メッセージ - 私達が目指すべき目標の地(申命記34:1-7)

私達が目指すべき目標の地(申命記34:1-7)

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礼拝メッセージ説教音声配信 » 主日礼拝
執筆 : 
pastor 2017-7-9 21:30

私達が目指すべき目標の地(申命記34:1-7)
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週報/メッセージ(説教)概要

 一昨日の未明、私の祖母の林アイコが100歳と5ヶ月で天に召された。昨日、親類一同と天声の十数名の少数で、ささやかな葬儀を行ったが、それは、私が体験したどの葬儀よりも美しく荘厳で、清らかで、そして静かな喜びに満ちていた。祖母の顔は明らかに、真の故郷に迎え入れられ、満ち足りている表情だった。
私達が目指すべき故郷は一体どこにあるのか。今回、モーセが主にとり上げられる場面から見ていきたい。

モーセが生涯を終える直前、イスラエルがいよいよ約束の地カナンを目前にした時、彼は全イスラエルに向けて最後の説教をし、それぞれに相応しい祝福をした。それが終わると彼は、主があらかじめ「そこで死ぬ」と告げられていたピスガの山を登りはじめる。彼は120歳ではあるものの、目はかすまず、気力は衰えていなかった。皆に見つめられながら登っていく彼の足取りは、しっかりしていただろう。
山頂からは、イスラエルが継ぐべき土地が、北から南に至るまで、ヨルダン川から地中海に至るまでが全部見えるが、主は言われる。あなたはそこへは、入れない、と。そしてモーセは、そこで死んだ。(4−5節)
ここで疑問が起こる。皆はあそこに入れるのに、どうして一番の功労者のモーセだけ入れないのだろうか。
私達も、思う時があるかもしれない。あの人この人は、あの幸せの中に入っている、どうして私だけが入れないのか。そして、主から「あなたはそこに入って行くことはできない」と言われる時、本当に切なさを覚える。
モーセが最後、ピスガ山を登る時、どんな心境だったのだろうか。ああ、これで人生が終わってしまう、あれができないまま、これをしないままなのに、と思っただろうか?そうではないと思われる。その根拠は・・・。

モーセが死んだ後、イスラエルの民は確かにヨルダン川を渡り、乳と蜜の流れる地を受け継いだ。しかしその2世代後、そこは呪いの地となってしまった。なぜなら彼らは、主の御言葉を軽んじ、背いたからだ。
さて、約束の地とは一体、どこにあるのだろう?神の国は一体どこにあるのだろう?
思っていないだろうか。自分はあの領域に入ったら、あの人のようになったら、神の国が成就するのだ、と。
しかし主は言われる。 「神の国は、見られるかたちで来るものではない。また『見よ、ここにある』『あそこにある』などとも言えない。神の国は、実にあなたがたのただ中にあるのだ。」(ルカ17:20-21)
だからもし、結婚したら幸せになれる、と思って結婚しても、その人の中に神の国が構築されていないなら、結婚生活は苦々しい生活となるのだ。たとえあこがれの会社に入っても、あるいはあの地位を得ても、そのに神の国が構築されていないなら、すなわち、その人が神の支配を嫌がり、自分勝手なままなら、そこは乳と蜜が流れる地ではなく、呪いの地となってしまう。ちょうどイスラエルの民が、そうだったように。
だからまず、神の国を構築する事、すなわち、神の統治をそのまま受け入れる事こそ、必要である。

ヘブル書に記されている。モーセはキリストの故に受けるそしりをエジプトの宝にまさる富と考え、見えない方を見ているようにして、忍び通した事が。信仰の先輩たちは皆、地上では寄留者であると言い表し、天にあるふるさとを求め、神はそんな彼らのために、都を用意しておられたのだ、と。(ヘブル11:13-27)
モーセの時代に、キリストは人として来ていなかったが、モーセははっきりと、信仰の目で仰ぎ見ていた。
この真の指導者がやがて来られる、彼に聞け、と彼はイスラエルの民に指示したのだ。そう、キリストこそ本題である。カナンの地ではない、地上のあの地でも、あるいは富でも地位でも状態でもない、ただ望むべきは、私達の只中におられるキリストによって支配される事。それこそ、まことの神の国である。

モーセは主に言われた。「おまえはもはや足りている(rab)。この事については、重ねてわたしに言ってはならない。」(申命記3:26) ここの「足りている(rab)」は、十分に満ちている、という意味である。
主は言われた。あなたは地上で為すべき事を十分に満たした、もう地上のカナンの地を求める必要はない、むしろ、天の故郷に帰りなさい、「人の子よ、帰れ」(詩篇90:3)と。
そして最後、彼は主の「言葉(peh:口づけ)」(申命記34:5)によって、ピスガの山で死んだ。
主は、御口から出る息によって人を生かし、御口によって息をとられる。だから、生きるにしても、死ぬにしても、何の恐れもないのだ。私たちが目指べきは、モーセも、信仰の先祖達もいる、あの天の御国である。
私達は生きる限り、そこへ心を結びつけ、やがてあの信仰の先輩たちが待つ天に上げられる者でありたい。

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