メッセージ - あなたの祈りと施しは覚えられている(使徒10:1-8)
あなたの祈りと施しは覚えられている(使徒10:1-8)
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- 執筆 :
- tenseikawai 2011-4-11 22:23
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韓国語通訳有 한국어예배
使徒10章は、コルネリオスというローマ人と、彼に関連する親しい異邦人達の救いの話である。
彼はローマ軍イタリヤ隊という部隊の百人隊長で、神を恐れる人だった。
百人の隊長として任命された者であるからには、能力的にも人格的にも優れた者であった事だろう。
後にペテロを自分の家に招き入れた時、大勢の親類や友人達を呼び集めているし、また家族や部下の中にも敬虔な者がいたという事は、彼は人々に神様の事を伝え、何人かは敬虔な者として立ち返らせるほど、御言葉を伝える人だったのだろう。
彼に御使いが使わされたのは、神様を人に伝える人であり、また絶えず祈っており、ユダヤの民に数々の施しを為していたためである。
異邦人の救いはこのコルネリウス達が最初だと思われ勝ちだが、その前にエチオピアの高官の救いがあった。(8:26-)
フィリッポスが伝道した宦官は、誰よりも熱心に礼拝し、深く御言葉を愛する者だった。
対してコルネリウスは、人と人との関わりの中で賜物を発揮するタイプのようである。
これらの事から、神様は全地をあまねく見渡し、異邦人であろうと誰であろうと、どのような形であれ、主に対して真実な者はしっかり覚えておられ、きちんと報いてくださるお方だと分かる。
コルネリウスに現れた御使いがまず言った言葉は「あなたの祈りと施しは神のみ前に覚えられている」である。
私たちが日々捧げる「祈り」はしっかり神のみ前に立ち上っている。(黙示録8:1-5)
祈りは、聖徒達一人ひとりが捧げる薫り高いいけにえである。
また「施し」も「芳しい香りであり、神が喜んで受けてくださるいけにえである。」(ピリピ4:18)
昨日の主日は、高松の兄弟から送っていただいた讃岐うどんを、皆で頂いた。
彼としては、まだ見ぬ天声の聖徒達の喜びを思いつつ送って下さったのだが、それは、聖徒達を満たしたばかりでなく、同時に、神様に覚えられる芳しい香りとして捧げていたのである。
パウロは続けてこう書いている。
「わたしの神は、御自分の栄光の富に応じて、キリスト・イエスによって、あなたがたに必要なものをすべて満たしてくださいます。」(ピリピ4:19)
この御言葉からも、施しは神様に喜ばれる供え物であると同時に、非常に祝福に満ちたものである事が分かる。
そのように祈りと施しを欠かさなかったコルネリオスに、御使いが使わされたわけである。
御使いは「ヤッファへ人を送り、ペテロと呼ばれるシモンを海辺の家に訪ね、彼を招きなさい」と、かなり具体的な指示を与えるが、「何のために」「その結果何が起こるか」という事は伝えていない。
もし御使いが「あなたがたも聖霊を受け、バプテスマを受ける」「異邦人にも救いの道が開く」などと、これから起こる事が予め知らせれていたら、彼はもっと違う行動を取っていたかもしれない。
しかし、人はその後の事は知らなくて良い。
神は異邦人をも省みてくださる憐れみ深いお方だ、と信頼しながら昨日も今日も同じように祈る日々は、味気なく写るかもしれないし、人目を惹くものではないかもしれないが、神の御前にはそれで十分である!
人は知らなくても、信頼して行動するからこそ信仰が実体として現れるのであるし、順次祈り求めて順次示されるからこそ、私たちは一瞬一瞬、日々、主に求め、より頼んで行くのである。
私たちは将来どうなるかは分からないけれど、主は私たちの祈りと施しを覚えておられる事と、当面為すべき御言葉が知らされていれば、それで十分である。
たゆまず主に信頼し、かぐわしい香りを捧げるみなさんでありますように。
イエス様の名前によって祝福します!