メッセージ - 礼拝の基礎を造り祝福のモデルとなったダビデ王(1歴代誌29:20-30)
礼拝の基礎を造り祝福のモデルとなったダビデ王(1歴代誌29:20-30)
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- 執筆 :
- pastor 2017-11-21 7:20
礼拝の基礎を造り祝福のモデルとなったダビデ王(1歴代誌29:20-30)
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いよいよ第一歴代誌の最後である。元々のヘブライ語聖書には第一・第二の区別は無かったが、後代の人が区切りとした所は、ダビデ王が全ての役割を終えて、ソロモンへと王権を渡した所であった。
第一歴代誌は、人類最初の人アダム以降の系図で始まり、そしてダビデ王が神殿建設の整えをし、後に続く王権の基礎となった礼拝中心の国家の体制を整えた所で終わる。
第二歴代誌はソロモンから続く王達の歴史であるが、その王権が栄えたか衰えたかは、100%、ダビデ王が整えた礼拝中心の路線に沿ったか、沿っていなかったかに由来する。
29:20 そしてダビデが全会衆にむかって、「あなたがたの神、主をほめたたえよ」と言ったので、全会衆は先祖たちの神、主をほめたたえ、伏して主を拝し、王に敬礼した。
ダビデ王は神殿のために多くが捧げられた事への感謝祈祷の後、「あなたがたの神、主をほめたたえよ」と言って、人々に主を礼拝する事を促した。
「ほめたたえる」と訳された語はバラク、祝福する、とよく訳される語であるが、元々の意味は「ひざをつく」である。主の前に低くなす、それこそ、人の側の分である。
「あなたがたの神、主をほめたたえよ」、歴代誌におけるダビデ王の最後の言葉は、まさに、ダビデ王の統治を一言であらわしているような言葉だ。
彼は主を礼拝する所を建築する志を持って整え、人々にそのための体制を整えていった。
結局、人にとっての全ては、主を礼拝する事、すなわち、主と出会い主と交わりをしつつ歩んでいくことである。天国とは、永遠に主と交わりを持つ所である。
この主の前に低くなる礼拝は、エズラの時代の礼拝のスタイルである。
ネヘミヤ8:6 エズラは大いなる神、主をほめ、民は皆その手をあげて、「アァメン、アァメン」と言って答え、こうべをたれ、地にひれ伏して主を拝した。
エズラは大祭司の子孫で律法に精通した学者であり、彼はバビロン捕囚から帰って来たイスラエルの民を前に、御言葉を朗読し、その意味を解き明かした。(8節)
ユダヤ式の御言葉への作法の第一は、まず、起立から始まる。彼が聖書を開いた時、会衆は起立した。
起立するという行動は、相手(開かれた御言葉)に対し尊敬を表す行為である。起立するためには、足に力を入れて立つという、少しの体力を使う行動だが、御言葉に対し、「聞く」においても、「朗読する」においても、「反応する」においても、身体を使うのが「ユダヤ式」である。
エズラが主をほめたたえた時、民は皆その手をあげて、「アーメン」を2回、繰り返した。
身体を使う2番目の礼拝行為は、御言葉や賛美に対して「アーメン」と応答する時、「手を挙げる」事である。
3番目の身体を使った行動は、ひれ伏す行為である。
このように、ダビデの時代もエズラの時代も、主を礼拝するときには全身・全霊をもって主を礼拝した。
その結果、主は恵みをその時代にほどこしてくださった。
29:21 そしてその翌日彼らは全イスラエルのために主に犠牲をささげた。すなわち燔祭として雄牛一千、雄羊一千、小羊一千をその灌祭と共に主にささげ、おびただしい犠牲をささげた。
主の前にひざをかがめ、自分を低くする事に続いて、彼らがした事は、主に捧げる事だった。
燔祭とは全焼のいけにえ、すなわち、残らず全部を主に捧げる主への捧げものである。
その結果、与えられるのは、喜びである。
29:22 そしてその日、彼らは大いなる喜びをもって主の前に食い飲みした。彼らはさらに改めてダビデの子ソロモンを王となし、これに油を注いで主の君となし、またザドクを祭司とした。
主に正当に捧げる時、喜びが沸き起こる。
もし、捧げものを、何かの「支払い」のように、自分の財布からの「マイナス」として数えるなら、単なるマイナスでしかない。
しかし、主を愛するゆえにお捧げするなら、それはプラスになる。なぜなら、お捧げする事には喜びが沸き起こり、主は祝福を命じて加えて与えてくださり、結果、収支はプラスとなって、ますます力と富を増し加え、喜びがもっと沸き起こり、ますます主に捧げたいという願いが起こされて行くからだ。
29:23 こうしてソロモンはその父ダビデに代り、王として主の位に座した。彼は栄え、イスラエルは皆彼に従った。
29:24 またすべてのつかさたち、勇士たち、およびダビデ王の王子たちも皆ソロモン王に忠誠を誓った。
29:25 主は全イスラエルの目の前でソロモンを非常に大いならしめ、彼より前のイスラエルのどの王も得たことのない王威を彼に与えられた。
礼拝する人は、栄光が与えられ、栄える事ができる。
その逆に、主を敬わない者、礼拝を軽んじる者は、呪われてしまう。
ダビデ王はまさに祝福のモデルであり、また、続く第二歴代誌の歴代の王達の中で主から離れた王達は、呪いのモデルであった。
29:26 このようにエッサイの子ダビデは全イスラエルを治めた。
29:27 彼がイスラエルを治めた期間は四十年であった。すなわちヘブロンで七年世を治め、エルサレムで三十三年世を治めた。
29:28 彼は高齢に達し、年も富も誉も満ち足りて死んだ。その子ソロモンが彼に代って王となった。
29:29 ダビデ王の始終の行為は、先見者サムエルの書、預言者ナタンの書および先見者ガドの書にしるされている。
29:30 そのうちには彼のすべての政と、その力および彼とイスラエルと他のすべての国々に臨んだ事どもをしるしている。
ダビデ王は死んだが、その名は永遠に記録されている。
実質的には、ダビデよりも、ソロモンのほうが富と知識と栄誉が与えられたであろう。
しかしソロモンは、人生後半、主から離れてしまった。だから現代、ソロモンよりもダビデの栄誉のほうが高いのだ。
私達も、ダビデのように、主に真実を尽くして仕え、たとえ罪を犯しても、その罪を主に正直に告白し、いつでも主に立ち返るなら、主は真実をもって答え、富と知識と栄誉を増し加えてくださるのだ。