メッセージ - 主に直接伺いに行き、主の直接の奇跡を得たシュネムの女(2列王記4:18-37)

主に直接伺いに行き、主の直接の奇跡を得たシュネムの女(2列王記4:18-37)

カテゴリ : 
礼拝メッセージ説教音声配信 » 講解説教(旧約) » 2列王記
執筆 : 
pastor 2017-1-23 6:44

主に直接伺いに行き、主の直接の奇跡を得たシュネムの女(2列王記4:18-37)
Youtube動画
メッセージ音声

 4:18 その子が成長して、ある日、刈入れびとの所へ出ていって、父のもとへ行ったが、
 4:19 父にむかって「頭が、頭が」と言ったので、父はしもべに「彼を母のもとへ背負っていきなさい」と言った。
 4:20 彼を背負って母のもとへ行くと、昼まで母のひざの上にすわっていたが、ついに死んだ。

せっかく子供が生まれ、まだ小さく、かわいいさかりなのに死んでしまう。母親としては悲しみの極みである。なんで、この子は生まれ、そして死ななくてはならなかったのか、と。

 4:21 母は上がっていって、これを神の人の寝台の上に置き、戸を閉じて出てきた。
 4:22 そして夫を呼んで言った、「どうぞ、しもべひとりと、ろば一頭をわたしにかしてください。急いで神の人の所へ行って、また帰ってきます」。
 4:23 夫は言った、「どうしてきょう彼の所へ行こうとするのか。きょうは、ついたちでもなく、安息日でもない」。彼女は言った、「よろしいのです」。 4:24 そして彼女はろばにくらを置いて、しもべに言った、「速く駆けさせなさい。わたしが命じる時でなければ、歩調をゆるめてはなりません」。

子どもの父親すなわち彼女の夫は、神の人の所に会いに行くのは、ただ安息日や礼拝の日だけだ、と思っていたようだ。しかも、子供に何か良からぬ事があったのか、という察知する心遣いもないようである。

たとえ死んだという事を知らなかったにしても、子どもはあんなに頭が痛かったのだから、神の人のところに癒やしてもらいに行くのだろうか、という発想も沸かない不信仰な彼とは一切会話はせず、議論する事もなく、急いで神の人エリシャの所に向かう。


 4:25 こうして彼女は出発してカルメル山へ行き、神の人の所へ行った。神の人は彼女の近づいてくるのを見て、しもべゲハジに言った、「向こうから、あのシュネムの女が来る。
 4:26 すぐ走って行って、彼女を迎えて言いなさい、『あなたは無事ですか。あなたの夫は無事ですか。あなたの子供は無事ですか』」。彼女は答えた、「無事です」。

「無事」と訳された語、シャロームというヘブライ語は、平安です、という意味のあいさつではあるが、子供は「無事」ではない。彼女は、不信仰な父親はスルーし、ゲハジにもとりあえずシャロームと応え、ともかく彼女は、一切の事を秘め、直接エリシャの所に行ってこの事を解決してもらおうと思っていたようだ。


 4:27 ところが彼女は山にきて、神の人の所へくるとエリシャの足にすがりついた。ゲハジが彼女を追いのけようと近よった時、神の人は言った、「かまわずにおきなさい。彼女は心に苦しみがあるのだから。主はそれを隠して、まだわたしにお告げにならないのだ」。

ゲハジは彼女の尋常ではない行動だけを見て、振り払おうとした。

しかしエリシャは、彼女は何のために通常でない時期にここに来たのか、そして、どうしてこんな尋常ではない行動を取るのかを知ろうとした。彼女は、この事は誰にも告げず、ただ、彼女の胸に秘めており、また、エリシャにも神から何も告げられていない状態だった。


 4:28 そこで彼女は言った、「わたしがあなたに子を求めましたか。わたしを欺かないでくださいと言ったではありませんか」。

エリシャは彼女のその言葉から、はじめて分かった。彼女が来た理由は、子供の問題だった、という事を。

彼女の言葉の「内容」だけ見ると、恩知らず、不信仰、に見えるかもしれない。

しかし、幼い息子が、つい今しがた死んでしまった状況下にある女性から発せられる言葉を、文字通りそのまま受け止めて、ゲハジのように彼女を引き離そうとすようでは、神の国の働き人として失格である。

ともかく彼女は、真っ先に預言者の所に問題を持って行く信仰は、あったのだ。

4:29 エリシャはゲハジに言った、「腰をひきからげ、わたしのつえを手に持って行きなさい。だれに会っても、あいさつしてはならない。またあなたにあいさつする者があっても、それに答えてはならない。わたしのつえを子供の顔の上に置きなさい」。

