メッセージ - 歴代誌概要(1歴代誌1:1-4)
歴代誌概要(1歴代誌1:1-4)
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講解説教は本日より歴代誌に入る。
歴代誌は、預言者の言行録や、王たちの書、また、諸々の注解など、多くの資料を基にしているが、誰がこれをまとめ、記したかを示す箇所は無い。
ユダヤ人の伝承では、著者をエズラとしている。
歴代誌の内容は、そのままエズラ記に続けるなら内容的に非常にマッチするし、そして、歴代誌の内容は、バビロン捕囚後の諸々の危機に際し、エズラがイスラエルの民を鼓舞した精神と、非常によく一致している。
バビロン捕囚後のイスラエルには、周辺諸国の圧迫という危機があったため、イスラエルのアイデンティティを鼓舞する必要があったし、長らくバビロンにいたために神殿礼拝が軽んじられてしまっている現状に対し、礼拝の復興を鼓舞する必要があったし、また、異邦人との結婚・血筋の混濁がはびこりつつあり、せっかく主がバビロンから開放して新しい歩みだしをして行こうとしていたというのに、またしても捕囚前の堕落した時代に逆戻りしようとしていたため、捕囚前の堕落した王達がいかなる道を辿ったかを示す必要があった。
歴代誌は、まさに捕囚後のイスラエルの民が生きるべきエッセンスが詰まっている。
第一歴代誌1章から9章までは、アダム以来の系図が記されており、イスラエルのアイデンティティはどこにあるのかをまさに示している。
10章から第一歴代誌の終わりまでの所には、神殿がいかに荘厳に造られたかが記されており、神殿こそがイスラエルのアイデンティティである事を強調している。
また、第二歴代誌には、この神殿を、すなわち礼拝を軽んじた王がいかに呪われ、尊んだ王がいかに祝福されたか、その歴史が記されている。
系図はファミリーツリーであるが、歴代誌において幹となっている部族は、レビ族とユダ族である。
それは、バビロン捕囚から帰還しイスラエルに定住しに来た部族がそれだからだ。
10章から第二歴代誌に至るまでは、特にダビデとソロモンの、神殿建設に関わった事が記されている。
サムエル記におけるダビデは、サウルとの葛藤や苦悩、またバテ・シェバとの罪など、人間味溢れる所が豊かに記されているが、歴代誌におけるダビデはむしろ神殿建設のために努力したダビデが記されている。
彼がいかに神殿建設の準備をし、いかに礼拝組織や聖歌隊を編成したか、また、彼の子ソロモンがいかに神殿建設をしたか、列王記には無い詳細な内容が記されている。
そして第二歴代誌は、ソロモン以降の王達の歩みが記されているが、ここで繰り返し強調されている事は、神を畏れ神殿を重んじた王たちは祝福され、それを軽んじた王達は呪われている事である。
まさに、バビロン捕囚後の人々に必要な警告と養いが、歴代誌の中にある。
歴代誌はヘブライ語ではディブレー・ハッヤーミーム、「日々の出来事」の意味である。
ユダヤ教の聖書(タナク、私達が言う旧約聖書)は、トーラー(モーセ五書)、ネビイーム(預言者)、ケトゥビーム(諸書)に分かれており、歴代誌はケトゥビーム(諸書)の最後に位置する。すなわち、ユダヤ人の聖書では、一番最後の書である。
列王記はネビイーム(預言者)の中に入っており、ヨシュア記や士師記などの歴史と、イザヤやエレミヤなどの預言書と同じカテゴリにある。
それに対し、歴代誌は、ケトゥビーム(諸書)、すなわち詩篇や箴言、伝道書など、神様との関係の中で生まれた文学類と同じカテゴリの中にある。
歴代誌、それはユダヤ人の「日々の出来事」であり、私達にとっても「日々の出来事」である。
内容としては、ユダヤ人の系図や神殿、王達の歴史と、私達異邦人には全く関係のないものであるかのように見えがちだが、決してそんな事はない。
なぜなら系図は私達の先祖アダムに始まり、また信仰者の先祖・アブラハム以降の系図は、まさに私達の系図であるからだ。
そして私達が、現代のまことの神殿であるキリストを、いかなる態度で礼拝するべきか、彼を敬うものはいかに祝福され、また軽んじるものはいかに呪われるか、それはそのまま私達に当てはまる事だからである。
歴代誌は、私達と、神様との関係を根底に置きながら、読み進めて行くべきである。
読み進めるにつれて、私達が歩むべき日々の姿を学んでいきたい。