メッセージ - 神殿のため、主のために捧げる事で沸き起こる大きな喜び(1歴代誌29:1-19)
神殿のため、主のために捧げる事で沸き起こる大きな喜び(1歴代誌29:1-19)
- カテゴリ :
- 礼拝メッセージ説教音声配信 » 講解説教(旧約) » 1歴代誌
- 執筆 :
- pastor 2017-11-17 7:22
神殿のため、主のために捧げる事で沸き起こる大きな喜び(1歴代誌29:1-19)
Youtube動画
メッセージ音声
いよいよ第一歴代誌の最終章である。
と言っても元々のヘブライ語の聖書には第一・第二の区別は無いが、後代の人はこの歴代誌という書の区切りを、ダビデ王がソロモンに王権を引き継ぎ、神殿を建て上げるという所をハイライトとして区切った。
歴代誌はアダムから始まり、神の民の歴史が記されているが、その歴史書のハイライトが、神殿である、という点は、私達に重要な示唆を与えている。
神殿とは礼拝する所であり、すなわち神様と出会う所、神様と交わりを持つ所である。
聖書の結論である黙示録は、永遠の礼拝によって閉じられている。
すなわち、全ての人にとってのハイライトは、神様との出会い、神様との交わりなのだ。
この、神様との交わりを除いてしまったソロモンから続く王達の呪われた有様が、歴代誌の後半に記されている。
29:1 ダビデ王はまた全会衆に言った、「わが子ソロモンは神がただひとりを選ばれた者であるが、まだ若くて経験がなく、この事業は大きい。この宮は人のためではなく、主なる神のためだからである。
29:2 そこでわたしは力をつくして神の宮のために備えた。すなわち金の物を造るために金、銀の物のために銀、青銅の物のために青銅、鉄の物のために鉄、木の物のために木を備えた。その他縞めのう、はめ石、アンチモニイ、色のついた石、さまざまの宝石、大理石などおびただしい。
29:3 なおわたしはわが神の宮に熱心なるがゆえに、聖なる家のために備えたすべての物に加えて、わたしの持っている金銀の財宝をわが神の宮にささげる。
29:4 すなわちオフルの金三千タラント、精銀七千タラントをそのもろもろの建物の壁をおおうためにささげる。
ダビデは、神殿建設のために、収入の中から取り分けて財産を取って置いたが、主に捧げる心と、仕える事の喜びのあまり、彼は自分の財産からも、さらに多くを捧げた。
会計的に神殿建設用として仕分けた資金ではなく、彼のプライベートで使う財布からも、さらに多くを喜んで捧げたのである。
神は、喜んで捧げる者には喜んで増し加えさせて下さり、惜しんで捧げる者には、その報いもまた惜しまれた形でしか与えられない。
2コリント9:6 わたしの考えはこうである。少ししかまかない者は、少ししか刈り取らず、豊かにまく者は、豊かに刈り取ることになる。
9:7 各自は惜しむ心からでなく、また、しいられてでもなく、自ら心で決めたとおりにすべきである。神は喜んで施す人を愛して下さるのである。
9:8 神はあなたがたにあらゆる恵みを豊かに与え、あなたがたを常にすべてのことに満ち足らせ、すべての良いわざに富ませる力のあるかたなのである。
9:9 「彼は貧しい人たちに散らして与えた。その義は永遠に続くであろう」/と書いてあるとおりである。
9:10 種まく人に種と食べるためのパンとを備えて下さるかたは、あなたがたにも種を備え、それをふやし、そしてあなたがたの義の実を増して下さるのである。
9:11 こうして、あなたがたはすべてのことに豊かになって、惜しみなく施し、その施しはわたしたちの手によって行われ、神に感謝するに至るのである。
9:12 なぜなら、この援助の働きは、聖徒たちの欠乏を補うだけではなく、神に対する多くの感謝によってますます豊かになるからである。
献金などの捧げものをする、とは、交わり(コイノニア)に参加するという意味もある。
8:3 わたしはあかしするが、彼らは力に応じて、否、力以上に施しをした。すなわち、自ら進んで、
8:4 聖徒たちへの「奉仕(コイノニア)」に加わる恵みにあずかりたいと、わたしたちに熱心に願い出て、
8:5 わたしたちの希望どおりにしたばかりか、自分自身をまず、神のみこころにしたがって、主にささげ、また、わたしたちにもささげたのである。
