メッセージ - 御言葉を宣言したなら、すぐに立ち去れ。とどまってはなたない。(2列王記9:1-13)
御言葉を宣言したなら、すぐに立ち去れ。とどまってはなたない。(2列王記9:1-13)
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- 執筆 :
- pastor 2017-2-22 6:14
御言葉を宣言したなら、すぐに立ち去れ。とどまってはなたない。(2列王記9:1-13)
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9:1 時に預言者エリシャは預言者のともがらのひとりを呼んで言った、「腰をひきからげ、この油のびんを携えて、ラモテ・ギレアデへ行きなさい。
9:2 そこに着いたならば、ニムシの子ヨシャパテの子であるエヒウを尋ね出し、内にはいって彼をその同僚たちのうちから立たせて、奥の間に連れて行き、
9:3 油のびんを取って、その頭に注ぎ、『主はこう仰せられる、わたしはあなたに油を注いでイスラエルの王とする』と言い、そして戸をあけて逃げ去りなさい。とどまってはならない」。
エリシャがこのタイミングで一人の若者にこの命令をしたのは、主の時だからである。
この事の直前、8章の最後は、南ユダと北イスラエルの主の目に悪とされた王がイズレエルといういわくつきの土地に集っている状況である。イズレエルはかつて、ナボテという無実の人がアハブとイゼベルに罪を着せられ、無実の血が流された場所である。主の預言では、その場所でアハブとイゼベルに血の報復が為される、とかつて言われていた。主のタイミングの時、人にはぐずぐずしないでその通り従順する事が求められる。
9:4 そこで預言者であるその若者はラモテ・ギレアデへ行ったが、
9:5 来て見ると、軍勢の長たちが会議中であったので、彼は「将軍よ、わたしはあなたに申しあげる事があります」と言うと、エヒウが答えて、「われわれすべてのうちの、だれにですか」と言ったので、彼は「将軍よ、あなたにです」と言った。
英語の聖書を見ると分かるが、この会議の席は全員がキャプテンと呼ばれる人達の集いである。そこに「隊長」と呼ばれても、どの隊長なのか分からないので、このようなやり取りが為された。だから、この場では、この預言者である若者が一番身分が低い者ではあり、彼こそ震えおののくような状況であったかもしれないが、しかし彼は、主の御言葉を帯びて来ている。彼が主の御言葉をそのまま伝える限りでは、彼の言葉が最も権威を帯びる事が、後の出来事を見ると分かる。
9:6 するとエヒウが立ちあがって家にはいったので、若者はその頭に油を注いで彼に言った、「イスラエルの神、主はこう仰せられます、『わたしはあなたに油を注いで、主の民イスラエルの王とする。
彼はエリシャから伝えるよう言われていたのは、ここまでであった。しかし、彼はこの時、さらに主からの直接的な示しが与えられ、その場で主からの直接の言葉を、そのまま流し出す。
9:7 あなたは主君アハブの家を撃ち滅ぼさなければならない。それによってわたしは、わたしのしもべである預言者たちの血と、主のすべてのしもべたちの血をイゼベルに報いる。
9:8 アハブの全家は滅びるであろう。アハブに属する男は、イスラエルにいて、つながれた者も、自由な者も、ことごとくわたしは断ち、
9:9 アハブの家をネバテの子ヤラベアムのようにし、アヒヤの子バアシャの家のようにする。
9:10 犬がイズレルの地域でイゼベルを食い、彼女を葬る者はないであろう』」。そして彼は戸をあけて逃げ去った。
この事は、もっと以前の、エリヤの時から既に主から示されていた通りである。それが、この時、このタイミングで、エフーを通して成就する事が示されたのだ。
以上の主から示された事を伝え尽くすと、彼はその場から立ち去り、逃げた。
9:11 やがてエヒウが主君の家来たちの所へ出て来ると、彼らはエヒウに言った、「変った事はありませんか。あの気が変な人は、なんのためにあなたの所にきたのですか」。エヒウは彼らに言った、「あなたがたは、あの人を知っています。またその言う事も知っています」。
そこにいた人々は、預言者を「気が変な人」と見なしていた。
主の言葉を躊躇せず伝えたら、すぐに立ち去る事も躊躇しない。これはとても大事である。もし、彼が、ぐずぐずとそこに残ったならどうなっていたか、容易に想像がつく。
その場は将校達の会議の場であり、そこに一人の社会的地位の低い若造が残る、なら当然、将校達から「あなたは何者か」「どういう経緯で主の言葉を語るのか」と、彼自身が示されていない知らない事や、答えようがない追求をされ、物怖じする彼の様を見て、ついには、「気が変な人」の戯れ言として片付けられてしまうだろう。
御言葉を伝えたなら、いつまでも居残っている必要はない。むしろ、伝えるべき事を伝えてそこに居残り、別の人間の言葉を話し出し、御言葉の権威を犯す言葉をはびこらせてしまうなら、以前よりももっと悪い事になってしまう。しかし、宣言すべき御言葉を宣言して去るなら、その場に残った御言葉が、あとはその場を支配する事になる。私たちは、自分のの力で御言葉の権威づけを建て上げようなどと、考えない事である。
9:12 彼らは言った、「それは違います。どうぞわれわれに話してください」。そこでエヒウは言った、「彼はこうこう、わたしに告げて言いました、『主はこう仰せられる、わたしはあなたに油を注いで、イスラエルの王とする』」。
9:13 すると彼らは急いで、おのおの衣服をとり、それを階段の上のエヒウの下に敷き、ラッパを吹いて「エヒウは王である」と言った。
奇跡が起こった。気違いと思われていた人の言葉が、主の権威を帯び、そこの人々の心を支配したのだ。
このように、御言葉をそのまま語り、そこに残すなら、あとは御言葉がその人、その場を支配するのだ。