メッセージ - 神殿に向かって祈る時、聞いてください(2歴代誌6:22-7:3)
神殿に向かって祈る時、聞いてください(2歴代誌6:22-7:3)
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続いてソロモンは、「これこれの人が、この状況で、この神殿にて祈る時、その祈りを聞いて下さい」という祈りを、7パターンに分けて祈っている。
その一番目は、人と人との間で何かトラブルがあって、この神殿に来て主の御前に持ち込んで来た場合、主がそのさばきを正統に裁いてください、というものである。
6:22 もし人がその隣り人に対して罪を犯し、誓いをすることを求められるとき、来てこの宮で、あなたの祭壇の前に誓うならば、
6:23 あなたは天から聞いて、行い、あなたのしもべらをさばき、悪人に報いをなして、その行いの報いをそのこうべに帰し、義人を義として、その義にしたがってその人に報いてください。
人は、正しくさばくという事が難しい。人は、他人の心に秘めている事や動機までも探り出す事ができないからだ。
しかし主は全てをご存知であり、正当に公平に裁いて下さるお方であり、主の民がこの神殿に持ってくるさばきを、全てを見透かしておられる主が正しく裁いてください、と、ソロモンは祈っている。
2番目の場合は、敵に打ち負かされてしまった時、この神殿に来て、祈り願う場合である。
6:24 もしあなたの民イスラエルが、あなたに対して罪を犯したために、敵の前に敗れた時、あなたに立ち返って、あなたの名をあがめ、この宮であなたの前に祈り願うならば、
6:25 あなたは天から聞き、あなたの民イスラエルの罪をゆるして、あなたが彼らとその先祖に与えられた地に彼らを帰らせてください。
ソロモンは、「主に対して罪を犯す」事と「敗北する」事とは一体であるとみなしている。
神の民は、主に罪を犯したまま勝利に勝利を重ねる、という事は、ありえない。
エリコに大勝利したヨシュアは、アイという小さな町での敗北を大いに憂慮し、主に切に祈り求めた結果、主は、イスラエルの民の、たった一人が犯した罪を指摘され、それを取り除くように言われた。
神の民が罪を犯したまま、それを放置する時、主はその事を気づかせ、悔い改めて主に立ち返らせるために、敢えて、敗北させられる。
小さな敗北の時に大いに憂慮して主に導きを求めたヨシュアは、さすがなのである。
私達も、人生で敗北が重なる時は、自分自身に目を向け、自分の中に敗北の原因となっているような主に対する罪、主の御前に取り扱っていない罪があるのではないかと探るべきであり、それを取り除くべきなのだ。
3番目のケースは、干ばつの時に主に祈り求める場合である。
6:26 もし彼らがあなたに罪を犯したために、天が閉ざされて、雨がなく、あなたが彼らを苦しめられるとき、彼らがこの所に向かって祈り、あなたの名をあがめ、その罪を離れるならば、
6:27 あなたは天にあって聞き、あなたのしもべ、あなたの民イスラエルの罪をゆるして、彼らに歩むべき良い道を教え、あなたの民に嗣業として賜わった地に雨を降らせてください。
「約束の地」は、「乳と蜜の流れる地」と呼ばれてはいるが、同時にそこは、主の御前に罪を犯したままそれを残している人に対しては、一切雨が降らない地と化してしまう。
『もし、あなたが、あなたの神、主の御声に聞き従わず、私が、きょう、命じる主のすべての命令とおきてとを守り行なわないなら、次のすべてののろいがあなたに臨み、あなたはのろわれる。あなたは町にあってものろわれ、野にあってものろわれる。・・・またあなたの頭の上の天は青銅となり、あなたの下の地は鉄となる。主は、あなたの地の雨をほこりとされる。それで砂ほこりが天から降って来て、ついにはあなたは根絶やしにされる。』(申命記28:16-24)
私達も、人生の中であたかも天が閉ざされ、恵みの雨が一切降らないように感じる場合、やはり、自分の中に主の御前に取り扱われていない罪があるかないかを疑うべきである。
4番目は、色々な災いのケースが記されている。
6:28 もし国にききんがあるか、もしくは疫病、立ち枯れ、腐り穂、いなご、青虫があるか、または敵のために町の門の中に攻め囲まれることがあるか、どんな災害、どんな病気があっても、
6:29 もし、ひとりか、あるいはあなたの民イスラエルが皆おのおのその心の悩みを知って、この宮に向かい、手を伸べるならば、どんな祈、どんな願いでも、
6:30 あなたはそのすみかである天から聞いてゆるし、おのおのの人に、その心を知っておられるゆえ、そのすべての道にしたがって報いてください。ただあなただけがすべての人の心を知っておられるからです。
6:31 あなたがわれわれの先祖たちに賜わった地に、彼らの生きながらえる日の間、常にあなたを恐れさせ、あなたの道に歩ませてください。
