メッセージ - 忌み嫌われる事を行ったアハズと南ユダ王国と、彼らに示された主の憐れみ(2歴代誌28:1-15)
忌み嫌われる事を行ったアハズと南ユダ王国と、彼らに示された主の憐れみ(2歴代誌28:1-15)
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- 執筆 :
- pastor 2018-2-16 7:18
忌み嫌われる事を行ったアハズと南ユダ王国と、彼らに示された主の憐れみ(2歴代誌28:1-15)
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ヨタムは信仰を子供に、その民に受け継がせる事に失敗し、その恐ろしい”つけ”が、後代において刈り取ってしまうことになる。
それまでの王達は、最初は主の目に良い事を行い、それで祝福されると高ぶってしまい、晩節を汚すという事が数代続いたが、アハズは最初から主の目に忌み嫌われる事を行った。
28:1 アハズは王となった時二十歳で、十六年の間エルサレムで世を治めたが、その父ダビデとは違って、主の良しと見られることを行わず、
28:2 イスラエルの王たちの道に歩み、またもろもろのバアルのために鋳た像を造り、
28:3 ベンヒンノムの谷で香をたき、その子らを火に焼いて供え物とするなど、主がイスラエルの人々の前から追い払われた異邦人の憎むべき行いにならい、
28:4 また高き所の上、丘の上、すべての青木の下で犠牲をささげ、香をたいた。
アハズは偶像礼拝をもたらしてしまった。その結果どうなるか、十戒で真っ先に書いてある。
20:2 「わたしはあなたの神、主であって、あなたをエジプトの地、奴隷の家から導き出した者である。
20:3 あなたはわたしのほかに、なにものをも神としてはならない。
20:4 あなたは自分のために、刻んだ像を造ってはならない。上は天にあるもの、下は地にあるもの、また地の下の水のなかにあるものの、どんな形をも造ってはならない。
20:5 それにひれ伏してはならない。それに仕えてはならない。あなたの神、主であるわたしは、ねたむ神であるから、わたしを憎むものは、父の罪を子に報いて、三、四代に及ぼし、
20:6 わたしを愛し、わたしの戒めを守るものには、恵みを施して、千代に至るであろう。
偶像礼拝は、主に忌み嫌われ、それを行う者は3代4代に呪いが及ぶ。
しかしアハズの子ヒゼキヤは主の目にかなった行いをした故に祝福されたように、もし親の代の偶像礼拝を忌み嫌うものとして自分の中から投げ捨てるなら、その人はその行い故に祝福される。
アハズはなんと、自分の子達を火で焼いていけにえとする邪教の教えにも習ってしまった。
そのような者はイスラエルの中でどうすべきか、主はあらかじめ示しておられる。
レビ記20:2 「イスラエルの人々に言いなさい、『イスラエルの人々のうち、またイスラエルのうちに寄留する他国人のうち、だれでもその子供をモレクにささげる者は、必ず殺されなければならない。すなわち、国の民は彼を石で撃たなければならない。
20:3 わたしは顔をその人に向け、彼を民のうちから断つであろう。彼がその子供をモレクにささげてわたしの聖所を汚し、またわたしの聖なる名を汚したからである。
20:4 その人が子供をモレクにささげるとき、国の民がもしことさらに、この事に目をおおい、これを殺さないならば、
20:5 わたし自身、顔をその人とその家族とに向け、彼および彼に見ならってモレクを慕い、これと姦淫する者を、すべて民のうちから断つであろう。
つまり、自分の子を犠牲に捧げるような者は、本来、殺さなければならない。
そしてそれを見て見ぬふりをし、あるいは同意する者も同様である。
それなのに、アハズの時代は国がこぞってそうなってしまった。
律法に照らすなら、本来、すぐにでも滅ぼされても仕方がない事を彼らはしていたのだが、すぐに皆が殺されるという事を主はしない。
本来殺されるはずの罪人が、すぐに殺されず、立ち返る道が与えられる。これを、恵みという。
主は恵みの時、悔い改めて立ち返る事ができる時間を与えられた。
2歴代誌28:5 それゆえ、その神、主は彼をスリヤの王の手に渡されたので、スリヤびとは彼を撃ち破り、その民を多く捕虜として、ダマスコに引いて行った。彼はまたイスラエルの王の手にも渡されたので、イスラエルの王も彼を撃ち破って大いに殺した。
28:6 すなわちレマリヤの子ペカはユダで一日のうちに十二万人を殺した。皆勇士であった。これは彼らがその先祖の神、主を捨てたためである。
28:7 その時、エフライムの勇士ジクリという者が王の子マアセヤ、宮内大臣アズリカムおよび王に次ぐ人エルカナを殺した。
28:8 イスラエルの人々はついにその兄弟のうちから婦人ならびに男子、女子など二十万人を捕虜にし、また多くのぶんどり物をとり、そのぶんどり物をサマリヤに持って行った。
たった一日で戦士が十二万人も殺されたばかりでなく、王の子や側近の者達が殺されてしまった。
そればかりでなく、婦人や男女二十万人もの人々が、捕虜にされ、連れて行かれ、また財産も多くぶんどり物として持って行かれてしまった。
その理由は明らかで「これは彼らがその先祖の神、主を捨てたためである。」(28:6)
神の民が、主に忌み嫌われるものを抱えたままでは、敵の前に立つことは出来ない。
その戦いは、必ず散々な目に遭うものだ。次のように書いてある。
ヨシュア記7:10 主はヨシュアに言われた、「立ちなさい。あなたはどうして、そのようにひれ伏しているのか。
