すると同時に、諸々の罪は赦される。
人に面倒を見られっぱなしだった人生から、自分の面倒を見れる人生となり、ついては中風の人をイエス様の元に運んでいく人生となるのだ。
アイネヤの身動き出来なかった8年の辛い記憶はたちまち主の栄光の記憶へと創り変えられ、それを見た者は主に立ち返るのである。
霊的にしろ肉的にしろ、中風にかかっている人がいればイエス様の元に連れて行く皆さんでありますように。
イエス様の名前によって、祝福します。