メッセージ - 全てはイエスに集約される(使徒13:13-25)
礼拝説教メッセージ音声:全てはイエスに集約される(使徒13:13-25):右クリックで保存
韓国語通訳有 한국어예배
パウロはピシディアのアンティオキヤ(新改訳:アンテオケ)に着くと、安息日に会堂に入った。
パウロ達が色々な地方へ回って福音を伝える時は、まずその地方の会堂、あるいはユダヤ人達が集まりそうな場所を見つけ、そこでイエスを伝えるのが、主なやり方である。
彼らはイエスが主である事を真っ先には話さず、まず切り出したのは、イスラエルの歴史からであった。
かつてペテロやステファノがメッセージした時と同様、イエスを伝える上では、イスラエルの歴史は決して外す事は出来ない。
なぜなら律法と預言者は、全てイエスを指し示しているからである。
ステファノ(新改訳:ステパノ)を迫害したユダヤ人達の歴史観は、あくまで自分中心、自民族の栄光が中心であった。
しかしステファノは、神が主体の歴史観、すなわち、神に反逆しっぱなしのイスラエルの恥の歴史を語ったが故に、彼は殺されてしまった。
しかし神こそが世界を支配する主であり、人類の救いの一環として、アブラハムひいてはイスラエル民族を一方的に選んだのである。
神が彼らを祝福し、増やしたのは、アブラハムや先祖達が偉かったからでないし、彼らだけを救うためでもない。
全人類を救うために、アブラハムを選び、イスラエル民族として増やし、彼らに神の言葉を委ねたのである。
しかし彼らは増え広がったとたん、何度も反逆をしていく事になり、神はおよそ四十年の間、荒野で彼らの行ないに「耐え」た。(18節)
その後、神は時代時代において導く者を立てたが、そのうち民衆は目に見えない神ではなく、目に見える王を求めるようになり、
そこでキシュの子サウルを王として立てたが、彼は従順でなかったため退け、神はダビデを選んだ。
イスラエル民族は幾たびかの不従順をしつつも、神は救いのご計画を立て、成就して行ったのである。
そもそも律法と預言者はなぜあるのか、という、基本過ぎて誰も疑問に思う事さえ無くなってしまったような疑問を、イエスという御方を答えとして、パウロは説明したのである。
パウロは洗礼者ヨハネについても説明した。
人々からもしやこれがメシヤ?と期待しされていたヨハネも、明確に「私がメシヤではない」「私はメシヤのサンダル紐さえ解く価値が無い」と明言したのである。
以上のように、全ての律法、預言者、ヨハネも、イエスこそ主であると証言しているわけである。
この天声教会の名前の由来も、そのような私達でありたいという理由でつけられ、
天から声が下って来た声は、モーセでもエリヤでもなく、イエスに聞くように御言葉は明言している。(マタイ17:4,5)
礼拝メッセージの中には色々な奨励もあるが、最も大切な事は、イエスこそ主であり、皆が聞くべき御方はイエスキリスト、という事である。
あの人この人ではなく、イエスに聞く皆さんでありますように。
イエス様の名前によって祝福します!