このケースでは特段、人々が特に「罪を犯した」とは明記されていないが、「あなたはそのすみかである天から聞いてゆるし、おのおのの人に、その心を知っておられるゆえ、そのすべての道にしたがって報いてください」と祈っている所が鍵である。
主は全ての人の志をご存知であり、人の中の隠れている動機も、罪も、改めなくてはならない事に応じて、報いを与えて下さるお方だ。
人は他人の心を知らないし、他人も自分の心を知らないが、主は、それぞれに相応しい応報を受けさせる。
そして本人自身が自分の改めるべき事を知らされ、主に告白して立ち返り、告白して祈るなら、主は赦し、報いて下さる。
5番目のケースは、異邦人が主の宮に向かって祈る場合である。
6:32 またあなたの民イスラエルの者でなく、他国人で、あなたの大いなる名と、強い手と、伸べた腕のために遠い国から来て、この宮に向かって祈るならば、
6:33 あなたは、あなたのすみかである天から聞き、すべて他国人があなたに呼び求めるようにしてください。そうすれば地のすべての民はあなたの民イスラエルのように、あなたの名を知り、あなたを恐れ、またわたしが建てたこの宮が、あなたの名によって呼ばれることを知るにいたるでしょう。
主の神殿はイスラエル人だけのものではなく、異邦人も主を礼拝する場所でもある。
神は元々、全人類を救うために、一人の人アブラハムを選び、彼を通して全人類を救わせようとされた。
それは、イスラエル人の先祖・アブラハムが、主から呼びだされた時に、主が既に約束されていた通りである。(創世記12:1-3)
続いて、6番目のケースは、イスラエル人が敵と戦う時に、主に向かって祈る場合である。
6:34 あなたの民が敵と戦うために、あなたがつかわされる道によって出るとき、もし彼らがあなたの選ばれたこの町と、わたしがあなたの名のために建てたこの宮に向かってあなたに祈るならば、
6:35 あなたは天から彼らの祈と願いとを聞いて彼らをお助けください。
私達も、礼拝したくてもどうしても社会に出て仕事をしなくてはならない時、戦いをしなくてはならない時がある。
しかしそれでも、その戦いの先で主に向かって祈るなら、その場面におられる主が祈りを聞いてくださり、勝利を与えて下さるのだ。
主は何も、神殿にいつも居れる人だけの主ではない。
神殿にいつも居て、だらだら過ごして、何もしない人よりは、主に依り頼んで戦いに出る人のほうがよほど、主の御業の働かれる事を多く見ることが出来るのだ。
ソロモンが神殿で祈る人のために祈りの最後、7番目のケースは、イスラエルがもし将来、罪を犯し続けて敵に打ち負かされ、捕囚されて行った場合、捕囚先からこの神殿に向かって祈ったなら、その祈りを聞いて下さい、というものである。
主はもっと昔、イスラエルと契約を結ばれた当初の、モーセの時代から既に、イスラエルがもし主の御声に聞き従わず、懲らしめの災いを受けても、なお身勝手なふるまいを続けるなら、災いの「最終形態」として、敵国に捕囚されてしまう、という事を、あらかじめ警告しておられた。(レビ記26章、申命記28章)
残念ながら、イスラエルはその災いの最終形態にまで行ってしまった。
彼らは主に逆らい続け、預言者を通して主の警告を何度も何度も受けても、頑なに自分勝手なふるまいを改めず、主に逆らい続けたからである。
6:36 彼らがあなたに対して罪を犯すことがあって、――罪を犯さない人はないゆえ、――あなたが彼らを怒って、敵にわたし、敵が彼らを捕虜として遠い地あるいは近い地に引いて行くとき、
6:37 もし、彼らが捕われて行った地で、みずから省みて悔い、その捕われの地であなたに願い、『われわれは罪を犯し、よこしまな事をし、悪を行いました』と言い、
6:38 その捕われの地で心をつくし、精神をつくしてあなたに立ち返り、あなたが彼らの先祖に与えられた地、あなたが選ばれた町、わたしがあなたの名のために建てたこの宮に向かって祈るならば、
6:39 あなたのすみかである天から、彼らの祈と願いとを聞いて彼らを助け、あなたに向かって罪を犯したあなたの民をおゆるしください。
捕囚として連行されて行ってしまった時代、捕囚先の地で、この事を忠実に実践し続けた人がいた。
預言者ダニエルである。
『ダニエルは、その文書の署名されたことを知って家に帰り、二階のへやの、エルサレムに向かって窓の開かれた所で、以前からおこなっていたように、一日に三度ずつ、ひざをかがめて神の前に祈り、かつ感謝した。』(ダニエル6:10)
この時、「署名された文書」とは、どの神にでも、何か願い事をする者があるなら、その者はライオンの穴に投げ入れてしまう、という法律である。(同7節)
それは、他の高官達がダニエルを陥れるためにわざわざ定めたものだった。
