メッセージ - 悪がはびこる時の聖徒の在り方(2列王記18:26-37)
悪がはびこる時の聖徒の在り方(2列王記18:26-37)
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ヒゼキヤの時代、アッシリヤは神の民の敵として、圧倒的な力や武器をちらつかせ、神の民をそそのかしに来た。
この出来事は、聖書の3箇所から、すなわち、この列王記と、歴代誌と、イザヤ書の3つの視点で書き記されている。
それは、異例な事である。なぜ聖書は、そこまで繰り返しこのヒゼキヤの時代の出来事を記して来たのか。
ヘブライ思考において、ハカダされている(繰り返されている)という事は、重要な事だからしっかり心に留めなさい、という事である。
強大な悪がはびこり、神の民を苦しめる。
それは終わりの時代においても、いや、私達の日常生活において起こりうる事であるが、いかにしてそれを乗り切るか、その秘訣が、このヒゼキヤ対アッシリヤの記述に記されているのだ。
18:26 その時ヒルキヤの子エリアキムおよびセブナとヨアはラブシャケに言った、「どうぞ、アラム語でしもべどもに話してください。わたしたちは、それがわかるからです。城壁の上にいる民の聞いているところで、わたしたちにユダヤの言葉で話さないでください」。
18:27 しかしラブシャケは彼らに言った、「わたしの主君は、あなたの主君とあなたにだけでなく、城壁の上に座している人々にも、この言葉を告げるためにわたしをつかわしたのではないか。彼らも、あなたがたと共に自分の糞尿を食い飲みするに至るであろう」。
敵は、自分たちにわかりやすい言葉で語りかけて来る。
それは、暴力的な脅し文句であり、また汚らわしい言葉である。
彼らはなぜ、アラム語ではなく、ユダの言葉で語って来たか。それは、城壁を守る者達を恐れを掻き立てるためであり、城壁を守る者が、主君であるヒゼキヤに対する信頼を無くさせるためである。
18:28 そしてラブシャケは立ちあがり、ユダヤの言葉で大声に呼ばわって言った。「大王、アッスリヤの王の言葉を聞け。
18:29 王はこう仰せられる、『あなたがたはヒゼキヤに欺かれてはならない。彼はあなたがたをわたしの手から救いだすことはできない。
18:30 ヒゼキヤが「主は必ずわれわれを救い出される。この町はアッスリヤ王の手に陥ることはない」と言っても、あなたがたは主を頼みとしてはならない』。
神の民に敵対する者達の本音は、彼らが主に寄り頼む事を止めさせたい、という所に尽きる。
ヒゼキヤは人々に、主に寄り頼み、主に信頼するように伝えて来て、また行動して来た。
しかし、その信仰の志をくじかせてくる。口先で主に依り頼むと言って何になるのか、現実的に力自分たちの力はこんなにすごいのだぞ、と。
そして、さんざん力を見せつけ、脅した後は、甘い言葉で畳み掛けてくる。
18:31 あなたがたはヒゼキヤの言葉を聞いてはならない。アッスリヤの王はこう仰せられる、『あなたがたはわたしと和解して、わたしに降服せよ。そうすればあなたがたはおのおの自分のぶどうの実を食べ、おのおの自分のいちじくの実を食べ、おのおの自分の井戸の水を飲むことができるであろう。
18:32 やがてわたしが来て、あなたがたを一つの国へ連れて行く。それはあなたがたの国のように穀物とぶどう酒のある地、パンとぶどう畑のある地、オリブの木と蜜のある地である。あなたがたは生きながらえることができ、死ぬことはない。ヒゼキヤが「主はわれわれを救われる」と言って、あなたがたを惑わしても彼に聞いてはならない。
暴力的な言葉でさんざん脅し、また暴力を振るわれた後に、甘い言葉でささやきかけてくる。それでころっと騙されてしまう人は多い。
DVの被害に遭っている人が、なかなか警察に通報しないのは、この、暴力の後の甘い言葉に一抹の望みをかけてしまうからだ。
18:33 諸国民の神々のうち、どの神がその国をアッスリヤの王の手から救ったか。
18:34 ハマテやアルパデの神々はどこにいるのか。セパルワイム、ヘナおよびイワの神々はどこにいるのか。彼らはサマリヤをわたしの手から救い出したか。
18:35 国々のすべての神々のうち、その国をわたしの手から救い出した者があったか。主がどうしてエルサレムをわたしの手から救い出すことができよう』」。
