メッセージ - どんな時にも主に向かい賛美するダビデ(1サムエル記19:1-17)
どんな時にも主に向かい賛美するダビデ(1サムエル記19:1-17)
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週報/メッセージ(説教)概要
先々週のダビデの話のつづきに戻り、私達はいかに主に喜ばれる者として整えられるべきかを学びたい。
サウルは、自分の娘を道具にしてまでダビデを殺そうと色々企んだが、それらは全て虚しく失敗し、ダビデはことごとく守られた。サウルは、主がダビデと共におられ主が守っておられる事を、そこまで見せられても考えを改める事をせず、ダビデを殺す思いを捨てる事を選ばず、さらに殺意を燃やす方へ進んでしまう。
今までは秘かに殺意を抱いていたのに、今度は、おおっぴらに「ダビデを殺せ」と家来達に言った。(1節)
ダビデは、全ての部下達から愛されていたので、衝撃が走っただろうが、ヨナタンは和解の行動に出る。
『ヨナタンは父サウルにダビデのことをほめて言った、「王よ、どうか家来ダビデに対して罪を犯さないでください。』(4節) ヨナタンは、何の罪も犯していないダビデを殺す「罪」を犯さないで下さい、と、聖書の真理に従った嘆願をした。聖書には「殺してはならない」とあるし、また本来、罪なき人を殺そうと謀ったなら、「目には目、いのちにはいのち」として、彼がはかった通り、はかり返されるはずである。(申命記19章)
さらにヨナタンは、ダビデがイスラエルに対して為した良き実績と、サウルは実際にそれを喜んだ事実を思い出させた。少しでも霊的良心が残っている人には、切って捨てるような御言葉引用や、感情的な嘆願、責めなじる言葉よりも、愛と憐れみ、真理に基づいた執り成しの言葉のほうが、はるかに効果的だ。
サウルは、この素晴らしい「執り成し」の言葉を聞きいれて、主エホバにかけて誓った。「わたしは決して彼を殺さない」と。こうしてヨナタンはダビデをサウルの元に連れ戻し、元の平和な状態に戻った。(6-7節)
私達も、色々な権威の下にあって服さねばならないものだが、もし、上に立つ人が、御言葉に反する事をするなら、その罪に関わる事なく、ヨナタンのように知恵深く、愛と真理に基づいて対応したいものである。
ヨナタンによる和解は大成功に終わったように見えたが、サウルはいともあっさりと、主の御名によって立てた自分の誓いを破ってしまう。サウルはまたしても、ダビデに槍を投げ、突き刺そうとしたのだ!(8-10節)
サウルは、いつ悪霊が入ってしまったか。それはサウルとダビデが家にいた時、サウルは槍を手にし、ダビデは主を賛美する竪琴を手にしていた時だった。サウルは賛美よりも槍を選び、その槍のたった一投によって、自分が立てた誓いも、ヨナタンの尊い和解のわざも、全て台無しにしてしまった。
サウルに悪い霊が入るきっかけとなったのは何か。それは、ダビデがペリシテとの戦いで大活躍した事が、大いに関係ある。つまりサウルは、ダビデの活躍への「嫉妬」「恐れ」「怒り」という、悪霊が好む「エサ」を放置したままだったために、再び悪霊をおびき寄せ、その侵入をゆるしてしまったのだ。
私達も悪しき者が自分の中から出て行った時、そのまま放置し、悪霊の好むエサを取り扱わずにいるなら、もっと性質の悪いものに入り込まれてしまい、以前よりももっと悪い状態になってしまう。(マタイ12:45)
私達もサウルのように、言葉のたった一投・行動のたった一投によって、神と人の前に積み上げた尊いわざを、積み上げて来た尊厳を、一瞬にして台無しにしてしまう事がある。それをしてしまう原因は、槍をいつも手元に置いて手放さない事、人を傷つける言葉を思いの中にいつも置いて手放さない事だ。
私達には、理不尽で不可避な誘惑が「いわれ」もなくいきなり襲って来るという事は、無い。襲って来るとするなら「いわれ」があるから、すなわち日々、簡単な誘惑に対抗する心の準備を自分でしていないからだ。
ダビデは、新妻でありサウルの娘であるミカルのいる自分の新居へと逃げたが、そこもサウルからの追っ手が迫って来る。しかし、ミカルの機転によってダビデは逃げる事が出来、命は守られた。(11-17節)
その時の心の状態と祈りを、ダビデは詩篇59篇に記し、彼はそこで切々と主に訴えている。
その時の恐怖、主から守られる願い、また、敵に対する訴えを(1-7節)。しかしやがて主に対する信頼の告白に変わり(8-15節)、そして主への賛美に終わる。(16-17節) どんな状況でも主に向かって心の内を全部主に言い、信仰の告白をし、そうして、主の平安が与えられ賛美をする。これが、ダビデの性質である。
こうしてダビデは10数年の逃亡生活が、これから始まる。この時点のダビデの状況を見るに、あまりにもアンフェアに思われる。神はなぜそんな事を許されるのか、と。しかし後に分かるが、ダビデのこの10数年の逃亡生活こそ、彼が偉大な王となるための人格形成で重要なイベントが目白押しなのだ。全ての事を益として造り変えて下さる主にあって歩む皆さんでありますように!イエス様のお名前によって祝福します!