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メッセージ - 裁きの中でも憐れみを注ぎ、人の罪をも最善へと造り変えられる主(1歴代誌21:7-15)

裁きの中でも憐れみを注ぎ、人の罪をも最善へと造り変えられる主(1歴代誌21:7-15)

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礼拝メッセージ説教音声配信 » 講解説教(旧約) » 1歴代誌
執筆 : 
pastor 2017-10-11 6:40

裁きの中でも憐れみを注ぎ、人の罪をも最善へと造り変えられる主(1歴代誌21:7-15)
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ダビデはヨアブの忠言をふりほどいて民の数を数えたが、調査結果が出、有限なるその数字を聞いた時、ダビデの心が彼(ダビデ)を打った(2サムエル記24:10)。
全能であり無限である主を差し置いて、有限の、目に見える自分の資力に頼りを置き、周囲と自分とを比較している人は、いつも、自分の有限な力にも頼って生きなくてはならない焦燥感に追われ続けて生きていかなくてはならない。
この生き方は、無限であられる主から、無限の安全と無限の保証を得て生きる「信仰生活」に比べれば、とてつもなく不安定な生き方である。
信仰生活は、無限なる神に信頼を置いて、無限の安心を抱きながら生活するものだが、その逆の生活は、いつも自分の資力に頼みをおきながら生活するものであり、そういう人は、たとえ何億円の資産を持っていてもいつも不安におののきながら、ひたすらなお集めるしか無い。

21:7 この事が神の目に悪かったので、神はイスラエルを撃たれた。
21:8 そこでダビデは神に言った、「わたしはこの事を行って大いに罪を犯しました。しかし今どうか、しもべの罪を除いてください。わたしは非常に愚かなことをいたしました」。

ダビデがさすがな所は、彼が良心の咎めを受けた時、彼はすぐに主の御前に出て、自分の罪を告白したからだ。
呪いにいつまでもつきまとわれるコツ、いつまでもその状態から脱出できないコツは、「自分の悪さを認めない事」である。
聖書には、「ごめんなさい」という日本語が一つもない事をご存知だろうか。
聖書の価値観では、「わたしは○○の罪を犯しました」が、ごめんなさいに相当する言葉である。
ダビデは罪を犯してそれを指摘された時、「わたしは罪を犯した」とすぐに認め、それで彼は死なずに済んだ。

21:9 主はダビデの先見者ガデに告げて言われた、
21:10 「行ってダビデに言いなさい、『主はこう仰せられる、わたしは三つの事を示す。あなたはその一つを選びなさい。わたしはそれをあなたに行おう』と」。
21:11 ガデはダビデのもとに来て言った、「主はこう仰せられます、『あなたは選びなさい。
21:12 すなわち三年のききんか、あるいは三月の間、あなたのあだの前に敗れて、敵のつるぎに追いつかれるか、あるいは三日の間、主のつるぎすなわち疫病がこの国にあって、主の使がイスラエルの全領域にわたって滅ぼすことをするか』。いま、わたしがどういう答をわたしをつかわしたものになすべきか決めなさい」。

主は今回、ダビデが犯した罪の報いとして、3つの選択を与えた。
4番目の選択は無いし、何事のペナルティもなく放免されるという事も無い。
その選択肢は、いずれも、ダビデには辛いものだった。

私達もあるかもしれない。
過去に犯してしまった罪故に、非常に少ない選択肢の中から、どれかを償いとして選択しなくてはならない事が。
しかし、その「償い」を御前で成し遂げた後に、主は、さらなる最善の道を歩ませ、幸いを返して下さる。


21:13 ダビデはガデに言った、「わたしは非常に悩んでいるが、主のあわれみは大きいゆえ、わたしを主の手に陥らせてください。しかしわたしを人の手に陥らせないでください」。

ダビデは、「ききん」とか「敵」とか「疫病」とか、具体的には答えず、主の手に陥らせて下さいと言って主に委ねた。
三つの選択の中で、唯一、疫病にのみ「主(エホバ)」の御名が付されている。
ダビデは、ききんという自然の脅威や、敵という人間の手に陥るよりは、唯一主の御名がつけられている事を選んだ。
主のあわれみは、大きいからである。

21:14 そこで主はイスラエルに疫病を下されたので、イスラエルびとのうち七万人が倒れた。
21:15 神はまたみ使をエルサレムにつかわして、これを滅ぼそうとされたが、み使がまさに滅ぼそうとしたとき、主は見られて、この災を悔い、その滅ぼすみ使に言われた、「もうじゅうぶんだ。今あなたの手をとどめよ」。そのとき主の使はエブスびとオルナンの打ち場のかたわらに立っていた。

ダビデが犯した過ちは、イスラエルの多くの人々の死をもたらした。
一体主は、ダビデ一人の犯した罪ゆえに、関係の無い罪なき人々を死なせるという事を、されるのだろうか?
よく読むと、これはダビデ一人の問題ではなく、イスラエル全体の問題だったようである。

この事件の最初は、次のように始まっている。
『時にサタンが起って”イスラエル”に敵し、ダビデを動かしてイスラエルを数えさせようとした。 』(1歴代誌21:1)
『主は再び”イスラエル”に向かって怒りを発し、ダビデを感動して彼らに逆らわせ、「行ってイスラエルとユダとを数えよ」と言われた。 』(2サムエル記24:1)
これら、冒頭の言葉を見ると、どうやらダビデというより”イスラエル”に問題があり、ダビデが代表して罪を犯したような感じである。
実際、3つの災いの内容は、3つとも、イスラエル全体に災いをもたらすものである。

主は果たして、罪なき人を、故なく打たれるのであろうか?その逆である。
いと高き方の隠れ場に住み、全能なる主の陰に宿る人は、たとえ戦や病が起こって、傍らに千人が、右手に万人が倒れるような状況でも、災いは近づかないと記されている。(詩篇91篇)
実際、その災いの中心地であるエブス人オルナンの打ち場にいたオルナンは、その剣が差し向けられていた最中でも、何の身に害が及ばず、平気で麦打ちしていた。
しかし、災いはダンからベエル・シェバに至るまでの中、7万人が倒れた。
主の災いは、核爆弾のように、爆心地周辺は善人悪人誰彼かまわず災いで滅ぼすものではなく、災いが及ぶべき者・そうでない者を正確に選り分け、義人が悪人の受ける報いを受ける事が無いようにされて来た。

主は信仰者とそうでない者を「ふるい」にかけ、イスラエル全体が霊的怠慢に陥っている所に、揺さぶりをかけたのだろう。

さて、この度イスラエルに災いを降している御使いが立っていた場所は、エブスびとオルナンの打ち場だった。
実は、この場所は、とても特別な場所である。
そこは「モリヤ」と呼ばれる山(2歴代誌3:1)であり、すなわち、アブラハムがイサクを捧げた場所だ。
しかもこの場所は、後に、エルサレム神殿が建てられる所である。

モリヤの地、神殿の丘。
そこは、礼拝を捧げる地であり、罪の身代わりの備えがあり、身代わりの犠牲が捧げられ、死ぬべき罪人の罪が赦され、生かされる地である。

主のご計画は、実に計り知れない。
ダビデは確かに間違いを犯し、イスラエルは打たれたが、主は、そんな罪の結果の苦しい刈り取りさえ、「最善」へと方向修正なさるお方である。

私達は、この主のなさる事は、理解できない。私達の想像を遥かに超えて働かれるお方なのだ。
ただ、この無限であられる主に信頼し、無限の安心と保証の内に歩んでいく私達でありますように!
イエス様のお名前によって祝福します!

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