7:11 イスラエルは罪を犯し、わたしが彼らに命じておいた契約を破った。彼らは奉納物を取り、盗み、かつ偽って、それを自分の所有物のうちに入れた。
7:12 それでイスラエルの人々は敵に当ることができず、敵に背をむけた。彼らも滅ぼされるべきものとなったからである。あなたがたが、その滅ぼされるべきものを、あなたがたのうちから滅ぼし去るのでなければ、わたしはもはやあなたがたとは共にいないであろう。
7:13 立って、民を清めて言いなさい、『あなたがたは身を清めて、あすのために備えなさい。イスラエルの神、主はこう仰せられる、「イスラエルよ、あなたがたのうちに、滅ぼされるべきものがある。その滅ぼされるべきものを、あなたがたのうちから除き去るまでは、敵に当ることはできないであろう」。
7:14 それゆえ、あすの朝、あなたがたは部族ごとに進み出なければならない。そして主がくじを当てられる部族は、氏族ごとに進みいで、主がくじを当てられる氏族は、家族ごとに進みいで、主がくじを当てられる家族は、男ひとりびとり進み出なければならない。
7:15 そしてその滅ぼされるべきものを持っていて、くじを当てられた者は、その持ち物全部と共に、火で焼かれなければならない。主の契約を破りイスラエルのうちに愚かなことを行ったからである』」。
本来滅ぼされて仕方のないイスラエルの前に、さらに主の憐れみが注がれる。
28:9 その時そこに名をオデデという主の預言者があって、サマリヤに帰って来た軍勢の前に進み出て言った、「見よ、あなたがたの先祖の神、主はユダを怒って、これをあなたがたの手に渡されたが、あなたがたは天に達するほどの怒りをもってこれを殺した。
28:10 そればかりでなく、あなたがたは今、ユダとエルサレムの人々を従わせて、自分の男女の奴隷にしようと思っている。しかしあなたがた自身もまた、あなたがたの神、主に罪を犯しているではないか。
28:11 いまわたしに聞き、あなたがたがその兄弟のうちから捕えて来た捕虜を放ち帰らせなさい。主の激しい怒りがあなたがたの上に臨んでいるからです」。
南ユダ王国は確かに滅ぼされて仕方ない事を行った故に、たった一日で合計32万が取り去られてしまうような、甚大な災いを被ったが、しかし主は南ユダ王国のみならず、北イスラエル王国にも憐れみのわざをするチャンスを、預言者を通して与えられた。
主は北イスラエル王国の人々に対し、南ユダ王国の捕虜20万を「兄弟たち」と呼んだ。彼らに憐れみを施しなさい、と。
果たして北イスラエル王国は、その憐れみのわざを行った。
28:12 そこでエフライムびとのおもなる人々、すなわちヨハナンの子アザリヤ、メシレモテの子ベレキヤ、シャルムの子ヒゼキヤ、ハデライの子アマサらもまた、戦争から帰った者どもに向かって立ちあがり、
28:13 彼らに言った、「捕虜をここに引き入れてはならない。あなたがたはわたしどもに主に対するとがを得させて、さらにわれわれの罪とがを増し加えようとしている。われわれのとがは大きく、激しい怒りがイスラエルの上に臨んでいるからです」。
28:14 そこで兵卒どもがその捕虜とぶんどり物をつかさたちと全会衆の前に捨てておいたので、
28:15 前に名をあげた人々が立って捕虜を受け取り、ぶんどり物のうちから衣服をとって、裸の者に着せ、また、くつをはかせ、食い飲みさせ、油を注ぎなどし、その弱い者を皆ろばに乗せ、こうして彼らをしゅろの町エリコに連れて行って、その兄弟たちに渡し、そしてサマリヤに帰って来た。
このサマリヤの人たちが示した憐れみの行動、何か新約の、良きサマリヤ人のたとえを思い起こさせるキーワードが、たくさんある。
ルカ10:29 すると彼は自分の立場を弁護しようと思って、イエスに言った、「では、わたしの隣り人とはだれのことですか」。
10:30 イエスが答えて言われた、「ある人がエルサレムからエリコに下って行く途中、強盗どもが彼を襲い、その着物をはぎ取り、傷を負わせ、半殺しにしたまま、逃げ去った。
10:31 するとたまたま、ひとりの祭司がその道を下ってきたが、この人を見ると、向こう側を通って行った。
10:32 同様に、レビ人もこの場所にさしかかってきたが、彼を見ると向こう側を通って行った。
10:33 ところが、あるサマリヤ人が旅をしてこの人のところを通りかかり、彼を見て気の毒に思い、
10:34 近寄ってきてその傷にオリブ油とぶどう酒とを注いでほうたいをしてやり、自分の家畜に乗せ、宿屋に連れて行って介抱した。
10:35 翌日、デナリ二つを取り出して宿屋の主人に手渡し、『この人を見てやってください。費用がよけいにかかったら、帰りがけに、わたしが支払います』と言った。
10:36 この三人のうち、だれが強盗に襲われた人の隣り人になったと思うか」。
10:37 彼が言った、「その人に慈悲深い行いをした人です」。そこでイエスは言われた、「あなたも行って同じようにしなさい」。
北イスラエル王国は、アハズという強盗によって散々な目に遭った南ユダ王国の人々に対し、裸の者には着させ、くつをはかせ、飲み食いさせ、油を塗り、弱っている人を動物に乗せてはこび、エリコへと導いて、「隣人」となり、よきサマリヤ人になった。
これによって、どれほど主の憐れみが北イスラエル王国に、南ユダ王国に示された事だろう。
しかし南ユダ王国のアハズは、その主が示してくださった憐れみをもって悔い改めるのではなく、かえって、なにをしても赦されるのだと思ったのか、より主に忌み嫌われる方面へと進んでしまう事になる。