メッセージ - ピリピまでの道遠く(使徒16:6-15)
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ある場所で御言葉を語る事を聖霊が禁じたり、ある地方に宣教に行こうとしてもイエスの霊が差し止める、という事があるようだ。
言葉には語るべき時と口をつぐむべき時があり、その時は人には分からないが、時と場所は聖霊が導く。
パウロ達はあちらに行っては阻まれ、こちらに行っても阻まれ、そうしてはるばるトロアスまで来たその夜、一人のマケドニア人が助けを求める幻が与えられたため、彼らはマケドニア州に向かうことにした。(使徒16:6-8)
聖書の記述では、わずか3節しか裂いていないが、リュストラからトロアスまでさ迷い歩いた道は千キロほど。
交通手段の発達していない当時からすれば、途方も無い距離である。
ピリピにたどり着くまで、いかほどの日々と苦労、落胆、苛立ちがあっただろう。
彼らはトロアスで幻を見た翌日、早速船出して、マケドニア州の第一都市ピリピへ行ったが、そこには会堂は無かった。
ユダヤの会堂が立つには最低10人のユダヤ人がいなくてはならない。という事は、ユダヤ人は10人いなかったのだろう。
そこで祈り場があると思われる所を見つけたが、そこには女達が集まって来た。
パウロ達はそこで福音を伝え始めたが、主はテアテラ出身の紫布の商人リュディアの心を開き、彼女を通して家族にもバプテスマを施した。
彼女達が、このマケドニア地方で救われた第1号となった。
後にパウロがピリピへの手紙を書いた時、ピリピ教会は成長して監督や執事も立てられ、パウロもピリピに特別な思い入れがあるような書き方をしている。(ピリピ1:1-6)
パウロ達にしてみれば、ピリピに至るまで千キロ以上もさ迷い歩いた末、やっと到着した所は会堂も無く、祈り場に集うのも女達だけ、という霊的僻地で、がっかり続きだったかもしれない。
しかし主は、人の目から見たら「どうしてこんな所に?」と思えるような所でも、ちゃんとご計画があり、人の思いを超えた発展をさせて下さるのである。
私達のビジョンと主のビジョンが違っていると分かったら、すぐに自分の方法を捨てて主に従い、もしすぐに示しが与えられないとしても、忍耐強く御心を求め続けるなら、いずれ監督や執事が立ち、思い入れの強いピリピ教会が建つのである。
私達にとって、建てるべき「ピリピ教会」は何だろうか。
救うべき「マケドニア人」は誰だろうか。
主の導きに忍耐して従い続け、「ピリピ教会」を建て、「マケドニア人」を救う皆さんでありますように。
イエス様の名前によって祝福します!