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メッセージ - ヨブの応答 - 善悪判断の応酬という不毛な牢獄へ落ち込んで行くヨブ達(ヨブ記12章)

ヨブの応答 - 善悪判断の応酬という不毛な牢獄へ落ち込んで行くヨブ達(ヨブ記12章)

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礼拝メッセージ説教音声配信 » 講解説教(旧約) » ヨブ記
執筆 : 
pastor 2018-5-10 8:12

ヨブの応答 - 善悪判断の応酬という不毛な牢獄へ落ち込んで行くヨブ達(ヨブ記12章)
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ナアマ人ツォファルの言葉に対してヨブが答えるが、その答えは、ツォファルへの返答というより3人の友人達の論説に対するヨブの辛辣な総評となり、さらには、神と論じ合いたい(13:3)とまで、論調がエスカレートして行ってしまう。

12:1 そこでヨブは答えて言った、
12:2 「まことに、あなたがたのみ、人である、/知恵はあなたがたと共に死ぬであろう。

ヨブは、あなた方が広げた知恵は人の知恵、死ねば一緒に無くなる息のような知恵だという酷評から始まる。
ツォファルは、ヨブを口達者なおしゃべりで、それもそのおしゃべりの内容は、「むなしい(バド:うそ)」、「あざけり」だと決めつけてかかって来た(11:3)が、ヨブはまさに売り言葉に買い言葉で返し、自分も知恵ある者だ、と主張する。

12:3 しかしわたしも、あなたがたと同様に悟りをもつ。わたしはあなたがたに劣らない。だれがこのような事を知らないだろうか。
12:4 わたしは神に呼ばわって、聞かれた者であるのに、/その友の物笑いとなっている。正しく全き人は物笑いとなる。

ヨブ自身、自らを悟りある者、あなた方に劣らない者である、わたしは神を呼んで神に聞かれた者である、それなのにあなた方ときたら、わたしを物笑いにしている、と批判し、あなた方が開帳したそんな知恵など、知らない者があろうか、と、こきおろす。
感情が高ぶって発せられた言葉とはいえ、一応、ヨブを思いやって訪ねて来た友人達である。傲慢な言葉であるが、以下に続く言葉は、もっと論調がヒートアップして行く。

12:5 安らかな者の思いには、/不幸な者に対する侮りがあって、/足のすべる者を待っている。
12:6 かすめ奪う者の天幕は栄え、/神を怒らす者は安らかである。自分の手に神を携えている者も同様だ。

ヨブは、友人達が、自分達は安泰な者、不幸に落ちぶれたヨブを、高い位置にある自分達が教え導かなければならない、というような立場にしている、と指摘し、しかも、「かすめ奪う者」「神を怒らす者」「自分の手に神を携えている者」という言葉を発したからには、暗に、ヨブの友人達はそのような者だ、と批判しているのだろう。

義人ヨブ。なぜここまでねじ曲がってしまったのか。
パウロは言う。

1コリント3:18 だれも自分を欺いてはならない。もしあなたがたのうちに、自分がこの世の知者だと思う人がいるなら、その人は知者になるために愚かになるがよい。
3:19 なぜなら、この世の知恵は、神の前では愚かなものだからである。「神は、知者たちをその悪知恵によって捕える」と書いてあり、
3:20 更にまた、「主は、知者たちの論議のむなしいことをご存じである」と書いてある。

ヨブと友人達は、自分をこの世の知者だと思っており、それを曲げずにいるが、ヨブのように大いに苦しんでいる友人と相対した時には、むしろ自分の知者である事を降ろし、愚かになるべきだ。
もし自分をあくまで知者だと貫くなら、「神は、知者たちをその悪知恵によって捕える」「主は、知者たちの論議のむなしいことをご存じである」と書いてある通りである。

もし人が、自分は何か知っていると思うなら、その人は、知らなければならないほどの事すら、まだ知っていないのである。(1コリント8:2)
知識は人を高ぶらせ、愛は人の徳を建てるからだ。(同1節)
むしろ、「自分は正しい」という思い込みは、ヨブのような義人さえも腐らせてしまうのだ。

ヨブはさらに言う。
12:7 しかし獣に問うてみよ、/それはあなたに教える。空の鳥に問うてみよ、/それはあなたに告げる。
12:8 あるいは地の草や木に問うてみよ、/彼らはあなたに教える。海の魚もまたあなたに示す。
12:9 これらすべてのもののうち、いずれか/主の手がこれをなしたことを知らぬ者があろうか。
12:10 すべての生き物の命、/およびすべての人の息は彼の手のうちにある。

全ての生き物のいのち(ネフェシュ:生物的な命)も、神の似姿である人間の息(ルアッハ:神の霊)も、全て神の御手が下さるものである。
そのような事は、何も、あなた方が言わなくても、獣でも、鳥でも、地も、海の生き物さえ、みんな知っている事だ、とヨブは言う。
ちなみに、ヨブ記3章から37章の、詩文体の討論の中で、唯一、主エホバの御名があるのは、この12章9節のヨブの言葉のみである。
それ程、この討論には、主エホバの御名の無い、人間の知恵、人間の正しさばかりがはびこっている、不毛なものなのだ。

12:11 口が食物を味わうように、/耳は言葉をわきまえないであろうか。
12:12 老いた者には知恵があり、/命の長い者には悟りがある。
12:13 知恵と力は神と共にあり、/深慮と悟りも彼のものである。

友人達の言葉は、ヨブには全く響かなかった。味わいが無かった。
知恵は、人が年を取れば自動的に身につけるものではない、神が下さるものである、それに引き換えあなた方の知恵は人間由来で、死んでしまえば無くなるものだ、とヨブは主張している。

友人達は、因果応報的な神観を打ち出したが、続く14節以降から読み取れるヨブの神観は、神は何か専制君主のように、思いのままに人を高くし、あるいは引きずり下ろす圧制者のようなお方であるかのような感じが、にじみ出ている。
それはねじ曲がった神観であるが、ヨブをそのようにしてしまったのは、結局、ヨブと友人達の「自分は正しい」という、頑として曲げない前提条件と、「自分は知者だ」という驕り高ぶりである。
自分は善、あれは悪。
そのような善悪判断こそ、全てのものに死をもたらす毒薬である。

創世記2:16  主なる神はその人に命じて言われた、「あなたは園のどの木からでも心のままに取って食べてよろしい。
2:17  しかし善悪を知る木からは取って食べてはならない。それを取って食べると、きっと死ぬであろう」。

ヨブと友人達を、主エホバの御名の無い、不毛な人間の議論という「死」へと導いてしまったものは、飽くなき善悪主張なのだ。
結局、この12章から学ぶべき言葉、この不毛な善悪応酬の牢獄から解放される鍵は、以下の御言葉であろう。

ローマ12:15 喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣きなさい。
12:16 互に思うことをひとつにし、高ぶった思いをいだかず、かえって低い者たちと交わるがよい。自分が知者だと思いあがってはならない。

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