ダニエルは、この法律が定められたのを知りながら、家に帰ると、いつも通り日に三度、神殿のほうに向かって主に礼拝する事を止めなかった。
窓を閉めれば誰にも見つからずに礼拝できたであろうに、それもせず、いつも通り堂々と主に祈願し感謝を捧げたのだ。
それでダニエルは、ライオンの穴に陥れられてしまったのだが、主はダニエルを守り、ライオンは一切ダニエルを害する事が出来なかった。
結局、ダニエルの信じる神の栄光と、ダニエル自身の栄光とがますます上がり、逆にダニエルを陥れようとした者たち全員、ライオンの穴に投げ込まれ、その者達は穴の底に落ち込む前に、ことごとくライオンに噛み殺されたのだ。(ダニエル6章)
ダニエルの他、多くの人々の祈りを主は聞いてくださり、実際に彼らをあわれみ、捕囚先から返して下さった。(エズラ1章)
以上のように、色々なケースでソロモンは祈った。
申命記28章に、祝福のコツと呪いのコツ、および、その祝福と呪いの詳細な内訳が記されているが、結局、ききんや干ばつ、疫病、敵のはびこる事によって苦しむのは、人の側が主の御声に聞き従わず、御言葉を守り行わないゆえである事が、あらかじめ記されている。
申命記28:15 しかし、あなたの神、主の声に聞き従わず、きょう、わたしが命じるすべての戒めと定めとを守り行わないならば、このもろもろののろいがあなたに臨み、あなたに及ぶであろう。
28:16 あなたは町のうちでものろわれ、畑でものろわれ、
28:17 あなたのかごも、こねばちものろわれ、
28:18 あなたの身から生れるもの、地に産する物、牛の子、羊の子ものろわれるであろう。
28:19 あなたは、はいるにものろわれ、出るにものろわれるであろう。
28:20 主はあなたが手をくだすすべての働きにのろいと、混乱と、懲らしめとを送られ、あなたはついに滅び、すみやかにうせ果てるであろう。これはあなたが悪をおこなってわたしを捨てたからである。
28:21 主は疫病をあなたの身につかせ、あなたが行って取る地から、ついにあなたを断ち滅ぼされるであろう。
28:22 主はまた肺病と熱病と炎症と間けつ熱と、かんばつと、立ち枯れと、腐り穂とをもってあなたを撃たれるであろう。これらのものはあなたを追い、ついにあなたを滅ぼすであろう。
28:23 あなたの頭の上の天は青銅となり、あなたの下の地は鉄となるであろう。
28:24 主はあなたの地の雨を、ちりと、ほこりに変らせ、それが天からあなたの上にくだって、ついにあなたを滅ぼすであろう。
28:25 主はあなたを敵の前で敗れさせられるであろう。あなたは一つの道から彼らを攻めて行くが、彼らの前で七つの道から逃げ去るであろう。そしてあなたは地のもろもろの国に恐るべき見せしめとなるであろう。
こうしてソロモンは、祈りの総括に入る。
6:40 わが神よ、どうぞ、この所でささげる祈にあなたの目を開き、あなたの耳を傾けてください。
ソロモンの祈りの総括は、「この所で捧げる祈りに、目を開き耳を傾けてください。」に尽きる。
かの時代は、神殿において祈る祈りに主は耳を傾けられたが、今や神殿は無い。
主イエスキリストの御名を信じる信仰によって、私達一人ひとりが、神殿である。
そして私達が、主イエス・キリストの御名によって祈る時、主は耳を傾けてくださる。
6:41 主なる神よ、今あなたと、あなたの力の箱が/立って、あなたの安息所におはいりください。主なる神よ、どうぞあなたの祭司たちに/救の衣を着せ、/あなたの聖徒たちに恵みを喜ばせてください。
6:42 主なる神よ、どうぞあなたの油そそがれた者の顔を/退けないでください。あなたのしもべダビデに示されたいつくしみを/覚えて下さい」。
主は、このソロモンの祈りに「答えた」というしるしを、ありありと示して下さる。
7:1 ソロモンが祈り終ったとき、天から火が下って燔祭と犠牲を焼き、主の栄光が宮に満ちた。
7:2 主の栄光が主の宮に満ちたので、祭司たちは主の宮に、はいることができなかった。
7:3 イスラエルの人々はみな火が下ったのを見、また主の栄光が宮に臨んだのを見て、敷石の上で地にひれ伏して拝し、主に感謝して言った、/「主は恵みふかく、/そのいつくしみはとこしえに絶えることがない」。
主は火を降し、一瞬にしていけにえを焼きつくした事により、ソロモンの祈りを「受け入れた」と示して下さった。
事実、主はソロモンが祈った通りに、何百年、幾世代も真実・誠実に答えてくださった。
しかし人の側は、その何百年・幾世代、主に対し不真実を働き、不誠実だった。にもかかわらず、人が主に立ち返って神殿に向かって祈った時に、答えてくださった。
まことに人々が賛美した通りである。
「主は恵みふかく、/そのいつくしみはとこしえに絶えることがない」。