メッセージ - そしられる原因である「崩された城壁」を再建せよ(ネヘミヤ2:17-20)

そしられる原因である「崩された城壁」を再建せよ(ネヘミヤ2:17-20)

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礼拝メッセージ説教音声配信 » 主日礼拝
執筆 : 
pastor 2017-10-8 13:20

そしられる原因である「崩された城壁」を再建せよ(ネヘミヤ2:17-20)
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週報/メッセージ(説教)概要

 ネヘミヤといえば、バビロン捕囚後のエルサレムの城壁を再建した人である。神の民であるはずのイスラエルは、なぜバビロン捕囚という恥辱を味わったか。それは彼らは主に対し失礼ばかり働き、預言者の警告にも聞かず、好き放題、罪に罪を重ねたためだ。それで敵が好き放題し、家も財産もめちゃくちゃにされ、奪われ、貧しい底辺生活へ投げ込まれた。それは自業自得とも言えるが、それでも主は立て直して下さる。
私達はいかして、そのように破綻してしまった人生の建て直しが出来るだろう。ネヘミヤ記から学びたい。

ネヘミヤは、エルサレムの城壁が破壊されたままだと聞くと、かつて無いほどの憂いと悲しみに襲われた。
もし「城壁」が崩れたままなら、経済や子育てを立て直そうとしても良いように敵が出入りし、踏みにじり、嘲り、奪って行くままだ。ネヘミヤは、その状態を看過できなかった。『わたしはついに彼らに言った・・・さあ、われわれは再び世のはずかしめをうけることのないように、エルサレムの城壁を築こう』(ネヘミヤ2:17)
私達も諸々の「世のはずかしめ」がある。病や経済的貧困というはずかしめ、あるいは、悪霊由来の、「自分はダメだ」「無駄だ」などという罵声など。それらに対し、一刻も早く城壁を築いて対抗すべきだ。
そして、真っ先に対処しなくてはならないのは「怠けぐせ」である。ネヘミヤが総督に任命されエルサレム入りしたのはBC445年と言われている。バビロン捕囚の終わりはBC537年なので、実に92年も、皆が、「いつかしよう」「誰かがしてくれるだろう」と思っていて、結局92年間も放ったらかしにしていた、という事だ。
再建すべきなのに、しない。働くべきなのに働かない。成すべき良い事か示されているのに、それをやらない。しばらく眠り、しばらくまどろみ、手をこまぬいて、またしばらく休む。そのような者の畑の有様は、「いばらが一面に生え、あざみがその地面をおおい、その石がきはくずれていた」(箴言24:31)状態である。
ネヘミヤは情熱をもって再建に取り掛かり、人々もまた共にチームワークを組んで仕事に当たった。

人が、人生の再建にとりかかろうとする時、必ず、それを快く思わない「敵」が邪魔しに出てくる。
『ところがホロニ人サンバラテ、アンモン人奴隷トビヤおよびアラビヤ人ガシムがこれを聞いて、われわれをあざけり、われわれを侮って言った、「あなたがたは何をするのか、王に反逆しようとするのか」。』(19節)
敵は、再建の行動を、「良くない事」と思わせて、罵ってくる。人生がこれ以上、大切な時間や経済や健全さが奪われないように城壁を築く頑張りを、何か、悪い事をしているかのように。キリスト者は上着を取られれば下着も差し出すべきではないのか、貧しく清く美しくするべきではないのか、それを何だ、欲を出して反逆しようとしているのか、などと。そのように囁いてくる嘲りの声に対し、ネヘミヤはどうだったか。
『わたしは彼らに答えて言った、「天の神がわれわれを恵まれるので、そのしもべであるわれわれは奮い立って築くのである。しかしあなたがたはエルサレムに何の分もなく、権利もなく、記念もない」。』(20節)
そうである。一緒に礼拝せず、一緒に御言葉を守り行ったわけでもない者達には、神の民が受ける分け前に与かる権利は一切なく、そのような主の記念のない者に好き放題言われる筋合いは、一切、無いのだ。
人生の再建のわざを「悪いこと」呼ばわりする者に対し、良心のとがめを受ける必要は、一切無い。
私達が御言葉を守り行うと決心して行動し、主にあって良い実を結んでいるなら、そのような者達に対し、ネヘミヤのように言葉で宣言するのだ。「天の神が私達を恵まれるので、そのしもべである私達は奮い立って築くのである」と。そして行おうとしている事を、明確な主の示しとして自信をもって取り組めば良いのだ。
『人は自分の言葉の結ぶ実によって、満ち足り、そのくちびるの産物によって自ら飽きる。』(箴言18:20)
「くちびる(ヘ:サファー)」は、英語のlipのように「縁(ふち)」「境界」の意味もある。だから、心の内にある信仰が、唇という「境界線」を越え、世に音波として出た時、天地万物の支配者なる主との関係が世に対して示され、適用され、世の諸々の呪われた仕組みから救われる。だから、敵に対し(たとえ実感が無くても)「御言葉」を発するなら、それが防護壁となり、もし超えて来ようとするなら、御言葉が、その者と対決する。
逆にもし、心に怒りや憎しみが沸き起こったとしても、唇という境界線を超えさせずに黙っているなら、それは勇士にまさり、城を攻め取る人にまさる人である。(箴言16:32)
人生の城壁の再建は、まず、崩されている現状を悲しみ、なまけから脱却し、立ち上がって、行動する所から始まる。そして、敵が(あるいは心の声が)言いがかりをつけて来た時には、真理の御言葉という両刃の剣を唇から発し、敵のたくらみを打ち砕き、城壁をすみやかに再建していく皆さんでありますように!

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