メッセージ - 悔い改めて捧げる人の捧げものを喜んで受け取り、義とし、災いを遠ざけて下さる主(1歴代誌21:16-30)
悔い改めて捧げる人の捧げものを喜んで受け取り、義とし、災いを遠ざけて下さる主(1歴代誌21:16-30)
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- 礼拝メッセージ説教音声配信 » 講解説教(旧約) » 1歴代誌
- 執筆 :
- pastor 2017-10-18 9:34
悔い改めて捧げる人の捧げものを喜んで受け取り、義とし、災いを遠ざけて下さる主(1歴代誌21:16-30)
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21:16 ダビデが目をあげて見ると、主の使が地と天の間に立って、手に抜いたつるぎをもち、エルサレムの上にさし伸べていたので、ダビデと長老たちは荒布を着て、ひれ伏した。
21:17 そしてダビデは神に言った、「民を数えよと命じたのはわたしではありませんか。罪を犯し、悪い事をしたのはわたしです。しかしこれらの羊は何をしましたか。わが神、主よ、どうぞあなたの手をわたしと、わたしの父の家にむけてください。しかし災をあなたの民に下さないでください」。
この災いは、元々イスラエル全体に問題があり、ダビデがそれに代表して罪を犯した事が引き金となって起こってしまった。(1歴代誌21:1、2サムエル記24:1)
そしてダビデは、全イスラエルを代表して執り成し、罪を犯した自分がその報いである災いを受ける事を引き換えに、全イスラエルから災いを取り除いて下さるようにと願い求める。
このように、人々を代表して自分が罪を負う性質は、モーセの性質であり(出エジプト記32:32)、パウロの性質であり(ローマ9:3)、キリストの性質である。
ヨハネ10:11 わたしはよい羊飼である。よい羊飼は、羊のために命を捨てる。
10:12 羊飼ではなく、羊が自分のものでもない雇人は、おおかみが来るのを見ると、羊をすてて逃げ去る。そして、おおかみは羊を奪い、また追い散らす。
主はダビデの身を挺した祈りに答えられる。
21:18 時に主の使はガデに命じ、ダビデが上って行って、エブスびとオルナンの打ち場で主のために一つの祭壇を築くように告げさせた。
21:19 そこでダビデはガデが主の名をもって告げた言葉に従って上って行った。
ダビデは祈った所、預言者を通し、エブスびとオルナンの打ち場という場所を指定された。
そこは特別な場所である。
21:20 そのときオルナンは麦を打っていたが、ふりかえってみ使を見たので、ともにいた彼の四人の子は身をかくした。
災いの爆心地であるにもかかわらず、オルナンとその子達は身に害が無かった。
オルナンは「エブス人」、元々、ヨシュアの時代に滅ぼされるべき対象の者であったが、彼はなぜこのエルサレムで生き残り、なおも土地を得ていたのか。
それは、オルナンが主に忠実であり、御前に喜ばれる性質の持ち主だったからである。(後述)
21:21 ダビデがオルナンに近づくと、オルナンは目を上げてダビデを見、打ち場から出て来て地にひれ伏してダビデを拝した。
オルナンは、災いを下す御使いを前にしても、なお自分の仕事である麦打ちを続けていた。
そして自分の主君であり王であるダビデが来た時は、すぐに出てきてひれ伏した。
彼は、仕事に忠実であり権威に忠実であった事が分かるが、そればかりではない。
21:22 ダビデはオルナンに言った、「この打ち場の所をわたしに与えなさい。わたしは災が民に下るのをとどめるため、そこに主のために一つの祭壇を築きます。あなたは、そのじゅうぶんな価をとってこれをわたしに与えなさい」。
21:23 オルナンはダビデに言った、「どうぞこれをお取りなさい。そして王わが主の良しと見られるところを行いなさい。わたしは牛を燔祭のために、打穀機をたきぎのために、麦を素祭のためにささげます。わたしは皆これをささげます」。
オルナンは、自分の持ち物を、いつでも、全部、「主に」捧げる準備が整えられていたのだ。
「わたしは牛を燔祭のために、打穀機をたきぎのために、麦を素祭のためにささげます。わたしは皆これをささげます」
燔祭も、たきぎも、素祭も、全部、王に献上するものではなく、主への捧げ物である。
彼は、家畜も財産も、仕事道具も、仕事で得た産物も、全部、主に捧げるつもりだったのだ。
しかし、それではダビデではなくオルナンが捧げた事になってしまう。
21:24 ダビデ王はオルナンに言った、「いいえ、わたしはじゅうぶんな代価を払ってこれを買います。わたしは主のためにあなたのものを取ることをしません。また、費えなしに燔祭をささげることをいたしません」。
21:25 それでダビデはその所のために金六百シケルをはかって、オルナンに払った。
捧げものは、自分からすすんで為すものである。
申命記 あなたのうちの男子は皆あなたの神、主が選ばれる場所で、年に三度、すなわち種入れぬパンの祭と、七週の祭と、仮庵の祭に、主の前に出なければならない。ただし、から手で主の前に出てはならない。
16:17 あなたの神、主が賜わる祝福にしたがい、おのおの力に応じて、ささげ物をしなければならない。
そういうわけで、自分の手足を使わない礼拝、自分の財布を痛めず自分の何かを犠牲にしない捧げものは有り得ず、老若男女問わず、富んでいる・貧しいも問わず、人は一人、主の前に立たなくてはならないのだ。
21:26 こうしてダビデは主のために、その所に一つの祭壇を築き、燔祭と酬恩祭をささげて、主を呼んだ。主は燔祭の祭壇の上に天から火を下して答えられた。
こちらが火をつける間もなく、天から火が降って、その捧げ物を焼きつくす。
それは明確に主が祈りを聞いて下さったしるしである。
大祭司アロンがそうだったし(レビ9:24)ギデオンがそうだったし(士師記6:21)、エリヤがそうだった。(1列王記18:24)
21:27 また主がみ使に命じられたので、彼はつるぎをさやにおさめた。
こうして、義人の執り成しによって、災いが止んだ。
罪を告白し、悔い改めの犠牲を払うなら、その人は義とされるのだ。
ヤコブ5:15 信仰による祈は、病んでいる人を救い、そして、主はその人を立ちあがらせて下さる。かつ、その人が罪を犯していたなら、それもゆるされる。
5:16 だから、互に罪を告白し合い、また、いやされるようにお互のために祈りなさい。義人の祈は、大いに力があり、効果のあるものである。
5:17 エリヤは、わたしたちと同じ人間であったが、雨が降らないようにと祈をささげたところ、三年六か月のあいだ、地上に雨が降らなかった。
5:18 それから、ふたたび祈ったところ、天は雨を降らせ、地はその実をみのらせた。
21:28 その時ダビデは主がエブスびとオルナンの打ち場で自分に答えられたのを見たので、その所で犠牲をささげた。
21:29 モーセが荒野で造った主の幕屋と燔祭の祭壇とは、その時ギベオンの高き所にあったからである。
21:30 しかしダビデはその前へ行って神に求めることができなかった。彼が主の使のつるぎを恐れたからである。
こうしてダビデは、その場所が特別な場所である事を知った。
その場所は、かつて先祖アブラハムがイサクを捧げた場所であり、そして後に、神殿が建つ場所である。