メッセージ - ベエル・シェバに入れ(創世記26章)
ベエル・シェバに入れ(創世記26章)
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週報/メッセージ(説教)概要
去年、2018年の天声のカレンダーを作る時、2018年の標語となるべき御言葉を祈り求めていた所、ベエル・シェバという言葉が与えられた。このベエル・シェバとは何か。年明け最初の礼拝では語られたが、主日礼拝で語られた事がなかったので、今回、あらためてベエル・シェバとはいかなる所であるのかを見てみたい。
ベエル・シェバは「七つの井戸」「誓いの井戸」という意味の地で、信仰の父アブラハムが井戸を掘ったが、アビメレクのしもべが来て奪ってしまった。イサクが生まれて後、何をしても栄えるアブラハムをアビメレクは恐れ、不可侵条約を結びに来るのだが、その時、アブラハムはベエル・シェバを返すように抗議し、アビメレクは七頭の雌の子羊を受ける事で、そこは確かにアブラハムの地所であるという誓いを立てた。
『これによってその所をベエルシバと名づけた。彼らがふたりそこで誓いをしたからである。…アブラハムはベエルシバに一本のぎょりゅうの木を植え、その所で永遠の神、主の名を呼んだ。』(創21:31-33)
アブラハムが植えたとされるぎょりゅう(御柳)は今でもベエル・シェバにある。この木はヘブライ語でアシェル(「幸い」の意味:詩篇1:1)で、水が無い所でも深くから水を汲み上げる性質があり、イスラエル民族が1900年ぶりに入植した時、砂漠地帯だった所を、アブラハムに習ってこの木を植えた所、緑化に成功した。
以上のように、ベエル・シェバは信仰の父アブラハムが正統な手続きを経て入手し、潤いある地へと開墾したのだが、息子イサクは飢饉が理由でそこを離れ、再びアビメレクの元に身を寄せに行く。その時、主は彼に現れて言われた。『エジプトへ「下って」はならない。わたしがあなたに示す地に留まりなさい。』(26:2)
道や電車は、都に近づく方を「上り」、遠ざかる方を「下り」と言うが、霊的にも「上る」「下る」の概念がある。
「下」は世であり、そこは一見食料に満ち、美しく栄えているように見えても、破滅への誘惑に満ちており、降った人は、家族や財産を、あるいは命を失い、散々な目で帰って来た例が、聖書に多数ある。
私達は、上にあるものを求め続けるべきだ。そこはキリストが神の右に座しておられるからだ。(コロ3:1)
イサクは食糧難を「下」の方法で解決するため、異邦のアビメレクの元に「下った」結果、散々な目に遭う。
彼は異邦の地で無事に生きるために妻リベカを「妹です」と偽ったり、せっかく百倍の収穫を得ても、それを妬まれ、父アブラハムが掘った井戸を埋められた挙句、アビメレクから出て行くように言われてしまった。
追い立てられた先で井戸を掘っても、そこを奪われ、さらに出て行った先で井戸を掘っても、またしても井戸を奪われ、さらに次の場所へ行かざるを得なかった。どうしてそのような事が起きるのだろう。
それは、そこは主が定めた定住すべき地ではないからであり、「下」の見方で心が曇ってしまったイサクを、主が、「人」という鞭を用い、そこに住めないように導いておられたからだ。私達も「下」を見過ぎて目が曇ってしまい、主が示しておられる地が分からなくなってしまう時、主は「人」や「状況」を鞭として用い、主が示される地へと追い立てて行く事がある。その場所においてなす事がやる事がうまく行かない、やられっぱなし・奪われっぱなしである時、どこが本来いるべき「ベエル・シェバ」であるのかを求める必要がある。
イサクは、井戸をせっかく掘り当てた、と思ったのに、結局そこは狭い場所で、敵だらけで、いつも気を張っていなくてはならなかった。私達も、今の仕事や状況でそのように感じているとするなら、主に御心を求めて行くべきである。主が導いて下さる地、広くて、安心して産んで増えて行ける所を求めて。
『イサクはそこから移ってまた一つの井戸を掘ったが、彼らはこれを争わなかったので、その名をレホボテと名づけて言った、「いま主がわれわれの場所を広げられたから、われわれはこの地にふえるであろう」。彼はそこからベエルシバに上った。』(22-23節) 三度目にようやく争いの無い井戸を掘る事が出来たが、彼はすぐベエル・シェバへと「上る」。彼は「上」を見上げたのだ。彼は結局、信仰の父が掘った井戸の地、神の約束が示されていた地こそ、自分が産んで増えて地に満ちていくべき場所だとようやく悟ったのだ。
するとその夜、早速主がイサクに現れて言われ、「恐れてはならない」「わたしはあなたと共にいてあなたを祝福し、あなたの子孫を増す」と言われた。それで彼は、その所に礼拝場所を築き、天幕を張って井戸を掘り、住み込む準備を整えた。(24-25節) 私達も主が「ここだ」と示される地、示される仕事、示される礼拝を求めるべきである。そしてその「ベエル・シェバ」を得たなら、そこで産んで増えて地に満ちていく準備を整えるのだ。ベエル・シェバをわがものとし、産んで増えていく今年でありますように!