メッセージ - 主に栄光を捧げ感謝せよ(1歴代誌16:8-22)
主に栄光を捧げ感謝せよ(1歴代誌16:8-22)
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エルサレムに神の契約の箱が入った時、ダビデとイスラエルの民は大いなる喜びにあふれた。
ダビデはその時以降、聖歌隊を編成し、いつも主を褒め称える賛美を捧げるようにさせた。
8節以降36節までは、契約の箱がエルサレムに入った時に捧げられた賛美の詩篇である。
16:8 主に感謝し、そのみ名を呼び、/そのみわざをもろもろの民の中に知らせよ。
16:9 主にむかって歌え、主をほめ歌え。そのもろもろのくすしきみわざを語れ。
この詩は、ヘブライ語「ヤダー(感謝する,賛美する,告白する)」の命令で始まる。
誰に対して感謝し賛美するのか。エホバなる主に対して、である。
主に感謝を捧げ、賛美する事こそ、人間の本分であり、それをしない事を続けるなら、本来あるべき創造の意味を果たしていない事になる。
ピアノは音楽を奏でるために造られたものであって、決して踏み台にするためではないように。
せっかく高いお金を払って買ったピアノでも、使わず、何かの踏み台にばかりしているなら、はなはだもったいないように、人間も、主を賛美せず、感謝を捧げないないなら、はなはだもったいないのだ。
もし、神を知りつつも神をあがめないでいる事を続けるなら、あるいは、神に良くしていただいているのに反し、感謝しない事を続けているなら、どうなってしまうかが、ローマ1:21に記されている。
そういう人は、やがて考え方が愚かで悪辣となり、悪い事で匠に、狡猾になって行き、どんなに計算しても、どんなに考えても、ただ悪へと向かうようになり、改善の余地が無いまでになってしまう。
自分では賢いと思ってはいても、良心が退化してしまっており、知性が無く、愚かで、堕落した状態にずっと繋がり続け、闇に惹かれ続けて行き、やがて、大きな事故を起こしてしまう。
16:10 その聖なるみ名を誇れ。どうか主を求める者の心が喜ぶように。
私達が誇るべきは、主の聖なる御名である。なぜなら、私達は元々、無に等しい者であり、主が私達に能力を、知恵を賜物として与えて下さったからだ。
『兄弟たちよ。あなたがたが召された時のことを考えてみるがよい。人間的には、知恵のある者が多くはなく、権力のある者も多くはなく、身分の高い者も多くはいない。それだのに神は、知者をはずかしめるために、この世の愚かな者を選び、強い者をはずかしめるために、この世の弱い者を選び、有力な者を無力な者にするために、この世で身分の低い者や軽んじられている者、すなわち、無きに等しい者を、あえて選ばれたのである。それは、どんな人間でも、神のみまえに誇ることがないためである。
あなたがたがキリスト・イエスにあるのは、神によるのである。キリストは神に立てられて、わたしたちの知恵となり、義と聖とあがないとになられたのである。それは、「誇る者は主を誇れ」と書いてあるとおりである。』(1コリント1:26-31)
16:11 主とそのみ力とを求めよ。つねにそのみ顔をたずねよ。
私達がまず第一に求めるべきは、神の国とその義とを、である。
それを第一に求めるなら、それが与えられるのみならず、世における必要は全て満たされる事もまた付随して与えられるからだ。
16:15 主はとこしえにその契約をみこころにとめられる。これはよろずよに命じられたみ言葉であって、
16:16 アブラハムと結ばれた契約、/イサクに誓われた約束である。
続いて、ザカール(覚えよ)と命じている。
何を覚えるべきか。主の命じられた御言葉であり、その契約を、である。
主はイスラエルの民をその父アブラハムを通して召し出して下さったように、私達をも、キリストを通して召し出して下さり、神の民として下さった。
その事をいつも覚えつつ、この地上を歩んで行くのが、キリストのゆくべき歩みである。
16:19 その時、彼らの数は少なくて、/数えるに足らず、かの国で旅びととなり、
16:20 国から国へ行き、/この国からほかの民へ行った。
16:21 主は人の彼らをしえたげるのをゆるされず、/彼らのために王たちを懲らしめて、
16:22 言われた、「わが油そそがれた者たちに/さわってはならない。わが預言者たちに害を加えてはならない」と。
まさに主は、アブラハムに、イサクに、そうして下さった。
主はアブラハムをかばい、エジプトの王パロや、ペリシテの王アビメレクという王達を懲らしめ、また主はイサクをかばい、アビメレクを懲らした。
その時、アブラハムやイサクの側に落ち度があったにもかかわらず、主は、祝福すると契約を結ばれた民のほうをかばい、特別扱いされるのである。
私達も、イエス様を信じる信仰により、アブラハムの子孫とされ、神の民とされ、そして特別扱いをされるのである。
それ故、私達もまたいつも主をほめたたえ、感謝すべきである。