メッセージ - ダビデ・ソロモンの蓄えた富をわずか5年で台無しにしてしまったレハブアム(2歴代誌12章)
ダビデ・ソロモンの蓄えた富をわずか5年で台無しにしてしまったレハブアム(2歴代誌12章)
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- 執筆 :
- pastor 2018-1-5 7:01
わずか5年でダビデ・ソロモンの蓄えた富を台無しにしてしまったレハブアム(2歴代誌12章)
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レハブアムは主の御声に従い、3年間、主に従い祝福されたが、4年目以降、そうでなかった。
2歴代誌12:1 レハベアムはその国が堅く立ち、強くなるに及んで、主のおきてを捨てた。イスラエルも皆彼にならった。
12:2 彼らがこのように主に向かって罪を犯したので、レハベアム王の五年にエジプトの王シシャクがエルサレムに攻め上ってきた。
「主に向かって罪を犯した(マアール)」、このマアールの元々の意味は「覆いかぶせる」、主な意味は、罪だと知りながらにして罪を犯す、である。覆い隠しは、それが罪だと「知って」いないならしない行為ょある。
レハブアムは、罪だと知りながらにして犯した。それに対する主の側の回答は「災い」という形で早く訪れた。
12:3 その戦車は一千二百、騎兵は六万、また彼に従ってエジプトから来た民、すなわちリビアびと、スキびと、エチオピヤびとは無数であった。
12:4 シシャクはユダの要害の町々を取り、エルサレムに迫って来た。
前回の箇所でせっかくレハブアムが固めた防備の町々は、いともあっさりと攻め落とされ、しかもエルサレムという堅固な町までも迫って来られてしまった。
神の民は、兵器や力を蓄える事には、救いは無い。主に従う事こそ、最も堅固な防備となるのだ。
詩篇127:1 主が家を建てられるのでなければ、建てる者の勤労はむなしい。主が町を守られるのでなければ、守る者のさめているのはむなしい。
127:2 あなたがたが早く起き、おそく休み、辛苦のかてを食べることは、むなしいことである。主はその愛する者に、眠っている時にも、なくてならぬものを与えられるからである。
12:5 そこで預言者シマヤは、レハベアムおよびシシャクのゆえに、エルサレムに集まったユダのつかさたちのもとにきて言った、「主はこう仰せられる、『あなたがたはわたしを捨てたので、わたしもあなたがたを捨ててシシャクにわたした』と」。
12:6 そこでイスラエルのつかさたち、および王はへりくだって、「主は正しい」と言った。
自らの罪ゆえに災いを被った時、最も賢明な対応は、主の前にへりくだる事、悔い改める事である。
彼は、それをした。
それに対する主の側の回答もまた、早い。
12:7 主は彼らのへりくだるのを見られたので、主の言葉がシマヤにのぞんで言った、「彼らがへりくだったから、わたしは彼らを滅ぼさないで、間もなく救を施す。わたしはシシャクの手によって、怒りをエルサレムに注ぐことをしない。
12:8 しかし彼らはシシャクのしもべになる。これは彼らがわたしに仕えることと、国々の王たちに仕えることとの相違を知るためである」。
人は、主の前に悔い改めて立ち返るなら、確かに主はその罪を赦してくださるが、その、本人が犯した罪の刈り取りは本人自身がしなくてはならない。
それも、主に仕える事と、人間の王に仕える事との違いを、思い知るためである。
12:9 エジプトの王シシャクはエルサレムに攻めのぼって、主の宮の宝物と、王の家の宝物とを奪い去った。すなわちそれらをことごとく奪い去り、またソロモンの造った金の盾をも奪い去った。
12:10 それでレハベアム王は、その代りに青銅の盾を造って、王の家の門を守る侍衛長たちの手に渡した。
12:11 王が主の宮にはいるごとに侍衛は来て、これを負い、またこれを侍衛のへやへ持って帰った。
こうして、ソロモンがせっかく南方貿易をして、年月と多くの苦労をして蓄えた多くの金は、わずか5年にしてあっさりエジプトに奪い去られてしまった。
12:12 レハベアムがへりくだったので主の怒りは彼を離れ、彼をことごとく滅ぼそうとはされなかった。またユダの事情もよくなった。
