メッセージ - 出所不明でありながらも祝福された人達の系図(1歴代誌4:1-23)
出所不明でありながらも祝福された人達の系図(1歴代誌4:1-23)
Youtube動画
(音声データは毎週土曜日にアップ予定です)
4章前半は、ユダ族の補足的系譜が記されている。
3章は、ダビデ王家という非常に立派な血筋であるにもかかわらず、呪われてしまった暗い歴史を連想させる系図であったが、4章のユダ族の系図は、それとは全く対照的である。
4章の系図に名を連ねる人達は、系譜的つながりが不明な人達が大部分を占める。
しかし、信仰によって進み出て、祝福された人達が、名を連ねている。
この3章につづいて4章のタイミングに、この出所不明な人達の名が載せてある事には、いかに血筋がしっかりした人であっても、主を軽んじ御言葉を疎かにするなら呪われるが、いかに出所が不明であろうとも、神である主に信頼する者には、主は豊かに報いて下さるのだ、という、歴代誌記者の意図を垣間見るかのようである。
4:1 ユダの子らはペレヅ、ヘヅロン、カルミ、ホル、ショバルである。
4:2 ショバルの子レアヤはヤハテを生み、ヤハテはアホマイとラハデを生んだ。これらはザレアびとの一族である。
4:3 エタムの子らはエズレル、イシマおよびイデバシ、彼らの姉妹の名はハゼレルポニである。
4:4 ゲドルの父はペヌエル、ホシャの父はエゼルである。これらはベツレヘムの父エフラタの長子ホルの子らである。
ペレツ、ヘツロンまでが系図的には主流であるが、ヘツロンの子カルミ以降は傍流である。
4:5 テコアの父アシュルにはふたりの妻ヘラとナアラとがあった。
4:6 ナアラはアシュルによってアホザム、ヘペル、テメニおよびアハシタリを産んだ。これらはナアラの子である。
4:7 ヘラの子らはゼレテ、エゾアル、エテナンである。
4:8 コヅはアヌブとゾベバを生んだ。またハルムの子アハルヘルの氏族も彼から出た。
これらの節の系図の父祖であるアシュルは、ユダ族のどの家から出たのかは、見出だされてはいない。
ただユダ族から出たという事以外、分からないのである。
なぜ彼らが記されたかは不明であるが、続く節の、そのような出所不明であっても敢えて系図に記された人達を見るなら、大体予想が出来る。
すなわち、現代は記録は残っていないものの、信仰において優れた人達であったか、当時のユダヤ人たちにとって重要な部族の父祖であったか。
4:9 ヤベヅはその兄弟のうちで最も尊ばれた者であった。その母が「わたしは苦しんで(オーツェブ)この子を産んだから」と言ってその名をヤベヅと名づけたのである。
4:10 ヤベヅはイスラエルの神に呼ばわって言った、「どうか、あなたが豊かにわたしを恵み、わたしの国境を広げ、あなたの手がわたしとともにあって、わたしを災から免れさせ、苦しみ(オーツェブ)をうけさせられないように」。神は彼の求めるところをゆるされた。
ヤベツも、出所の説明なく唐突にこの箇所に現れたが、彼が祈った内容と、そして、神が彼の求めるところをゆるされた事が記されているのは、歴代誌の系図の中でも異例である。
彼の母は、彼を苦しみ(オーツェブ)の中で産んだゆえに、ヤベツという名をつけた。ダビデ(愛された者)の名からすればかなり名前負けしているが、しかしヤベツはその名前、その家系、その出生にかかわらず、彼は神に祝福された。
なぜなら、彼が神に祈り求めたからだ。
いかなる出生であっても、主は信頼する者には報いてくださる、と信じて呼び求めるなら、主はその人に目を留めて祝福して下さるのだ。
彼の祈りの内容は、「わたし」が栄えるように、という内容の「幼い信仰者」の祈りではあるが、少なくとも、彼の主と交わりを持とうとする信仰が、からしだねほどでもあるから、主はその信仰を受け取って下さったのだろう。
しかし、いつまでも幼い祈りばかりしていてはならない。信仰において練達し、生活も安定して来たなら、祈りの主人公は「わたし」から「主キリスト」にシフトし、求める事も、自分の事よりも御国の拡大する事を願い求めて行くべきなのだ。次のように記されている。
ピリピ2:21 人はみな、自分のことを求めるだけで、キリスト・イエスのことは求めていない。
2:22 しかし、テモテの錬達ぶりは、あなたがたの知っているとおりである。すなわち、子が父に対するようにして、わたしと一緒に福音に仕えてきたのである。
4:13 ケナズの子らはオテニエルとセラヤ。オテニエルの子らはハタテとメオノタイ。
4:14 メオノタイはオフラを生み、セラヤはゲハラシムの父ヨアブを生んだ。彼らは工人であったのでゲハラシムと呼ばれたのである。
ケナズの子オテニエルはヨシュア記15章や士師記1章で、信仰によって進み出て祝福を勝ち取った事が記されているが、彼もまた、系図的に出所不明なのである。
彼は信仰によって巨人の住む土地を真っ先に攻め取り、カレブの娘アクサを勝ち取ったのみならず、アクサをそそのかして、泉をも得る事が出来た。(ヨシュア記15章)
ヤベツと同じで、求める者には主は豊かに与えて下さり、探す者は見つけ出し、叩く者には開いて下さるものなのである。
4:15 エフンネの子カレブの子らはイル、エラおよびナアム。エラの子はケナズ。
あの有名なエフネの子カレブも、系図的に出所不明なのである。しかもカレブの名は、犬という意味である。
それでも彼は、信仰によって祝福を勝ち取った。
イスラエル60万もの男子が、すべて不信仰に陥って「エジプトに帰ろう」と言った時も、ヨシュアとカレブの二人は、断固主を信頼してあの約束の地に行こう、と言って信仰を貫き通した。
それで彼には、ヘブロンという信仰の父祖達が住んだ土地を得る事ができた。
4:21 ユダの子シラの子らはレカの父エル、マレシャの父ラダおよびベテアシベアの亜麻布織の家の一族、
4:22 ならびにモアブを治めてレヘムに帰ったヨキム、コゼバの人々、ヨアシおよびサラフである。その記録は古い。
4:23 これらの者は陶器を造る人で、ネタイムおよびゲデラに住み、王の用をするため、王とともに、そこに住んだ。
ここは出処元ははっきりしている。この子孫たちは、ユダの3人息子、エル、オナン、シラのうち、長男エルと次男オナンは主に忌み嫌われる事を行ったゆえに主に打たれたが、三男のシェラはこうして生き延びた、その彼の系図である。
おそらく、兄たちが主に打たれるのを次々と見て、主を恐れ、そうして子孫が残され祝福され、その子孫は亜麻布織や陶器を造る職人として、また、王の用をする者として栄えたのだ。
今回の系図が物語る事は何か。
それは、いかに出処元が不明であろうとも、あるいは、卑しい出であろうとも、主を敬い主に呼び求める者には、主は祝福の扉を開いて下さる事、そして、いかに高貴な出であろうとも、主を軽んじ御言葉に従わない者は、呪われてしまう、という事を語ってはいないだろうか。
ちょうど、異邦の遊女ラハブやルツが信仰によって栄光の家系へと入ってきたように、また、ちょうどダビデの血を引く王家であっても不信仰によって災いに遭ったように。
私達は、主を敬い、御言葉どおり行い、主に祝福された子孫を残していくものでありたい。