メッセージ - ダビデ契約:家を建てるのは誰か(1歴代誌17:1-14)
ダビデ契約:家を建てるのは誰か(1歴代誌17:1-14)
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今回の箇所は、いわゆる「ダビデ契約」と言われる箇所である。
17:1 さてダビデは自分の家に住むようになったとき、預言者ナタンに言った、「見よ、わたしは香柏の家に住んでいるが、主の契約の箱は天幕のうちにある」。
17:2 ナタンはダビデに言った、「神があなたとともにおられるから、すべてあなたの心にあるところを行いなさい」。
周囲の敵が平定され、快適な家に住むようになり、全てに安定したダビデは、自分によくして下さった主を愛する心のゆえに、主のために家を建てたい、という願いが起こされ、預言者ナタンに相談した。
ところが神の答えは、意外なものだった。
17:3 その夜、神の言葉がナタンに臨んで言った、
17:4 「行ってわたしのしもべダビデに告げよ、『主はこう言われる、わたしの住む家を建ててはならない。
17:5 わたしはイスラエルを導き上った日から今日まで、家に住まわず、天幕から天幕に、幕屋から幕屋に移ったのである。
17:6 わたしがすべてのイスラエルと共に歩んだすべての所で、わたしの民を牧することを命じたイスラエルのさばきづかさのひとりに、ひと言でも、「どうしてあなたがたは、わたしのために香柏の家を建てないのか」と言ったことがあるだろうか』と。
主の答えは「わたしの住む家を建ててはならない。」だった。
なぜか。それは、ダビデがリッチになって力があるから主の家を建てる、のではなく、主がダビデにそれらの富と力を与えたからだ。
使徒7:46 ダビデは、神の恵みをこうむり、そして、ヤコブの神のために宮を造営したいと願った。
7:47 けれども、じっさいにその宮を建てたのは、ソロモンであった。
7:48 しかし、いと高き者は、手で造った家の内にはお住みにならない。預言者が言っているとおりである、
7:49 『主が仰せられる、/どんな家をわたしのために建てるのか。わたしのいこいの場所は、どれか。天はわたしの王座、/地はわたしの足台である。
7:50 これは皆わたしの手が造ったものではないか』。
ダビデは、自分は快適な杉材の家に住んでいる、主にも、幕屋のような粗末な所ではなく、もっと豪勢な住まいを建てたい、と願った。
それは主を愛する心が高じての事であるが、主は、人間が建てたものにお住みになるお方ではない。
むしろ、それを建てた大工に匠の技を与えたのも、知恵を与えたのも、また、杉を山で育てたのも、そのために必要な太陽や雨を創造したのも、全部、主なのである。
17:7 それゆえ今あなたは、わたしのしもべダビデにこう言いなさい、『万軍の主はこう仰せられる、「わたしはあなたを牧場から、羊に従っている所から取って、わたしの民イスラエルの君とし、
17:8 あなたがどこへ行くにもあなたと共におり、あなたのすべての敵をあなたの前から断ち去った。わたしはまた地の上の大いなる者の名のような名をあなたに得させよう。
ダビデはリッチになった、力を得た、としても、結局ダビデは元々、羊飼いであり、その羊の園から呼び出してイスラエルの王としたのは、主であり、そしてさらに大いなる名を与えるのも、主である。
実際ダビデは、主の恵みにより、この現代においてもその名が大いなるものとされている。
17:10 かつわたしは主があなたのために家(単数形)を建てられることを告げる。
ダビデ契約の根幹は、ここである。
あなたが(人)、主のために家を建てるのではない。
わたしが、あなた(人)のために、決して廃れる事の無い、ひとつの永遠の家を建てるのだ、と。
そうである。主は、人が存在する以前から人を愛し、共に住むための家(宇宙)を創り、たとえ人が「自由意志」を用いてご自分を裏切ったとしても、十字架上でいのちを捨てて贖うほどの完全なる愛で、人を愛しておられ、ベレシート(はじめ)の前から、全てを見込んでおられたのだ。
そして、それをするのはダビデではなく、ダビデから出る「ひとりの子」であると主は定めている。
17:11 あなたの日が満ち、あなたの先祖たちの所へ行かねばならぬとき、わたしはあなたの子、すなわちあなたの子らのひとりを、あなたのあとに立てて、その王国を堅くする。
この「ひとりの子」はソロモンであるという考えはあるが、どうも次に続く節をみると、ソロモンでは役不足であることは明白である。
17:12 彼はわたしのために家を建てるであろう。わたしは長く彼の位を堅くする。
この節の前半を見ると、確かに、神殿を建てたソロモンが、その「ひとりの子」と見れる。
しかし、節の後半以降からの記述は、はたしてソロモンに当てはまるだろうか。
後の歴史を見ると、そうではない、と言わざるをえない。
17:13 わたしは彼の父となり、彼はわたしの子となる。わたしは、わたしのいつくしみを、あなたのさきにあった者から取り去ったように、彼からは取り去らない。
17:14 かえって、わたしは彼を長くわたしの家に、わたしの王国にすえおく。彼の位はとこしえに堅く立つであろう』」。
主は、ソロモンの王族から王権を取り去ってしまい、もう王は生まれない、と言われた。
あまりにも主に従わない事を続けてきたゆえだ。
『この人コニヤは/卑しむべき、こわれたつぼであろうか、だれも心に留めない器であろうか。なぜ彼とその子孫は追いやられて、知らない地に投げやられるのか。ああ、地よ、地よ、地よ、主の言葉を聞けよ。主はこう言われる、「この人を、子なき人として、またその一生のうち、栄えることのない人として記録せよ。その子孫のうち、ひとりも栄えて、ダビデの位にすわり、ユダを治めるものが再び起らないからである」。』(エレミヤ22:28-30)
では、その、ダビデから生まれる「ひとりの子」とは誰か。
それは、イエス・キリスト以外の何者でもない。
イエス様は、ソロモンの血は継いでいない。ソロモンの血を継いだヨセフと結婚する前に、乙女マリヤは身ごもったからだ。
マタイ1章にはダビデ、ソロモン、と続いてヨセフに至る系図が記されているが、ルカ3章には、ダビデ、ナタン、と続くマリヤに至る系図が記されている。
イエス様は、ダビデの子ではあっても、ソロモンの血は継いでおらず、ソロモンの子孫に宣告された「もう王は生まれない」という呪いの外におられる。
結局、永遠の神の家を建てるのは、人ではない。
神に従う人に、神は、家を建ててくださるのだ。
ルツ記3:9 「お前は誰だ」とボアズが言うと、ルツは答えた。「わたしは、あなたのはしためルツです。どうぞあなたの衣の裾を広げて、このはしためを覆ってください。あなたは家を絶やさぬ責任のある方です。」
主こそ、私達の家を建て、家を絶やさぬ責任のあるお方。
黙示録にある通り、主こそ、まことの神殿であり、人々は、その主の栄光を慕い求めて主の元に行くのみである。
黙示録21:22 わたしは、この都の中には聖所を見なかった。全能者にして主なる神と小羊とが、その聖所なのである。
21:23 都は、日や月がそれを照す必要がない。神の栄光が都を明るくし、小羊が都のあかりだからである。
21:24 諸国民は都の光の中を歩き、地の王たちは、自分たちの光栄をそこに携えて来る。
21:25 都の門は、終日、閉ざされることはない。そこには夜がないからである。
21:26 人々は、諸国民の光栄とほまれとをそこに携えて来る。