メッセージ - 証人としての当事者(使徒10:34-43)
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コルネリウスが
「今私たちは皆神の御前に出て、主があなたに命じられたことを一つ残らずうかがおうとしているのです」(33節)
と言ってペテロに託された言葉を待ち望み、ペテロが口を開いて伝えたのは、イエスキリストが救い主である事だった。
神が御使いを通じ、コルネリオスにもペテロにも奇跡的かつ的確な方法で出会わせたのは、イエスへと導くためである。
福音を伝えたい者と、救いを切望している者とは、この二人のように奇跡的な方法で、細やかで的確なお膳立てして下さるのだ。
ペテロが伝えたのは真っ先にイエスの事である。
コルネリオスはこのイエスについて、相反する2つの噂、すなわち良い噂と悪い噂とを聞いていたであろう。
ところが、熱心に神に使えていたコルネリオスに御使いを通して指示されたのは「ペテロと会って話を聞く事」であり、ペテロが伝えたのは、イエスこそメシヤであるという事である。
神は、もろもろの規定や割礼を伝えるためにペテロを召したのではないし、コルネリオスと出会うための細やかなお膳立てをしたのも、祭司長や律法学者の教えを伝えるためではない。
実に、イエスというお方を伝えるためである。
ペテロはイエスの「証人」であると自称している(39〜42節)し、43節では、預言者もそのように証言している、と証している。
事実、旧約聖書すなわちモーセの律法と、預言者たちと、詩篇に書かれてある事とは、イエスについて証している。(ルカ24:44〜49)
イエスがペテロなど弟子達に解き明かされたのは、天使からの新しい徴ではなく、御言葉であった。
神はなぜ、私たち一人ひとりを召されたか。
それは、御言葉と聖霊を元に、イエスの証人とするためである。
御使いがコルネリオスに使わされた時、御使いは一言も「イエス」「キリスト」の言葉を出さず、単に、海沿いの皮なめしシモンの家を訪ね、シモンペテロから話を聞くようにと、指導しただけだった。
神はなぜ、御使いの口から直接イエスを伝えないのだろう。
御使いを通じてダイレクトにキリストを宣教するほうが誤解や間違いもなく伝わるだろうし、人々は恐れて確かに信じる、と思われるかもしれない。
しかし神は、イエスと出会った私たちに、イエスが主である事の証言者としての役割をお委ねになったのである。
他の誰でもない。御使いでもない。私たち一人ひとりが、当事者である。
あの人に福音を示すために、御使いを遣わして下さい、不思議な夢や幻をあの人に見させてください、では、ない。
今日の箇所からすれば、たといその人の夢に御使いが現れるにしても、**の所に行って話を聞け、と示すのではなかろうか。
だから私たち自身、いつでもイエスを伝える準備をしているべきである。
準備が出来ているなら、主はいつでもお膳立てし、福音を必要としている人の所に遣わして下さるだろう。
主からお膳立てされるほど豊かに用いられる皆さんでありますように、イエス様の名前によって祝福します!