12:13 レハベアム王はエルサレムで自分の地位を確立し、世を治めた。すなわちレハベアムは四十一歳のとき位につき、十七年の間エルサレムで世を治めた。エルサレムは主がその名を置くためにイスラエルのすべての部族のうちから選ばれた町である。彼の母はアンモンの女で、名をナアマといった。
レハブアムの母は、アンモン人である、と記されている。
ソロモンがイスラエルで王であった期間は四十年、その子レハブアムは四十一歳で王になった、という事は、ソロモンは王になって間もない時期にアモン人の妻をめとり、レハブアムが産まれたという事であろう。もしかすると、長男だったのかもしれない。
しかし、アモン人は主の集会に加わってはならない、と定められている。(申命記23:3)
ダビデの曾祖母はモアブ人ルツだったが、それとは全く趣きが違う。ルツはイスラエルの神、主を自分の神として、何もかも捨ててイスラエルに来たのだが、ソロモンは、ただ女を快楽の対象として、信仰の動機は一切なかった。
どうして、よりによって、アモン人との間に生まれた者を、王として継がせなくてはならなかったったのか、それは書いていないが、ソロモンが「わなのような女は死よりも苦い」(伝道者の書7:26)事を書いており、また、自分の財産を後に来る者に継がせなくてはならない事を絶望している(伝道者の書2:18-21)事からすると、もしかしたら彼は、アモン人の女に何かしらの形で心縛られ、その子供に王権を継がせなくてはならなくなってしまったのかもしれない。
ソロモン自身、異邦の女について、以下のように箴言で勧告している。
箴言5:3 遊女のくちびるは蜜をしたたらせ、その言葉は油よりもなめらかである。
5:4 しかしついには、彼女はにがよもぎのように苦く、もろ刃のつるぎのように鋭くなる。
5:5 その足は死に下り、その歩みは陰府の道におもむく。
5:6 彼女はいのちの道に心をとめず、その道は人を迷わすが、彼女はそれを知らない。
5:7 子供らよ、今わたしの言うことを聞け、わたしの口の言葉から、離れ去ってはならない。
5:8 あなたの道を彼女から遠く離し、その家の門に近づいてはならない。
5:9 おそらくはあなたの誉を他人にわたし、あなたの年を無慈悲な者にわたすに至る。
5:10 おそらくは他人があなたの資産によって満たされ、あなたの労苦は他人の家に行く。
5:11 そしてあなたの終りが来て、あなたの身と、からだが滅びるとき、泣き悲しんで、
5:12 言うであろう、「わたしは教訓をいとい、心に戒めを軽んじ、
5:13 教師の声に聞き従わず、わたしを教える者に耳を傾けず、
5:14 集まりの中、会衆のうちにあって、わたしは、破滅に陥りかけた」と。
皮肉にもソロモンは、まさに、この箴言の通りになってしまった。
12:14 レハベアムは主を求めることに心を傾けないで、悪い事を行った。
12:15 レハベアムの始終の行為は、預言者シマヤおよび先見者イドの書にしるされているではないか。レハベアムとヤラベアムとの間には絶えず戦争があった。
12:16 レハベアムはその先祖たちと共に眠って、ダビデの町に葬られ、その子アビヤが彼に代って王となった。
レハブアムは、ダビデの孫である。
ダビデからわずか3代目で、こんなにも早く、こんなにも落ちぶれてしまうものか、と思うかもしれない。
そうである。
親がいかに、信仰において優れていても、その子が主を敬わず、主の忌み嫌われる事を続けるなら、あっという間にその人の財は奪われ、落ちぶれてしまうのだ。
だから、御言葉教育が大事なのである。
いかにダビデのような信仰者であれ、御言葉教育をしないと、たった3代で一族が落ちぶれてしまうのは、現代のクリスチャン界を見れば一目瞭然である。
主は、子供に御言葉教育を伝授して行く事を命じておられる。
『努めてこれをあなたの子らに教え(シャナン:シャープにする、研ぎ石などで鋭くする、コツコツと刺激を与える)、あなたが家に座している時も、道を歩く時も、寝る時も、起きる時も、これについて語らなければならない(ダバール:論じ合う)。またあなたはこれをあなたの手につけて(カシャール、結合、連盟、同盟する)印とし、あなたの目の間に置いて(ハヤー)覚えとし』(申命記6:7-8)
主の御旨は、神のいのちを持った神の子が、生んで増えて満ちて行く事である。だからこれらの事を命じられたのだ。
こうしていつも御言葉に浸され、馴染んでいる内に、御言葉と一体化して行く事で、天地を創造した神の言葉による再創造が、その人の中に構築されて生き、神のかたちが出来上がっていくのだ。