メッセージ - 無駄な争いに首を突っ込んで、あまりにあっけなく死んでしまったヨシヤ王(2歴代誌35:1-19)
無駄な争いに首を突っ込んで、あまりにあっけなく死んでしまったヨシヤ王(2歴代誌35:1-19)
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- 執筆 :
- pastor 2018-4-11 7:11
無駄な争いに首を突っ込んで、あまりにあっけなく死んでしまったヨシヤ王(2歴代誌35:1-19)
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主の御前に良い事を行い、優れた過越のいけにえを捧げ、素晴らしい賛辞が与えられたヨシヤ王であったが、その最後はあまりにも突然訪れた。
彼が死んだきっかけは、関わるべきでない争いに首を突っ込んだ事によった。
2歴代誌35:20 このようにヨシヤが宮を整えた後、エジプトの王ネコはユフラテ川のほとりにあるカルケミシで戦うために上ってきたので、ヨシヤはこれを防ごうと出て行った。
35:21 しかしネコは彼に使者をつかわして言った、「ユダの王よ、われわれはお互に何のあずかるところがありますか。わたしはきょう、あなたを攻めようとして来たのではありません。わたしの敵の家を攻めようとして来たのです。神がわたしに命じて急がせています。わたしと共におられる神に逆らうことをやめなさい。そうしないと、神はあなたを滅ぼされるでしょう」。
箴言に記されている。
箴言26:17 自分に関係のない争いにたずさわる者は、通りすぎる犬の耳をとらえる者のようだ。
エジプトはなぜこの時、行軍していたのか。それは当時の大国、アッシリヤ、エジプト、バビロンの3国間の事情による。
当時アッシリヤは力衰え,新興のバビロニヤがこれを西北方へ押しやっていた.アッシリヤ王とその軍隊はバビロニヤ軍に追われ,ユーフラテス川上流のカルケミシュまで追い詰められた.このアッシリヤへの援軍を率い〈エジプトの王ネコ〉(20)が北上するという情勢の中で,それを阻止するためにヨシヤは軍を率いて〈メギドの平地〉(22)でエジプト軍に戦いを挑んだ.ネコは「ユダを攻めるのではないから,軍を引け」と忠告したが,ヨシヤは聞き入れず,この戦いで彼は戦死する(20‐24)(聖書注解)
エジプトの王は「神(エローヒム)」の名を出して、この戦いは神が命じられた戦いである、あなたは関わるべきでない、と言った。
35:22 しかしヨシヤは引き返すことを好まず、かえって彼と戦うために、姿を変え、神の口から出たネコの言葉を聞きいれず、行ってメギドの谷で戦ったが、
歴代誌の筆者は、「神の口から出たネコの言葉を聞きいれず」と書いた。
ネコは当然、エジプトの神の事を言ったのであろうが、しかし、この戦いに関わってはならない、というのは、まことの神からの言葉であったのだ。
私達はどのように、まことの神の言葉を判別すれば良いのだろう。
現代の私達は、御言葉に聞くべきである。
ヨシヤには預言者がいたのに、預言者に聞かなかった。
また、祭司がいたのに、祭司にも聞かなかった。
そして、御言葉があったのに、御言葉にも聞かなかった。
もし上のどれかに聞いていれば、この戦いに関わってはならない事は、明らかに示されていただろう。
エジプトは「イスラエルから遠く離れている町々」に当たるため、戦いを仕掛けるとするなら、申命記20:10-15節の御言葉を適用すべきであった。
申命記20:10 一つの町へ進んで行って、それを攻めようとする時は、まず穏やかに降服することを勧めなければならない。
20:11 もしその町が穏やかに降服しようと答えて、門を開くならば、そこにいるすべての民に、みつぎを納めさせ、あなたに仕えさせなければならない。
20:12 もし穏やかに降服せず、戦おうとするならば、あなたはそれを攻めなければならない。
20:13 そしてあなたの神、主がそれをあなたの手にわたされる時、つるぎをもってそのうちの男をみな撃ち殺さなければならない。
20:14 ただし女、子供、家畜およびすべて町のうちにあるもの、すなわちぶんどり物は皆、戦利品として取ることができる。また敵からぶんどった物はあなたの神、主が賜わったものだから、あなたはそれを用いることができる。
20:15 遠く離れている町々、すなわちこれらの国々に属さない町々には、すべてこのようにしなければならない。
戦うべきタイミングは、13節にある通り「あなたの神、主がそれをあなたの手にわたされる時」である。
主が敵を「あなたの手に渡す」と宣言されるまでは、戦いを仕掛けてはならないのに、ヨシヤは伺う事をせず、戦いにさっさと出てしまった。
35:23 射手の者どもがヨシヤを射あてたので、王はその家来たちに、「わたしを助け出せ。わたしはひどく傷ついた」と言った。
35:24 そこで家来たちは彼を車から助け出し、王のもっていた第二の車に乗せてエルサレムにつれて行ったが、ついに死んだので、その先祖の墓にこれを葬った。そしてユダとエルサレムは皆ヨシヤのために悲しんだ。
あの最大の賛辞が与えられたヨシヤ王の、まことに、あっけない死に方であった。
その原因は、無駄な争いに首を突っ込んだ事によった。
主が私達に望んでおられる事は、柔和な者、平和をつくる者となる事である。
マタイ5:5 柔和な人たちは、さいわいである、彼らは地を受けつぐであろう。
逆に読むなら、喧嘩っ早い者は災いである、彼らは地を受け継げない、あるいは、地から吐き出されてしまう、という事か。
マタイ5:9 平和をつくり出す人たちは、さいわいである、彼らは神の子と呼ばれるであろう。
逆に読むなら、争いをつくり出す人達は災いである、彼らは神の子とは呼ばれない、あるいは、悪魔の子と呼ばれるであろう、という事か。
35:25 時にエレミヤはヨシヤのために哀歌を作った。歌うたう男、歌うたう女は今日に至るまで、その哀歌のうちにヨシヤのことを述べ、イスラエルのうちにこれを例とした。これは哀歌のうちにしるされている。
35:26 ヨシヤのその他の行為、主の律法にしるされた所に従って行った徳行、
35:27 およびその始終の行いなどは、イスラエルとユダの列王の書にしるされている。
彼の死は、本当に人々に惜しまれ、その哀歌は「今日に至るまで」となえられた。
この歴代誌の出来事を、私達は教訓として肝に命じておくべきである。
いかに良い行いを積み、いかに素晴らしい業績を残した偉大な王と言えども、主の命令を離れ、むやみに戦うなら、あっさりと命を落としてしまうのだ。
つまらない争い事に首をつっこんで、せっかく今まで積み上げて来た業績をあっさり台無しにする事なく、平和な者として神の子と呼ばれ、柔和な者として多くの地を相続する私達でありますように!
イエス様のお名前によって祝福します!