メッセージ - 汚れた世界の只中の小さな叫びを聞いて下さる主(ヨシュア記2章)
汚れた世界の只中の小さな叫びを聞いて下さる主(ヨシュア記2章)
第一礼拝 Youtube動画 / 音声
賛美集会〜第二礼拝 Youtube動画
賛美集会音声
第二礼拝音声
週報/メッセージ(説教)概要
邪悪な事・汚れた事・人を虐げる事を、自ら好き好んで為し、何の良心の咎めが無い者達に、神の裁きが降る事がローマ人への手紙1章に啓示されていた。そのような者達は、不朽の神の栄光を、朽ちる人間や鳥や獣や這うものの像に取り替え(ロマ1:23)、欲情に駆られて自分の体を互いに辱め、汚すままに任せられ(同24)、男女の自然な関係を不自然なものに取り換え、その乱行の当然の報いを受けた。(同26-27)
ローマ1章29-31節には、主が「死罪に値する」としている21項目が出てくるが、それらの事を自ら、好んで行い、また、それを行う者に心から同意する者達に対し、神の裁きが降ると記されている。(32節)
では、幼い時からそのような者達から被害を受けながら、自分も汚れた価値観・邪悪な習慣の中で育ってしまい、自分を変えられず、神に喜ばれるきよい価値観を知らないまま苦しんでいる人達はどうなるのか。
神は、そのような人達の叫び声も、もれなく聞いておられ(創世記4:10、19:13、ヤコブ5:4)、正しく扱われる。
今回、その一例として、そのような中から神によって見出され、救い出された遊女ラハブを見てみたい。
彼女は、弱肉強食のカナンの中、エリコという堅固な都市の、城壁の中に立て込まれた家に住んでいた。
その町の城壁に住んでる、という点では、セキュリティは保たれていたかもしれないが、彼女は遊女だった。
来る日も来る日も身売りをし、いくばくかの報酬を得ては家族に持ち帰る、という日々を送っていた。
遊女になるのを夢みてなる女の子はいないし、自分の娘や姉、妹が遊女になって欲しいと思う者もいない。
なぜそうなってしまったか。それは、自分も家族も生きて行かなくてはならなかったからであり、身勝手な者達が効率よく欲望を発散させるシステムで、そのような事が汚れた事と思わさないで育ってしまったからだ。
ラハブは、変わりたくても変わらぬ日々の中、ある噂を聞いていた。力ある唯一の神と、その民について。
その民は、力ある神に守られ、神から与えられた律法は、道徳的に優れ、弱者に優しく、それを守り行って祝福された彼らは、川向こうの強力な二人の王を滅ぼし、さらに勢いと力を増しているという。
過酷な要求ばかりして来る者達から、また、まもなく滅ぼされてしまうこの世界から、できれば救われたい。
しかし、そんな自分の思いを誰かに伝える術はなく、ただ周りは過酷な要求をしてくるばかりだった。
しかし、全能なる神は、彼女の思いを知っていた。主は御目をもってあまねく全地を見渡し、その心が、ご自分と全く一つになっている人々に御力をあらわしてくださるのだ。(2歴代誌16:9)
そんなある日、彼女の元に、二人の男が来た。彼らは今まで出会ったどんな男達とも違って、分別と秩序があり、何か任務についているようだったので、彼女は、彼らこそあの民の斥候だ、と直感した。そしてその二人の者達が来た事はすぐにエリコの王に知られる所となり、捕り手が彼女の家に来て、その扉を叩いた。
その時、彼女は意外な行動に出る。命の危険を冒して、その二人を、かくまったのだ。なぜリスクを犯してかくまったのか。それは、彼女の普段からの願いと信仰が、咄嗟に現れたからである。(ヘブル11:31)
彼女は、命の危険に晒されていた彼らに、逆に、命乞いをする。『あなたがたの神、主は上の天にも、下の地にも、神でいらせられる・・・。どうか、私があなたがたを親切に扱ったように、あなたがたも、私の父の家を親切に扱われることをいま主をさして誓い・・・私達の命を救って、死を免れさせてください。』(2:11-13)
彼女は、普段から信仰があったからこそ、この二人が来た時、咄嗟にこの告白が出て、そして実際に、救われたのだ。彼女は彼らの指示通り、窓に赤い印をつけた。エリコが裁かれる日、7人の祭司が7つの角笛を吹き鳴らした時、代々築き上げて来た城壁は崩れ去ったが、その印の内側にいた者は、全員助かった。
そして彼女は、サルモンという素晴らしい夫を得、ボアズを産み、ダビデへと続く家で生きる幸いに入った。
ヨシュアの時代、7人の祭司が7つの角笛を吹き鳴らした時、代々築き上げて来た城壁が崩れ去ったように、この世も、7人の御使いが7つのラッパを吹き鳴らす時、人類が積み上げてきた全ての英知は崩れ去り、全ては、主キリストのものとなる。(黙示11:15) 世界の滅びが近づいているとぼんやり認知し、その滅びから救われたい、今の過酷な状況から救われたい、と思う者は多いが、主は全地をあまねく探しておられる。
救いに入ろうとする志のある人を。救われるためには、ラハブのように、イエス様こそ救い主であると信仰告白をし、イエスの血という赤い印をつけ、神の民として見合った行動が必要である。その行いによって栄光の家系に加えられ、永遠に生きる皆さんでありますように!イエス様のお名前によって祝福します!