メッセージ - 万軍の主の熱心(イザヤ9:6-7)
万軍の主の熱心(イザヤ9:6-7)
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「万軍の主の熱心」は、人の救いへと向けられている。
イザヤ9:6 ひとりのみどりごがわれわれのために生れた、ひとりの男の子がわれわれに与えられた。まつりごとはその肩にあり、その名は、「霊妙なる議士、大能の神、とこしえの父、平和の君」ととなえられる。
9:7 そのまつりごとと平和とは、増し加わって限りなく、ダビデの位に座して、その国を治め、今より後、とこしえに公平と正義とをもって/これを立て、これを保たれる。”万軍の主の熱心”がこれをなされるのである。
熱心。それは無感情の逆であり、主は激情をもって、人を愛し、人を救おうとされるが、その究極形が、ひとりのみどりご・キリストである。
イザヤ37:30 あなたに与えるしるしはこれである。すなわち、ことしは落ち穂から生えた物を食べ、二年目には、またその落ち穂から生えた物を食べ、三年目には種をまき、刈り入れ、ぶどう畑を作ってその実を食べる。
37:31 ユダの家の、のがれて残る者は再び下に根を張り、上に実を結ぶ。
37:32 すなわち残る者はエルサレムから出、のがれる物はシオンの山から出る。万軍の主の熱心がこれをなし遂げられる。
この箇所は、ヒゼキヤが、主に熱心に救いを求めた結果、主が答えて下さった場面である。
主は、熱心に「救って下さい」と主に呼びかける人に対しては、熱心をもって答えてくださる。
イザヤ59:16 主は人のないのを見られ、仲に立つ者のないのをあやしまれた。それゆえ、ご自分のかいなをもって、勝利を得、その義をもって、おのれをささえられた。
59:17 主は義を胸当としてまとい、救のかぶとをその頭にいただき、報復の衣をまとって着物とし、熱心を外套として身を包まれた。
イザヤ59章は、主の前に罪を犯して歩んで来た者が、自分の罪を告白して悔い改めた人に対する、主の熱心が表れている。
59:18 主は彼らの行いにしたがって報いをなし、あだにむかって怒り、敵にむかって報いをなし、海沿いの国々にむかって報いをされる。
59:19 こうして、人々は西の方から主の名を恐れ、日の出る方からその栄光を恐れる。主は、せき止めた川を、そのいぶきで押し流すように、こられるからである。
59:20 主は言われる、「主は、あがなう者としてシオンにきたり、ヤコブのうちの、とがを離れる者に至る」と。
「とがを離れる者に」という所が鍵である。
自分の罪、とがを悔い改めて、そこから離れようとする人に、主は熱心をもって現れ、救わせてくださる。
新約において主の熱心はどこに現れるか。
それはまさにイエス様の十字架であり、十字架の場面全体が、主の熱心そのものである。
使徒1:3 イエスは苦難(KJV: passion)を受けたのち、自分の生きていることを数々の確かな証拠によって示し、四十日にわたってたびたび彼らに現れて、神の国のことを語られた。
イエス様は、命がけのpassionをもって、私達を救おうとされ、そして、十字架という実体を伴った行動をもって、その愛をあらわしてくださった。
そうであるからには、私達も主に対して熱心であるべきである。
主に対しては熱く、罪やサタンに対しては冷酷に。そうではない生ぬるい信仰であるなら、主の口から吐き出されてしまう。(黙示録3:15-16)