サマリヤ、そこは北イスラエル王国の首都だった所である。
ようするに、北イスラエル王国は最後、主により頼まずに、この、セパルワイム、ヘナおよびイワの神々により頼んでいた、という事だ。
神の民が、神である主を捨てて、異邦の神々により頼む。それでは、負けて当然である。
しかしアッシリヤは、あたかも自分たちがその神々に勝った、と豪語している。
18:36 しかし民は黙して、ひと言も彼に答えなかった。王が命じて「彼に答えてはならない」と言っておいたからである。
敵の脅しや甘い言葉に対して、何も答えるな、それは最善策である。
焦ったり、恐れたり、混乱している時、口から発する言葉や決定してしまう事は、ほぼ、物事をもっと悪くしてしまうからだ。
なぜ、敵がこのようにはびこるのだろうか。それは、主の許しの元である。
黙示録13:5 この獣には、また、大言を吐き汚しごとを語る口が与えられ、四十二か月のあいだ活動する権威が与えられた。
13:6 そこで、彼は口を開いて神を汚し、神の御名と、その幕屋、すなわち、天に住む者たちとを汚した。
13:7 そして彼は、聖徒に戦いをいどんでこれに勝つことを許され、さらに、すべての部族、民族、国語、国民を支配する権威を与えられた。
神はなぜ、邪悪で汚れた敵がはびこる事を許されるのか。
それは計り知る事はできないが、すくなくとも、敵がはびこっている間、聖徒達には、忍耐と、主への信仰の貫きとを、世に対し、人やサタンに対し、そして、神に対して示す機会となっている事は、否みようがない事実である。
だから、敵がはびこっている時こそ、聖徒達は主に向かい、助けをもとめ、ますます主に近づく必要がある。
黙示録13:10 とりこになるべき者は、とりこになっていく。つるぎで殺す者は、自らもつるぎで殺されねばならない。ここに、聖徒たちの忍耐と信仰とがある。
ヒゼキヤはこの事によってますます主に向かい、主に助けていただき、最終的に彼は有名になって、主の栄光が轟き渡る事となる。
全ての事は主の栄光のため、そして義人と悪人がふるい分けられるためである。
このように悪がはびこっている時、聖徒達がいかにして乗り越えるべきか、その秘訣が、詩篇37篇に記されている。
詩篇37:1 ダビデの歌 悪をなす者のゆえに、心を悩ますな。不義を行う者のゆえに、ねたみを起すな。
37:2 彼らはやがて草のように衰え、青菜のようにしおれるからである。
37:3 主に信頼して善を行え。そうすればあなたはこの国に住んで、安きを得る。
37:4 主によって喜びをなせ。主はあなたの心の願いをかなえられる。
37:5 あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ、主はそれをなしとげ、
37:6 あなたの義を光のように明らかにし、あなたの正しいことを真昼のように明らかにされる。
主に信頼して善を行う事、主を喜びとする事、道を主にゆだねる事、それが、悪人が栄えている時に為すべき時である。
そうすれば、その者共は草のように衰え、青草のようにしおれる。
そして主は、その人の正しい事を真昼のように明らかにされる。
37:7 主の前にもだし、耐え忍びて主を待ち望め。おのが道を歩んで栄える者のゆえに、悪いはかりごとを遂げる人のゆえに、心を悩ますな。
37:8 怒りをやめ、憤りを捨てよ。心を悩ますな、これはただ悪を行うに至るのみだ。
37:9 悪を行う者は断ち滅ぼされ、主を待ち望む者は国を継ぐからである。
37:10 悪しき者はただしばらくで、うせ去る。あなたは彼の所をつぶさに尋ねても彼はいない。
37:11 しかし柔和な者は国を継ぎ、豊かな繁栄をたのしむことができる。
書いてあった。柔和な者は国を継ぎ、豊かな繁栄をたのしむことができる、と。
主に信頼する柔和な者は、豊かな繁栄を楽しむ事が出来るのだ。
この終わりの時代、悪がはびこっている時代、この時こそ聖徒達はますます聖なるものとされていくべきである。
黙示録22:11 不義な者はさらに不義を行い、汚れた者はさらに汚れたことを行い、義なる者はさらに義を行い、聖なる者はさらに聖なることを行うままにさせよ」。
22:12 「見よ、わたしはすぐに来る。報いを携えてきて、それぞれのしわざに応じて報いよう。