メッセージ - 真実を伝える預言者を憎んで、耳障りの良い事を言ってくれる人達を大勢囲ったアハブ(1列王記22:1-9)
真実を伝える預言者を憎んで、耳障りの良い事を言ってくれる人達を大勢囲ったアハブ(1列王記22:1-9)
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- 執筆 :
- pastor 2016-9-26 22:30
真実を伝える預言者を憎んで、耳障りの良い事を言ってくれる人達を大勢囲ったアハブ(1列王記22:1-9)
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1列王記の最終章は、イスラエル最悪の王、アハブの死で終わる。
『スリヤとイスラエルの間に戦争がなくて三年を経た。しかし三年目にユダの王ヨシャパテがイスラエルの王の所へ下っていったので、イスラエルの王はその家来たちに言った、「あなたがたは、ラモテ・ギレアデがわれわれの所有であることを知っていますか。しかもなおわれわれはスリヤの王の手からそれを取らずに黙っているのです」。』(1列王記22:1-3)
20章では、シリヤが圧倒的な大軍を率いて攻めて来た事が二度あったにもかかわらず、二度とも、主の一方的な憐れみ故に勝利できた。
それなのにアハブは、主に感謝せず、主に聞き従おうともせず、勝手にシリヤと契約を結んで、みすみす王を逃してしまった経緯がある。(1列王記20:34)
それ以来、シリヤはイスラエルに攻めてくる事はしなかったものの、シリヤは、イスラエルに返還すると約束していた町々を、約束どおり返していなかった。
アハブはシリヤと「契約」を結んだのだから、本来、外交的に使者を遣わして申し出るのが筋であるはずだが、いきなり「奪い返す」という暴力的な手段に訴えようとしている。
それも、ヨシャパテ王が、友好的な関係を結ぼうとして来たタイミングで。
『彼はヨシャパテに言った、「ラモテ・ギレアデで戦うためにわたしと一緒に行かれませんか」。ヨシャパテはイスラエルの王に言った、「わたしはあなたと一つです。わたしの民はあなたの民と一つです。わたしの馬はあなたの馬と一つです」。ヨシャパテはまたイスラエルの王に言った、「まず、主の言葉を伺いなさい」。』(1列王記22:4-5)
アハブはまたしても、主にも伺わないまま、戦いに出ようとした。
ヨシャパテが友好的な態度で来た、という、たったそれだけで、自分でシリヤと結んだ契約を破棄し、ヨシャパテと一緒にシリヤに戦い挑もう、としたのだ。
全く行き当たりばったりで、思慮に欠けている。
そこでヨシャパテは、まず「主(エホバ)」に伺って下さい、とアドバイスする。
ヨシャパテが南ユダ王国の良い王として数えられているのは、主に聞くたしなみがあったからである。
彼は良い王ではあったが、この時、アハブに「わたしとあなたは一つです」と言ってしまい、そしてアハブと一緒になって、この欲望と偽りの争いごとに加担した故、その報いを受ける事になってしまう。(2歴代誌19-20章)
主は、悪い交わりとは関わりを持ってはならない、と戒められる。
『不信者と、つり合わないくびきを共にするな。義と不義となんの係わりがあるか。光とやみとなんの交わりがあるか。キリストとベリアルとなんの調和があるか。信仰と不信仰となんの関係があるか。神の宮と偶像となんの一致があるか。わたしたちは、生ける神の宮である。神がこう仰せになっている、/「わたしは彼らの間に住み、/かつ出入りをするであろう。そして、わたしは彼らの神となり、/彼らはわたしの民となるであろう」。
だから、「彼らの間から出て行き、/彼らと分離せよ、と主は言われる。そして、汚れたものに触れてはならない。触れなければ、わたしはあなたがたを受けいれよう。そしてわたしは、あなたがたの父となり、/あなたがたは、/わたしのむすこ、むすめとなるであろう。全能の主が、こう言われる」。』(2コリント6:14-18)
主は、私達の内に住まわれる。
それ故、もし私達の内に汚れたものがあるとするなら、聖であられる主は、共にいてくださらない。
だから、汚れた行いや汚れた交友関係からは出ていくべきであり、もし既に出ているのであれば、悪者同士が裏切りあったり騙しあったり、争いあったりする中へと入っていってはならない。
ヨシャパテ王は自ら入って行ってしまった故に、災いをその身に招いてしまう事になるが、その時、主に依り頼み、主に助けを求めた故に彼は助かり、勝利し、彼の治世は栄える事となった。(2歴代誌20章)
