メッセージ - 心地良さの罠(使徒14:1-7)
礼拝説教メッセージ音声:心地良さの罠(使徒14:1-7):右クリックで保存
韓国語通訳有 한국어예배
ピシディアのアンティオキアから追い出されたパウロ達は、そこから南東およそ144kmに位置する町イコニオンへ行き、ユダヤの会堂に入ってそこでもイエスを伝えた。
ここでも彼らは大胆に語り、その福音が確かである証拠の徴や奇跡を行い、それによってイエスを信じる者も何人か出た。
にもかかわらず、そこでも反対する者が現れ、陥れられ、別の地方へと出て行かざるを得なくなってしまった。
このイコニオン地方において多くの苦労があり、主の力あるわざがなされ、教会もある程度育ち、これからさらに500人1000人と増えていって欲しかったのが、彼らの気持ちであろう。
それなのに反対され、扇動された民衆に命の危険に遭い、別の地方へと追い出される、と言うのは、人の目からは「失敗」のように見えるかもしれない。
しかし主の御心は、一箇所でキリストの体を肥大化させる事ではなく、各地方に散らばって、キリストの体をぽつぽつと建てていく事である。
福音は、人々を真っ二つに分ける。
「私が地上に平和をもたらすために来たと思うな。平和ではなく、剣である。」(マタイ10:34)
イエスを信じる事によって、神との間には和解が訪れるが、人との間には剣が生まれるかもしれない。
父母は敬い、子は愛し、友人達は大切にして然るべきだが、ことに「イエス様から離れなさい」という言葉だけは、別である。
その時、人間的な思いや愛情が、かえってイエスに敵対し福音を阻害するものとなる。
パウロは元々、パリサイ派の中のエリートだった。
会堂においては、それまで何年も培ってきた彼の得意分野である律法や預言者について語ったほうが受けが良かったであろうし、パウロとしても、そういう働きの方が慣れていて心地良かったかもしれない。
しかし彼は、そんなはかない心地良さよりも「イエスの御名」の方が、肉体的命よりも永遠のいのちの方がはるかに重要だったが為に、イエスの御名による福音を語った。
その結果、彼は大いに用いられ、多くの人達を永遠のいのちへと救う結果となった。
私達ももしかしたら、イエス様の故に、慣れた礼拝形式や勝手知ったる心地良さを、捨てなくてはならない時が来るかもしれない。
今までどおりで勝手を知っていて心地良いけれど、主の為には何の新しいものを生み出さない「A」という道と、今までと経験した事が無く予測不能だけれど、主が促されている「B」という道があるのなら、当然、Bの道を選ぶべきである。
主は福音のために、今まで知らなかった道を歩ませる事があるかもしれない。
主の御心を知り、行い、主の用意された道を歩んで豊かに用いられる皆さんでありますように。
イエス様の名前によって祝福します!