メッセージ - 目の前で子を虐殺され、目をえぐられ連行されたイスラエル最後の王(2列王記25:1-7)
目の前で子を虐殺され、目をえぐられ連行されたイスラエル最後の王(2列王記25:1-7)
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- 執筆 :
- pastor 2017-7-5 8:17
目の前で子を虐殺され、目をえぐられ連行されたイスラエル最後の王(2列王記25:1-7)
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ついに、第二列王記の最終章である。
元々、列王記は、サムエル記と共に一つの歴史書だったものが分割されたものであり、ギリシャ語聖書の70人訳聖書で第一・第二サムエル記を「王国の第1・2」と、列王記は「王国の第3・4」としたものであるが、その最後は、エルサレムの崩壊と、ダビデの子孫の王がバビロンへ捕囚される所で終わる。
25:1 そこでゼデキヤの治世の第九年の十月十日に、バビロンの王ネブカデネザルはもろもろの軍勢を率い、エルサレムにきて、これにむかって陣を張り、周囲にとりでを築いてこれを攻めた。
バビロン捕囚前の最後の王ゼデキヤは、バビロンの王に反逆したのが前章の最後であった。
徹底抗戦する、それは勇ましく見えるが、その動機は卑しいものだった。
預言者エレミヤは、エホヤキムの治世のはじめからおよそ11年の間、バビロンに首を差し出して憩うように言って来たが(エレミヤ27:1-11)、エホヤキムは聞かずに反逆した。
それは、真摯な主の預言に従わず、耳障りのよい、偽預言者や占い師、卜者、呪術者の言葉に聞き従ったからだ。
さらにゼデキヤに対しても、エレミヤは同様の助言をした。
エレミヤ27:12 わたしはユダの王ゼデキヤにも同じように言った、「あなたがたは、バビロンの王のくびきを自分の首に負って、彼とその民とに仕え、そして生きなさい。
27:13 どうしてあなたと、あなたの民とが、主がバビロンの王に仕えない国民について言われたように、つるぎと、ききんと、疫病に死んでよかろうか。
27:14 あなたがたはバビロンの王に仕えることはないとあなたがたに告げる預言者の言葉を聞いてはならない。彼らがあなたがたに預言していることは偽りであるからだ。
27:15 主は言われる、わたしが彼らをつかわしたのではないのに、彼らはわたしの名によって偽って預言している。そのために、わたしはあなたがたを追い払い、あなたがたと、あなたがたに預言する預言者たちを滅ぼすようになるのだ」。
27:16 わたしはまた祭司とこのすべての民とに語って言った、「主はこう仰せられる、『見よ、主の宮の器は今、すみやかに、バビロンから返されてくる』とあなたがたに預言する預言者の言葉を聞いてはならない。それは、彼らがあなたがたに預言していることは偽りであるからだ。
27:17 彼らのいうことを聞いてはならない。バビロンの王に仕え、そして生きなさい。どうしてこの町が荒れ地となってよかろうか。
しかしあいにく、ゼデキヤも、虚しい偽預言に従ってしまった。
偽預言者と本物の預言者の見極めはいかにすればよいか。
その方法は、明確に書いてある。
エレミヤ28:9 平和を預言する預言者は、その預言者の言葉が成就するとき、真実に主がその預言者をつかわされたのであることが知られるのだ」。
申命記18:20 ただし預言者が、わたしが語れと命じないことを、わたしの名によってほしいままに語り、あるいは他の神々の名によって語るならば、その預言者は殺さなければならない』。
Deu 18:21 あなたは心のうちに『われわれは、その言葉が主の言われたものでないと、どうして知り得ようか』と言うであろう。
Deu 18:22 もし預言者があって、主の名によって語っても、その言葉が成就せず、またその事が起らない時は、それは主が語られた言葉ではなく、その預言者がほしいままに語ったのである。その預言者を恐れるに及ばない。
また、偽預言者に対して、主は次のように語っている。