『そこでイスラエルの王は預言者四百人ばかりを集めて、彼らに言った、「わたしはラモテ・ギレアデに戦いに行くべきでしょうか、あるいは控えるべきでしょうか」。彼らは言った、「上っていきなさい。主(アドン:ご主人)はそれを王の手にわたされるでしょう」。』(1列王記22:6)
アハブには、400人ほどの預言者がいた。
エリヤは、バアルの預言者400人と、アシェラの預言者450人と戦ったが、アハブは、預言者をたくさん集めるのが好きなようである。
しかし、預言者は、頭数が多ければ良いというものではない事はエリヤの時に証明されたはずだ。
神の国の運営は、多数決の原理ではない。
60%の預言者がイエスで、40%がノーなら、60%で行こう、というようなものでは決して無い。
主はただ、100%間違いの無い、真実な御言葉によって示されるものであるからだ。
船頭多くして船山に登る、ということわざもある通り、不完全な人間による指導の声が多いのは、逆に、害悪でしかない。
パウロは言う。
『神のみまえと、生きている者と死んだ者とをさばくべきキリスト・イエスのみまえで、キリストの出現とその御国とを思い、おごそかに命じる。御言を宣べ伝えなさい。時が良くても悪くても、それを励み、あくまでも寛容な心でよく教えて、責め、戒め、勧めなさい。人々が健全な教に耐えられなくなり、耳ざわりのよい話をしてもらおうとして、自分勝手な好みにまかせて教師たちを寄せ集め、そして、真理からは耳をそむけて、作り話の方にそれていく時が来るであろう。しかし、あなたは、何事にも慎み、苦難を忍び、伝道者のわざをなし、自分の務を全うしなさい。』(2テモテ4:1-4)
アハブはまさに、「健全な教に耐えられなくなり、耳ざわりのよい話をしてもらおうとして、自分勝手な好みにまかせて教師たちを寄せ集め、そして、真理からは耳をそむけて、作り話の方にそれて」いる状態だ。
これらの大勢の預言者達は、「”主”は敵を王の手に渡される」と口をそろえて言っているが、この”主”は、エホバではなく、アドン(主人)である。
「主よ、主よ、」と連発する人が、その品性や結ぶ実において、あまりにキリストから離れているようであるなら、その人の「主」が一体どなたで、どのようなお方であるのか、確認した方が良い。
ヨシャパテ王は、400人皆が皆こぞってアハブに都合の良い事を告げるのを見て、何か非常に胡散臭いものを感じたのだろう。
『ヨシャパテは言った、「ここには、われわれの問うべき主(エホバ)の預言者がほかにいませんか」。イスラエルの王はヨシャパテに言った、「われわれが主(エホバ)に問うことのできる人が、まだひとりいます。イムラの子ミカヤです。彼はわたしについて良い事を預言せず、ただ悪い事だけを預言するので、わたしは彼を憎んでいます」。ヨシャパテは言った、「王よ、そう言わないでください」。』(1列王記22:7-8)
アハブは、主エホバの御心を伺うことのできる預言者が、いる、と答えた。
いたのに、その預言者はそこには呼ばず、彼以外の、しかも主エホバの御心を伺う事をしない400人を連れてきて、こぞってアハブに都合の良い事を言わせ続けていた。
アハブはその預言者を憎んでいるとヨシャパテに言ったが、その憎んでいる理由は、彼はアハブに良い事を預言せず、悪いことばかり預言するからだ、と言った。
自分が気に入る・気に入らないの基準で、主の言葉を伝える人を受け入れたり拒否したりする。
そのような人は、アハブの道、滅んでしまう人の道を歩んでいるのだ。
『そこでイスラエルの王は役人(サリィス:宦官)を呼んで、「急いでイムラの子ミカヤを連れてきなさい」と言った。』(1列王記22:9)
イスラエルの民の中に、宦官はいてはならないはずである。(申命記23:1)
しかしイゼベルは、宦官を囲っていた。そしてイゼベルは、その宦官に突き落とされ、殺される事となる。(2列王記9:33)
このように、イスラエルの大勢の人達は、アハブ王の悪しき慣習の報いと”とばっちり”を被っていた。
それで主は、もはやアハブに憐れみを投げかけるのはもう止めて、アハブの悪政で苦しめられている大勢の人達を救うために、アハブに災いを定められたのだ。
アハブは次々と教師を寄せ集め、空想へとそれて行き、その身を滅ぼすに至ってしまう。
私達は、無益な空想話ではなく、永遠に存続する真理の御言葉に心を留め、御言葉を伝える人の教えや戒めを真摯に受け止めつつ、歩むべきである。
たとえそれが、自分の耳に良くても痛くても、また、自分に都合が良くても悪くても。
御言葉が正しく語られる健全な交わりの中で、健やかに成長していく皆さんでありますように!
イエス様のお名前によって祝福します!