メッセージ - 主の戒めと叱責を軽んじ、キリストの系図から除外されたアマツヤ(2列王記14:1-7)
主の戒めと叱責を軽んじ、キリストの系図から除外されたアマツヤ(2列王記14:1-7)
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- 礼拝メッセージ説教音声配信 » 講解説教(旧約) » 2列王記
- 執筆 :
- pastor 2017-3-24 6:37
主の戒めと叱責を軽んじ、キリストの系図から除外されたアマツヤ(2列王記14:8-22)
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主の言葉に従ってエドムに大勝利したアマツヤだったが、彼はエドムの偶像を持ち帰りその前にひれ伏した。
そこで神は預言者を遣わし彼を戒めたが、その戒めを彼は蹴ってしまった。
さらに彼は誇り高ぶり、北イスラエルにも戦いを仕掛ける。
14:8 そこでアマジヤがエヒウの子エホアハズの子であるイスラエルの王ヨアシに使者をつかわして、「さあ、われわれは互に顔を合わせよう」と言わせたので、
14:9 イスラエルの王ヨアシはユダの王アマジヤに言い送った、「かつてレバノンのいばらがレバノンの香柏に、『あなたの娘をわたしのむすこの妻にください』と言い送ったことがあったが、レバノンの野獣がとおって、そのいばらを踏み倒した。
14:10 あなたは大いにエドムを撃って、心にたかぶっているが、その栄誉に満足して家にとどまりなさい。何ゆえ、あなたは災をひき起して、自分もユダも共に滅びるような事をするのですか」。
14:11 しかしアマジヤが聞きいれなかったので、イスラエルの王ヨアシは上ってきた。
アマツヤは北イスラエル王ヨアシュから戒められたのに、それをも聞かずに戦争を仕掛けた。
それは、実に、主がそのようにしたからである。
2歴代誌25:20 これは神から出たのであって、彼らがエドムの神々を求めたので神は彼らを敵の手に渡されるためである。
どうしてあの人はあんな事をしようとするのだろう、散々な目に遭う事は確実なのに、と思える事があるが、その本人は100%、自分がこのその道に行けばうまく行くと、信じて疑わないのである。
それはその本人が、主の道に敢えて背き、戒めを聞かないから、主が本人の欲望に任せ、災いに遭わせて立ち返らせるためである。
箴言1:22 「思慮のない者たちよ、あなたがたは、いつまで/思慮のないことを好むのか。あざける者は、いつまで、あざけり楽しみ、愚かな者は、いつまで、知識を憎むのか。
1:23 わたしの戒めに心をとめよ、見よ、わたしは自分の思いを、あなたがたに告げ、わたしの言葉を、あなたがたに知らせる。
言っても聞かないアマツヤは、散々な目に遭う事になる。
14:11b そこで彼とユダの王アマジヤはユダのベテシメシで互に顔をあわせたが、
14:12 ユダはイスラエルに敗られて、おのおのその天幕に逃げ帰った。
14:13 イスラエルの王ヨアシはアハジヤの子ヨアシの子であるユダの王アマジヤをベテシメシで捕え、エルサレムにきて、エルサレムの城壁をエフライムの門から隅の門まで、おおよそ四百キュビトにわたってこわし、
14:14 また主の宮と王の家の倉にある金銀およびもろもろの器をことごとく取り、かつ人質をとってサマリヤに帰った。
アマツヤは打ち負かされた挙句、捕らえられてしまい、エルサレムの城壁を180m近くにわたって打ち壊され、王宮の宝物も神殿の宝物もことごとく奪われ、人質もとられてしまった。
これに懲りて悔い改め、主に立ち返って静かに歩めば良かったのであるが、彼の後の人生は、そうではなかった。
14:15 ヨアシのその他の事績と、その武勇および彼がユダの王アマジヤと戦った事は、イスラエルの王の歴代志の書にしるされているではないか。
14:16 ヨアシはその先祖たちと共に眠って、イスラエルの王たちと共にサマリヤに葬られ、その子ヤラベアムが代って王となった。
14:17 ヨアシの子であるユダの王アマジヤは、エホアハズの子であるイスラエルの王ヨアシが死んで後、なお十五年生きながらえた。
アマツヤはヨアシュが死んで後、十五年、生かされたのに、その後なおも主に逆らったようである。
14:19 時に人々がエルサレムで徒党を結び、彼に敵対したので、彼はラキシに逃げていったが、その人々はラキシに人をつかわして彼をそこで殺させた。
14:20 人々は彼を馬に載せて運んできて、エルサレムで彼を先祖たちと共にダビデの町に葬った。
アマツヤは、家来の謀反によって殺された。
なぜ謀反を起こされたのか。歴代誌には書いてある。
2歴代誌25:27 アマジヤがそむいて、主に従わなくなった時から、人々はエルサレムにおいて党を結び、彼に敵したので、彼はラキシに逃げて行ったが、その人々はラキシに人をやって、彼をその所で殺させた。
彼に謀反の企てが起きたのは、「主に従わなくなった時から」である。
主の戒め、主の叱責を軽んじた故である。
主に嫌われる事をし、主から預言者によって御言葉によって戒められても、それを捨てるなら、主から災いが送られてしまうのだ。
箴言1:24 わたしは呼んだが、あなたがたは聞くことを拒み、手を伸べたが、顧みる者はなく、
1:25 かえって、あなたがたはわたしのすべての勧めを捨て、わたしの戒めを受けなかったので、
1:26 わたしもまた、あなたがたが災にあう時に、笑い、あなたがたが恐慌にあう時、あざけるであろう。
1:27 これは恐慌が、あらしのようにあなたがたに臨み、災が、つむじ風のように臨み、悩みと悲しみとが、あなたがたに臨む時である。
1:28 その時、彼らはわたしを呼ぶであろう、しかし、わたしは答えない。ひたすら、わたしを求めるであろう、しかし、わたしに会えない。
1:29 彼らは知識を憎み、主を恐れることを選ばず、
1:30 わたしの勧めに従わず、すべての戒めを軽んじたゆえ、
1:31 自分の行いの実を食らい、自分の計りごとに飽きる。
アマツヤは、マタイ1章のキリストの系図から、除外されている。
神の国の系図に入れられるのは、血筋によってではなく、信仰によってなのだ。
だから、本来系図に入ってはならないはずのカナンの遊女ラハブや、モアブ人ルツも、マタイ1章の系図に入れられたのだ。