申命記18:20 ただし預言者が、わたしが語れと命じないことを、わたしの名によってほしいままに語り、あるいは他の神々の名によって語るならば、その預言者は殺さなければならない』。
黙示録19:20 しかし、獣は捕えられ、また、この獣の前でしるしを行って、獣の刻印を受けた者とその像を拝む者とを惑わしたにせ預言者も、獣と共に捕えられた。そして、この両者とも、生きながら、硫黄の燃えている火の池に投げ込まれた。
主の、偽預言者に対するさばきは、非常に厳しい。
なぜなら、主の御名を用いて、滅びなくてもよい人を欺いて滅びへと導いてしまうからだ。
イスラエルに対して口当たりの良い預言をし、エレミヤに対抗した偽預言者ハナヌヤは、その言葉が成就する事なく、その年の内に死んだ。(エレミヤ28章)
しかし、ゼデキヤはそれでもエレミヤに言葉に聞かず、耳当たりの良いハナヌヤの言葉の通りにしてしまった。
その結果、エレミヤの言葉の通りの事が起きてしまう。
25:2 こうして町は囲まれて、ゼデキヤ王の第十一年にまで及んだが、
25:3 その四月九日になって、町のうちにききんが激しくなり、その地の民に食物がなくなった。
3年に及ぶエルサレム包囲の結果、ききんがとてつもなくひどくなった様が、エレミヤ哀歌2章に記されている。
哀歌2:11 わが目は涙のためにつぶれ、わがはらわたはわきかえり、わが肝はわが民の娘の滅びのために、地に注ぎ出される。幼な子や乳のみ子が町のちまたに/息も絶えようとしているからである。
2:12 彼らが、傷ついた者のように町のちまたで/息も絶えようとするとき、その母のふところにその命を注ぎ出そうとするとき、母にむかって、「パンとぶどう酒とは/どこにありますか」と叫ぶ。
なぜ、食糧難になってしまったのか、その理由が続く節に記されている。
哀歌2:13 エルサレムの娘よ、わたしは何をあなたに言い、何にあなたを比べることができようか。シオンの娘なるおとめよ、わたしは何をもってあなたになぞらえて、あなたを慰めることができようか。あなたの破れは海のように大きい、だれがあなたをいやすことができようか。
2:14 あなたの預言者たちはあなたのために/人を欺く偽りの幻を見た。彼らはあなたの不義をあらわして/捕われを免れさせようとはせず、あなたのために人を迷わす偽りの託宣を見た。
つまり、偽預言に従ったゆえである。
私達は偽預言をしっかり見極めなくてはならず、その者に対しては寛容になっては決してならない。
自分自身を滅ぼし、周りをも滅ぼす事になってしまうからだ。
2列王記25:4 町の一角がついに破れたので、王はすべての兵士とともに、王の園のかたわらにある二つの城壁のあいだの門の道から夜のうちに逃げ出して、カルデヤびとが町を囲んでいる間に、アラバの方へ落ち延びた。
25:5 しかしカルデヤびとの軍勢は王を追い、エリコの平地で彼に追いついた。彼の軍勢はみな彼を離れて散り去ったので、
25:6 カルデヤびとは王を捕え、彼をリブラにいるバビロンの王のもとへ引いていって彼の罪を定め、
25:7 ゼデキヤの子たちをゼデキヤの目の前で殺し、ゼデキヤの目をえぐり、足かせをかけてバビロンへ連れて行った。
ついにエルサレム城壁が破られ、主だった人々は連行されてしまった。
モーセの時代から語られていた事は、主の御声に聞き従わない事を続けるなら、これらの事が起きてしまう事は言われ続けていたが、しかし少なくともゼデキヤがエレミヤの言葉に従っていたなら、それは成就しなかったはずである。(エレミヤ27章)
しかしそれに聞かなかった。それで、彼は、目の前で自分の子が虐殺され、その目はえぐり取られ、足かせにつながれて連行されて行ってしまった。
いかにダビデの子孫といえども、どんな血族であろうとも、主の御言葉軽んじ、逆らい続けるなら、これらの事が起きてしまう。
これは、現代生きる私達に対する警告である。
いかにクリスチャンであろうとも、主に忌み嫌われる事を続け、御言葉に沿った警告を聞いても改めないなら、御言葉に記されている通りの災いが追いついていしまうのだ。