メッセージ - しもべは知っていた(ヨハネ2:1-12)
しもべは知っていた(ヨハネ2:1-12)
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イエス様が公生涯において最初に起こされた場面は、結婚式という場面だった。
結婚式、それは人生の重大なイベントであり、何か不足や粗相があったなら大きな恥となってしまう。
イエス様の最初の奇跡は、男女が一つとなる「結婚式」という場面であり、そしてその奇跡の元となった事は、人の側の「不足」であった。
2:1 三日目にガリラヤのカナに婚礼があって、イエスの母がそこにいた。
2:2 イエスも弟子たちも、その婚礼に招かれた。
2:3 ぶどう酒がなくなったので、母はイエスに言った、「ぶどう酒がなくなってしまいました」。
集う人数の公算を誤ったのか、貧乏ゆえに用意し切れなかったのか、ともかく、ぶどう酒が途中で切れてしまう、という、新郎新婦にとって大きな恥となる「不足」が起きてしまった。
普通なら、それは単なる「不足」のままで終わり、一新郎新婦の「恥」として終わってしまうものであるが、あいにく、この結婚式には、イエス様が招かれていた。
イエス様を呼び込み、イエス様を主とし、イエス様の言われた通りに行う時、その結婚式や結婚生活、あるいは、事業や諸々の活動における「不足」「死」は、単なる不足や死で終わるものではなく、神の栄光へと変えられる。
2:4 イエスは母に言われた、「婦人よ、あなたは、わたしと、なんの係わりがありますか。わたしの時は、まだきていません」。
この時点でイエス様はまだ誰の前でも奇跡を行った事が無かった。
母マリヤは、イエス様を自分の子として呼んだのであろうが、イエス様を王として、主としてでなく、低い地位として見積もって呼ぶなら、イエス様は何の関わりも持ってくださらない。
しかし、イエス様を主人とし、イエス様の言われる通りに行う「しもべ」は、イエス様の御言葉に従う事ゆえの大きなわざを見る事ができる。
2:5 母は僕たちに言った、「このかたが、あなたがたに言いつけることは、なんでもして下さい」。
ここの「僕」のギリシア語はディアコノス、「塵灰をくぐる」事の意味から、奴隷、あるいは仕え人の事である。
主人としてイエス様が言われる「御言葉」に対し、なんでも従う「しもべ」としてのスタンスが準備が整えられる時こそ、すなわち、イエス様のわざが起きる用意が整えられる時である。
2:6 そこには、ユダヤ人のきよめのならわしに従って、それぞれ四、五斗もはいる石の水がめが、六つ置いてあった。
2:7 イエスは彼らに「かめに水をいっぱい入れなさい」と言われたので、彼らは口のところまでいっぱいに入れた。
2:8 そこで彼らに言われた、「さあ、くんで、料理がしらのところに持って行きなさい」。すると、彼らは持って行った。
人の目から見るなら、イエス様は時に無意味な事を申し付けられる事がある。
しかし、御言葉であるゆえに従うなら、人には出来なかった事がイエス様を通して為される。
2:9 料理がしらは、ぶどう酒になった水をなめてみたが、それがどこからきたのか知らなかったので、(水をくんだ僕たちは知っていた)花婿を呼んで
2:10 言った、「どんな人でも、初めによいぶどう酒を出して、酔いがまわったころにわるいのを出すものだ。それだのに、あなたはよいぶどう酒を今までとっておかれました」。
2:11 イエスは、この最初のしるしをガリラヤのカナで行い、その栄光を現された。そして弟子たちはイエスを信じた。
この「よいぶどう酒」は、花婿が用意したぶどう酒よりも、良かった。
高級なワインは何万円もするものだが、その良いワインが風呂おけ6杯分もあるとするなら、それはどれほど結婚式を満たすのみならず、その後の結婚生活の必要が満たされただろうか。
そうである。イエス様は、圧倒的に、必要を満たされるお方である。
次のように書いてある通りである。
2列王記4:1 預言者のともがらの、ひとりの妻がエリシャに呼ばわって言った、「あなたのしもべであるわたしの夫が死にました。ごぞんじのように、あなたのしもべは主を恐れる者でありましたが、今、債主がきて、わたしのふたりの子供を取って奴隷にしようとしているのです」。
2Ki 4:2 エリシャは彼女に言った、「あなたのために何をしましょうか。あなたの家にどんな物があるか、言いなさい」。彼女は言った、「一びんの油のほかは、はしための家に何もありません」。
2Ki 4:3 彼は言った、「ほかへ行って、隣の人々から器を借りなさい。あいた器を借りなさい。少しばかりではいけません。
2Ki 4:4 そして内にはいって、あなたの子供たちと一緒に戸の内に閉じこもり、そのすべての器に油をついで、いっぱいになったとき、一つずつそれを取りのけておきなさい」。
2Ki 4:5 彼女は彼を離れて去り、子供たちと一緒に戸の内に閉じこもり、子供たちの持って来る器に油をついだ。
2Ki 4:6 油が満ちたとき、彼女は子供に「もっと器を持ってきなさい」と言ったが、子供が「器はもうありません」と言ったので、油はとまった。
2Ki 4:7 そこで彼女は神の人のところにきて告げたので、彼は言った、「行って、その油を売って負債を払いなさい。あなたと、あなたの子供たちはその残りで暮すことができます」。
結婚式に参加した多くの人々は、花婿さえ、その良いぶどう酒がどこから来たのかを知らなかった。
知っているのは、ただ「しもべ」だけであった。
私達も、イエス様のお言葉どおり行う時、イエス様の為された秘密を知り、イエス様の素晴らしい御業に「参加」する者として、大いに喜びに溢れる。
イザヤ65:13 それゆえ、主なる神はこう言われる、「見よ、わがしもべたちは食べる、しかし、あなたがたは飢える。見よ、わがしもべたちは飲む、しかし、あなたがたはかわく。見よ、わがしもべたちは喜ぶ、しかし、あなたがたは恥じる。
65:14 見よ、わがしもべたちは心の楽しみによって歌う、しかし、あなたがたは心の苦しみによって叫び、たましいの悩みによって泣き叫ぶ。
65:15 あなたがたの残す名は/わが選んだ者には、のろいの文句となり、主なる神はあなたがたを殺される。しかし、おのれのしもべたちを、ほかの名をもって呼ばれる。
65:16 それゆえ、地にあって/おのれのために祝福を求める者は、真実の神によっておのれの祝福を求め、地にあって誓う者は、真実の神をさして誓う。さきの悩みは忘れられて、わが目から隠れうせるからである。