メッセージ - 御前に出る時に用意すべきものと、脱ぎすてるべきもの(伝道者の書5:1-7)
御前に出る時に用意すべきものと、脱ぎすてるべきもの(伝道者の書5:1-7)
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5:1 神の宮に行く時には、その足を慎むがよい。近よって聞くのは愚かな者の犠牲をささげるのにまさる。彼らは悪を行っていることを知らないからである。
5:2a 神の前で軽々しく口をひらき、また言葉を出そうと、心にあせってはならない。神は天にいまし、あなたは地におるからである。
ここは、KJVを直訳するなら、次のようになる。
「愚かないけにえをささげるよりも、聞く準備をせよ。悪とされないために。」
私達は主の御前に出る時、聞く耳の準備をし、そしてそれを聞いたなら守り行うという意志を持って、のぞむべきだ。
聞く準備なしに、礼拝出席するとするなら、それは愚かないけにえであり、聞く準備なしに出席するよりは、むしろ、出席しないほうがいい。
なぜなら、その聞く耳なしの存在は、御前に汚物のような存在となり、主を不愉快にさせ、他の礼拝者を不愉快にさせるからだ。
主の御前に進み出る時に、脱ぎ捨てるべきものがある。
出エジプト記3:4 主は彼がきて見定めようとするのを見、神はしばの中から彼を呼んで、「モーセよ、モーセよ」と言われた。彼は「ここにいます」と言った。
3:5 神は言われた、「ここに近づいてはいけない。足からくつを脱ぎなさい。あなたが立っているその場所は聖なる地だからである」。
主は、主の御前だと知らずに来たモーセに、ここに近づいてはならない、くつを脱げ、と命じた。
私達も、主の御前に進み出る時、脱ぎ捨てるべき二つのくつがある。
伝道者の書5:2b それゆえ、あなたは言葉を少なくせよ。
5:3 夢は仕事の多いことによってきたり、愚かなる者の声は言葉の多いことによって知られる。
脱ぎ捨てるべき二つの靴の一つ目は、私達の口から出てくる言葉であり、ふたつ目は「夢」、それも、仕事の多い事によって来る夢である。
人はみずから、あれをしよう、これをしようとして色々な夢を見るが、礼拝に進み出る時にはそれを置くべきである。
夢が、主の御前に進み出る事をさまたげるものなら、その仕事や夢のほうを捨てるべきなのだ。
5:4 あなたは神に誓いをなすとき、それを果すことを延ばしてはならない。神は愚かな者を喜ばれないからである。あなたの誓ったことを必ず果せ。
5:5 あなたが誓いをして、それを果さないよりは、むしろ誓いをしないほうがよい。
5:6 あなたの口が、あなたに罪を犯させないようにせよ。また使者の前にそれは誤りであったと言ってはならない。どうして、神があなたの言葉を怒り、あなたの手のわざを滅ぼしてよかろうか。
口、それは災いをもたらすものである。
ツゥムというヘブライ語は、断食を意味するが、元々の意味は、覆うこと、すなわち、口を覆う事であり、それがすなわち食べない事、断食、となった。
食べない断食をするよりも、むしろ、口からむなしい言葉を発しないという断食をこそすべきであると、イザヤ58章に記されている。
サウルは聞く耳持たずして、愚かないけにえをささげた。
1サムエル15:7 サウルはアマレクびとを撃って、ハビラからエジプトの東にあるシュルにまで及んだ。
15:8 そしてアマレクびとの王アガグをいけどり、つるぎをもってその民をことごとく滅ぼした。
15:9 しかしサウルと民はアガグをゆるし、また羊と牛の最も良いもの、肥えたものならびに小羊と、すべての良いものを残し、それらを滅ぼし尽すことを好まず、ただ値うちのない、つまらない物を滅ぼし尽した。
彼は、主からの「滅ぼし尽くせ」という言葉に従わず、一部を滅ぼし、一部を惜しんで滅ぼさなかった。
それはすなわち、主の命令を破った、という事である。
15:13 サムエルがサウルのもとへ来ると、サウルは彼に言った、「どうぞ、主があなたを祝福されますように。わたしは主の言葉を実行しました」。
彼は祝福の元である主の命令を自ら破ったのに主の祝福をいい、実行していないのに、実行しましたと言った。
まさに軽々しくおろかな唇である。
サムエルからなおも指摘されても、彼は言う。
15:20 サウルはサムエルに言った、「わたしは主の声に聞き従い、主がつかわされた使命を帯びて行き、アマレクの王アガグを連れてきて、アマレクびとを滅ぼし尽しました。
15:21 しかし民は滅ぼし尽すべきもののうち最も良いものを、ギルガルで、あなたの神、主にささげるため、ぶんどり物のうちから羊と牛を取りました」。
主の言葉がそこにあるのに、その周りにたくさんの身勝手な言葉で装飾し、夢を見ると、それは愚かな言葉となる。
伝道者の書5:7 夢が多ければ空なる言葉も多い。しかし、あなたは神を恐れよ。
私達は主の御前に進み出る時、聞くべき耳を用意し、そして脱ぐべき靴である虚しい言葉をぬいで、また、虚しい夢をぬいで、主に喜ばれる礼拝者となるべきである。