メッセージ - 祝福の法則を体得しているユダヤ人の秘訣(ネヘミヤ8:5-6)
祝福の法則を体得しているユダヤ人の秘訣(ネヘミヤ8:5-6)
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週報/メッセージ(説教)概要
今週はコーエン日本ラーニングセンターの学びが行われる。それに先立ち、本日はヘブライ思考はいかに確立して行ったのか、またユダヤ人は主に対し、御言葉に対し、いかに本気で取り組むようになったのか、そして、ユダヤ民族はなぜニ千年の離散を経ても一つになる事が出来たのか。その秘訣をを学びたい。
『エズラは全ての民の前にその書を開いた。彼は全ての民よりも高い所にいたからである。彼が書を開くと、すべての民は起立した。エズラは大いなる神、主をほめ、民は皆その手をあげて、「アァメン、アァメン」と言って答え、こうべをたれ、地にひれ伏して主を拝した。』(ネヘミヤ8:5-6) この節に秘訣が隠されている。
エズラ(עזרה :エホバが助ける)は、大祭司アロンの16代子孫の大祭司で、『モーセの律法に「精通した学者(「ソヘルマヘル סופר מהיר:巧みな書記(詩45:1)」』(エズラ7:6)であった。マヘル(書記官)は、聖書を全部丸暗記している。彼は頭に聖書を全部入れていたため、それを起こし、神学校をつくった。
バビロン捕囚から帰還した民は、神の言葉の書をエズラが開いた時、第一に「起立」した。起立という行動は、相手(開かれた御言葉)に対し尊敬を表す行為である。起立は少々の体力を使う行動だが、御言葉を「聞く」においても「朗読する」においても、「反応する」においても、「身体を使う」のが、ユダヤ式である。
御言葉は主イエス様ご自身であり、その御方に敬意を表すなら、相応の祝福と恵みを頂く事が出来る。
身体を使う2つ目の礼拝行為は、御言葉や賛美に対して「手を挙げ」「アーメンする」事である。アーメンאמן とは「それは真実です、真理です」「信じます」「そのようになりますように!」という同意の表明である。
キリスト教では口でアーメンを唱えるが、ユダヤでは起立し、両手を上げ「アーメン、アーメン」と同意する。
それによって口と耳が開き、心が開き、そして天が開いて、同席している人にも聖霊の働きが移って行く。
3番目の身体を使った行動は、ひれ伏す行為である。具体的には、正座したままひれ伏し、手の指先から腰まで真っ直ぐの姿勢で、膝の間に顔をうずめる。完全なる主に対する服従の姿勢である。
こうして彼らは「主を誉めたたえ」「手を揚げてアーメン、アーメン」し、そして「地に平伏して主を誉めたたえた」。ユダヤ人はこのように、主ご自身であられる御言葉に対し、身体全体を用いて敬意を表す事によって、御言葉なる主が、脳に、身体に、そして魂に、霊に刻み込まれ、霊魂体の全てが活性化されるのだ。
彼らがエズラの御言葉を学んで分かったのは、自分達は御言葉教育を受けておらず、御言葉を知らない、御言葉を守り行わなかった、それでこうなったのだ、と。そこで彼らは、神の言語・ヘブライ語の御言葉を子々孫々へ伝授し、体質化しようとして始めたのが、ヘブライ語の御言葉暗唱(テフィリン)教育である。
人は何か事が起きた時、それに対する考えや解釈、とっさに出る反応や対処は、幼児体験や記憶、刻まれて来た言葉に基づく。もしその人の記憶が、否定的・消極的な「ことば」で満たされていたなら、事が起きた時、消極的・否定的な考えや反応しか出ない。しかしもし、その人の中が、超・積極的な、いのちに溢れた神の言葉で満たされていたら、どうだろう。ユダヤ人は、母の胎にいる時からその教育を受けて来たのだ。
私達異邦人は、元々御言葉がない環境に生まれ、何が神に喜ばれ、創造者の御胸にかなった生き方は何か、成功法則も失敗法則も何も知らずに育った。ほしいままに御言葉に反した生き方をしようとしては呪われ、傷つき、わけも分からず、ぶつかりながら生きて来たが、そんな私達でも、御言葉暗唱して、心と記憶と唇を「御言葉」で満たすなら、主に喜ばれる、いのちの溢れた生き方が体質化されて行くわけである。
私達は意思をもって自分なりに考え、判断し、評価する。しかし世界は御言葉によって創造され、万物は御言葉法則によって成り立っている。ヘレニズム思考(ギリシア思考)に毒された私達異邦人は、その御言葉さえ評価・判断・批判の対象にしてしまうが、ユダヤ人は、その万物の法則たる御言葉が思考の根幹にあり、御言葉を通して、物事を判断し、対処し、行動するのだから、異邦人は彼らにかなうはずがないのだ。
ユダヤ人は御言葉暗唱と、子供への徹底した伝授ゆえに、世界のどこに散らされても成功し、そして2千年もの離散を経ても信仰と民族は根強く存続した。それに対しキリスト教は、伝道は熱心にしても、子供への御言葉伝授をしてこなかった故に、全世界各地で信仰復興が起きては消え、起きては消えを繰り返した。 世界5大宗教は、キリスト教以外、暗唱している。ユダヤ教、イスラム教、ヒンズー教、仏教、これらには、いのちは無いが、暗唱する故に存続している。しかし、キリスト教だけは暗唱しない故に、ただ栄枯盛衰を繰り返すだけだった。今、私達も、使徒時代に生きていたヘブライ思考に戻り、御言葉暗唱をすべき時だ。