メッセージ - 「リション(ראשׁון)」法則(1列王記17:8-16)
「リション(ראשׁון)」法則(1列王記17:8-16)
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週報/メッセージ(説教)概要
私の人生、何故か真っ直ぐには進まないで、いつもでこぼこ道を進んでいるようで、疲れる。というような事は無いだろうか。物事には優先順位があり、その優先順位の最初(ファースト)を間違えると、あたかも、最初のボタンをかけ間違えて着てしまった服のように、非常にちぐはぐになってしまう。ファーストを正しく行うなら、続くセカンド、サードは全てうまく行く。今回、人生の「ファースト」をどう据えるべきか、学びたい。
「ファースト」「まず」を、ヘブライ語では「リション(ראשׁון)」という。神の国の事を「リション」にすれば、あとは神様が全部、責任取って下さり、そうすれば人が切望する「食べもの」「着るもの」などの”第二、第三”は、加えて与えられる(マタイ6:33)。世の中、神の国を第一とする神の民は、「上」になるように出来ているが、神の民が、”第二、第三”にすべきを、第一に据えてしまうなら、世の中では「下」とならざるを得ない。
神の民・イスラエルが不従順であった時代、神は預言者エリヤを通して警告を与えた。「わたしの言葉のないうちは、数年雨も露もない」。(1列王記17:1) 神の民全体が、リションを外した時代ゆえ、預言者もそのとばっちりを受けていたが、彼は主から養いを受ける。「立ってシドンに属するザレパテへ行って、そこに住みなさい。わたしはそのところのやもめ女に命じてあなたを養わせよう」(9節)
そのやもめは、異邦の地シドンに住んでいたが、神を恐れ敬う女だった。しかし彼女も時代の罪のとばっちりを受け、彼女はもう最後のわずかな食料が残るのみで、それがなくなると、彼女も息子も死のうとしていた。その、最後の料理をするために、薪拾いをしている最中、彼女は偉大な預言者から声をかけられる。
「「器に水を少し持ってきて、わたしに飲ませてください」。彼女が行って、それを持ってこようとした時、彼は彼女を呼んで言った、「手に一口のパンを持ってきてください」。」(10-11節) 彼女はどう見ても人を養う能力も資力も無い。なぜ預言者を養うはずのやもめが、こんなにも貧しく追いつめられていたのか。なぜエリヤが遣わされた先は、イスラエルの誰かにではなく、シドンのこのやもめなのか。
その時代、イスラエルにも沢山やもめはいたが、預言者の言葉どおり主にリションする人は、イスラエルの中に一人もいなかった、という事である(ルカ4:24-26)。それで主はエリヤを、彼女の食料が尽きる直前に到着するよう、彼女の元へ遣わされたのだ。主を敬う人への助けは、間に合わないという事は、決して無い。
主は、サレプタのやもめ女に命じてあなたを養わせよう、とエリヤに言ったが、どうも彼女は、主から命じられたような感じではない。それどころか、彼女にはその能力も持ち物も無い。どういう事だろう。
主は、当人に意識があっても無くても、当人に資力や力があっても無くても、その人の内に、主に対する「リション」があるかないかを見られ、その人に応じた志(ミニストリー)を起こさせ「命じる」のだ。(ピリピ2:13)
その時、本人の能力や持ち物、時間、お金の有る無しは、一切関係無い。ただ「リション」があるか無いかが主の目に重要であり、その人は、起こされた志と使命感に突き動かされ、必要な物は全て主から与えられ、その人の「リション」を主が用いて時代を動かして行くのである。アブラハムのように、ハンナのように。
『エリヤは彼女に言った、「恐れるには及ばない。行って、あなたが言った通りにしなさい。しかし「まず(リション)」、それでわたしのために小さいパンを、一つ作って持ってきなさい。その後、あなたと、あなたの子供のために作りなさい。『主が雨を地のおもてに降らす日まで、かめの粉は尽きず、びんの油は絶えない』とイスラエルの神、主が言われるからです」。』(13-14節) ある人はここから、エリヤを「人でなし」と評価する。万一、エリヤが食べて、そのままやもめと子供が死ぬなら、酷い話である。世の独裁者は、皆、そうする。
しかし主は「備え主」であり、主の言葉は「なくなって終わり」ではない。信仰ある人は、「主が雨を地のおもてに降らす日まで、かめの粉は尽きず、びんの油は絶えない」という主の言葉に、大きな希望を見出す。
希望の根拠は「イスラエルの神、主の言葉」であり、この言葉を非道いと取るか、それとも希望に取るかは、その人の信仰次第である。彼女はエリヤを通した主の言葉に、リションの行いで答えた結果、主の真実と奇跡が現れた。主の真実と奇跡を見るためには、単純に、主の御言葉どおりに実行する事である。
こうして彼女は、主の言葉どおりに、粉も油も本当に尽きず、自分も子供も、預言者も、それによって養われた。私達も、ファーストを主に据えるなら、主は私達を、不信仰な時代の罪のとばっちりから守り、全ての必要が満たされるのみならず、私達を、時代の「ファーストクラス」へと乗せ、歴史を変える役割を与えて下さるのだ。主へのリションを示し、時代を変える事に用いられて行くみなさんでありますように!