主の交わりに奉仕者として加わる、あるいは献金をささげる、とは、神様へ捧げ物を捧げるという意味の他に、その交わりに参加する事であり、その交わりに参加したからには、その交わりの中心であるキリストから豊かな保障を得る権利を得る事なのだ。
ダビデ王は、人々にチャレンジを促す。
29:5 だれかきょう、主にその身をささげる者のように喜んでささげ物をするだろうか」。
29:6 そこで氏族の長たち、イスラエルの部族のつかさたち、千人の長、百人の長および王の工事をつかさどる者たちは喜んでささげ物をした。
29:7 こうして彼らは神の宮の務のために金五千タラント一万ダリク、銀一万タラント、青銅一万八千タラント、鉄十万タラントをささげた。
29:8 宝石を持っている者はそれをゲルションびとエヒエルの手によって神の宮の倉に納めた。
29:9 彼らがこのように真心からみずから進んで主にささげたので、民はそのみずから進んでささげたのを喜んだ。ダビデ王もまた大いに喜んだ。
なんと、多くの人々が、主の奉仕に加わった。
その結果得たのは、大きな喜びである。
私達も、主に大いに捧げるなら、喜びが沸き起こる。
その喜びの内訳の中には、主が共に喜んで下さる主の喜びがあり、主から報いと守りと保障が得られる、という確信が入っている。
29:10 そこでダビデは全会衆の前で主をほめたたえた。ダビデは言った、「われわれの先祖イスラエルの神、主よ、あなたはとこしえにほむべきかたです。
29:11 主よ、大いなることと、力と、栄光と、勝利と、威光とはあなたのものです。天にあるもの、地にあるものも皆あなたのものです。主よ、国もまたあなたのものです。あなたは万有のかしらとして、あがめられます。
29:12 富と誉とはあなたから出ます。あなたは万有をつかさどられます。あなたの手には勢いと力があります。あなたの手はすべてのものを大いならしめ、強くされます。
ダビデ王の感謝の祈りの中心は、全てのものは「あなたのものです」という点である。
王に、国に、与えられた富も、力も、栄光も、見えるものも、見えないものも、全て主のものである。
29:13 われわれの神よ、われわれは、いま、あなたに感謝し、あなたの光栄ある名をたたえます。
29:14 しかしわれわれがこのように喜んでささげることができても、わたしは何者でしょう。わたしの民は何でしょう。すべての物はあなたから出ます。われわれはあなたから受けて、あなたにささげたのです。
29:15 われわれはあなたの前ではすべての先祖たちのように、旅びとです、寄留者です。われわれの世にある日は影のようで、長くとどまることはできません。
29:16 われわれの神、主よ、あなたの聖なる名のために、あなたに家を建てようとしてわれわれが備えたこの多くの物は皆あなたの手から出たもの、また皆あなたのものです。
今、自分が捧げたものは、主から出たもので、全ては主のものである。
29:17 わが神よ、あなたは心をためし、また正直を喜ばれることを、わたしは知っています。わたしは正しい心で、このすべての物を喜んでささげました。今わたしはまた、ここにおるあなたの民が喜んで、みずから進んであなたにささげ物をするのを見ました。
ダビデが告白している通り、主は心をためされるお方であり、そしてシンプルな、正直な心を喜んで下さる。
世の神々は、人間が捧げる「モノ」を喜ぶかもしれない。10円よりも10万円のほうを喜ぶかもしれない。
しかし主は元々富んでおられるお方であり、人が神に捧げる10円も、10万円も、その与える・与えないを支配しておられるお方である。
だから主は、人の心をこそ、計られるのである。
29:18 われわれの先祖アブラハム、イサク、イスラエルの神、主よ、あなたの民の心にこの意志と精神とをいつまでも保たせ、その心をあなたに向けさせてください。
29:19 またわが子ソロモンに心をつくしてあなたの命令と、あなたのあかしと、あなたのさだめとを守らせて、これをことごとく行わせ、わたしが備えをした宮を建てさせてください」。
ダビデは祈った。人々の、この捧げる志がいつまでも続き、その祝福のサイクルがいつまでも続くように、と。
ソロモンのためにも祈った。しかしソロモンは、生涯の途中から、その父の祝福に相応しくない行いを続け、祝福から漏れてしまった。
主との対面は、一対一である。
私達は正直な、まっすぐな心をもって主に捧げるものでありたい。