メッセージ - 死をいのちに、災いを勝利に飲み込む主(使徒11:19-26)
礼拝説教メッセージ音声:死をいのちに、災いを勝利に飲み込む主(使徒11:19-26):右クリックで保存
韓国語通訳有 한국어예배
福音はヨッパやカイサリヤ地方ばかりでなく、地中海東側の沿岸地方の広い地域にも広がり、アンティオキアにまで広まった事がエルサレム教会に伝えられ、バルナバがそこに派遣された。
ステファノの殉教は、その時は悲しむべき事、あって欲しくない事として受け止められたかもしれないが、それが元となって聖徒達は各地に散らばり、結果、このように広い地域の多数の人々がいのちを得る事となった。
主は御名を呼ぶ者を責任を持って支え、災いの中を生かし、思いもしない祝福の道へと導いてくださるのである。
バルナバは到着した時、神の恵みを見て喜んだ。
人が動植物の成長に手を加え過ぎると逆にいのちが育たないように、人間の作った神学や宗教的勧め等を前面に押し出すなら、いのちは育たない。
アンティオキヤにおいて聖徒達は初めて「キリスト者(christianoi)」と呼ばれるようになったのは、彼らは何でもかんでも「キリスト」に持っていったからである。
種を蒔けば自然に芽が出、葉をつけ、実りをもたらすように、キリストの御言葉が蒔かれるならいのちは自動的に育ち、恵みは広がっていくものである。
バルナバはさらにサウロをタルソスから連れ帰り、アンティオキヤはますます熱く成長し、伝道の最前基地となって行った。
さて土曜、教会のある姉妹の容態が急変し、救急車で運んで診ていただいたが、芳しい状況ではなかった。
日曜礼拝後に訪問した時、死は勝利に飲み込まれたという御言葉が与えられ、この事は呪いや災いで終るものではなく、逆にいのちに飲み込まれて行くものだと語った所、彼女は苦しくか細い声であっても「アーメン」を繰り返していた。
結局手術する事になったのだが、状況はかなり悪く進行していたにもかかわらず、執刀した医者もびっくりする程奇跡的に守られていた事が分かった。
当初、先行きが見えず悲しみや落胆もあったにはあったものの、結局この一連の事によって、主はいのちと勝利で飲み込む御方だとますます知ることが出来た。
「あなたの信仰があなたを救った」と主は言われた。
確かに聖徒達は手を置いて祈ったが、誰か聖徒の按手が癒しの決定要因ではない。
自身のイエスを信じる信仰ほど、癒しの薬になるものは無いのである。
主イエスに信頼し、死をいのちに、災いを勝利に飲み込んで頂く皆さんでありますように。
イエス様の名前によって祝福します!