エリシャがここまで具体的な指示をゲハジにしたからには、主から「そうしなさい」と示されたのだろう。

4:30 子供の母は言った、「主は生きておられます。あなたも生きておられます。わたしはあなたを離れません」。そこでエリシャはついに立ちあがって彼女のあとについて行った。
 4:31 ゲハジは彼らの先に行って、つえを子供の顔の上に置いたが、なんの声もなく、生きかえったしるしもなかったので、帰ってきてエリシャに会い、彼に告げて「子供はまだ目をさましません」と言った。

言われた通りにしても何も起きない。果たしてエリシャの預言の力が衰えたのだろうか?そうではない。このような場合は、預言が与えられた人の側の信仰に問題がある場合が多い。

ゲハジは、信仰に問題があった。彼女をすぐに振り払おうとしたし、さらにこの後、彼は、彼自身の欲深さと偽りの行動ゆえに、呪いを被ることになる。

イエス様の時代も、弟子たちには悪霊を追い出せなかった事があったが、その時イエス様は「信仰が無いからである」「この種のものは祈りと断食によってでなければ追い出せない」と言われた。(マタイ17:14-21)

エリシャの弟子ゲハジが、杖を顔に置いただけでは、癒やされなかった。そこで彼の主人エリシャは、祈りに入る。

4:32 エリシャが家にはいって見ると、子供は死んで、寝台の上に横たわっていたので、
 4:33 彼ははいって戸を閉じ、彼らふたりだけ内にいて主に祈った。
 4:34 そしてエリシャが上がって子供の上に伏し、自分の口を子供の口の上に、自分の目を子供の目の上に、自分の両手を子供の両手の上にあて、その身を子供の上に伸ばしたとき、子供のからだは暖かになった。

二人だけ、つまりエリシャと子供だけ、である。イエス様も、ヤイロの娘の生き返らせる奇跡を行った時、不信仰な者は外に出した。主の御言葉が語られても、何も起きないような状況なら、不信仰な者は外に出すのである。

それにしてもエリシャ、「子供の上に伏し、自分の口を子供の口の上に、自分の目を子供の目の上に、自分の両手を子供の両手の上にあて、その身を子供の上に伸ば」すという大胆な行動に出たものだ。

律法では、死体に触れる事は、汚れを受ける事であり、1週間がかりできよめの儀式を行わなければ、きよめられないという、やっかいな事だった。それでもエリシャは、ここまでした。エリシャに相当の覚悟がなければできない事だ。

まさに「祈りと断食」である。

4:35 こうしてエリシャは再び起きあがって、家の中をあちらこちらと歩み、また上がって、その身を子供の上に伸ばすと、子供は七たびくしゃみをして目を開いた。

死んでいた子どもが、生き返った。これは、当時の周囲の人々にインパクトを与える事だろう。

4:36 エリシャはただちにゲハジを呼んで、「あのシュネムの女を呼べ」と言ったので、彼女を呼んだ。彼女がはいってくるとエリシャは言った、「あなたの子供をつれて行きなさい」。
 4:37 彼女ははいってきて、エリシャの足もとに伏し、地に身をかがめた。そしてその子供を取りあげて出ていった。
彼女はこのように良くしていただいた。

彼女は、旅人をもてなし預言者に良くする信仰があったから、そして、問題が起きたら誰よりも何よりも、主の預言者に持っていく信仰があったから、このような幸いを受け、また彼女はその後にもこの事ゆえに幸いを得る。

私達も、全ての問題をまことの預言者・イエス様に直接持っていく信仰があるなら、このような幸いを受けるのだ。

トラックバック

トラックバックpingアドレス トラックバックpin送信先urlを取得する
メインメニュー
礼拝ライブ中継

礼拝ライブ中継!

礼拝ライブ中継!

過去の礼拝映像も視聴できます

メッセージ
このページを紹介!

 
 
 
礼拝週報
メッセージ音声
携帯メールで毎日メッセージを購読!無料!

以下コードを読み込み、空メールを送信すれば登録できます。

パソコン/ウィルコム/スマートフォンで受信:以下にメールアドレスを入力下さい。

メルマガ購読・解除
日々のバイブルメッセージ
   
バックナンバー
powered by まぐまぐトップページへ
Podcast

以下画像をitunesへドラッグすれば、更新が自動的にPodcast配信されるようになります。

※2020/1/1より以前に登録された方は、再度、以下Podcast画像をitunesへドラッグする必要があります。

 主日礼拝ポッドキャスト

定期祈祷会ポッドキャスト

その他音声 ポッドキャスト

検索
Copyright ©Yokohama Voice of Christ Church 横浜天声キリスト教会
All Rights Reserved.
 〒231-0058 神奈川県横浜市中区弥生町2-17 ストークタワー大通公園?-201
TEL/FAX:045-326-6211

ephes_03-tensei@ yahoo.co.jp
© 2022 Powered by XOOPS Cube 2.1
Welcome Guest