メッセージ - 大祭司のしるし - 人には模造すら出来ない死からの復活(民数記17:1-10)
大祭司のしるし - 人には模造すら出来ない死からの復活(民数記17:1-10)
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- 礼拝メッセージ説教音声配信 » 定期祈祷会メッセージ
- 執筆 :
- pastor 2018-5-15 7:27
大祭司のしるし - 人には模造すら出来ない死からの復活(民数記17:1-10)
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主日のメッセージにおいて、契約の箱(アーク)の中には十戒の石版、マナの入った壺、アロンの杖の3つが入っていた事を学んだが、今回はアロンの杖がどのようにして成り立ったのかを見、祭司のしるしとは何かを見ていきたい。
まず、アロンの杖がどうしてしるしとして必要となったのか、前の章を見る必要がある。
16章ではコラの起こした事件が記されている。コラは人々を扇動し、モーセとアロンが人々の上に立って特別な地位にある事に不満を持ち、有力者250人と共にモーセ達に逆らった。
あなた方だけが特別に立っているのはおかしい、神は主の民全てを聖なる者としたではないか、と、権威に挑戦したのだが、神がそんな彼らに返したのは、誰が見ても恐ろしい、はっきりとしたさばきであった。
地面がぱっくりと口を空け、コラも、その天幕もろとも、地面へと飲み込まれて行ったのだ。
そして一緒に逆らった250人は、主の元から火が来て、彼らは焼きつくされたのだ。
それでも人々は、モーセとアロンに不平不満をぶちまけた故に、その時の神罰では、一万四千七百人が死んだ。
こうして、主が立てた権威に逆らう事がいかに恐ろしいかが示されたのだが、主は、もはやこのような事が無いように、と、アロンが大祭司であると誰もが文句言えないような「しるし」を与えられる。それが、17章である。
民数記17:1 主はモーセに言われた、
17:2 「イスラエルの人々に告げて、彼らのうちから、おのおのの父祖の家にしたがって、つえ一本ずつを取りなさい。すなわち、そのすべてのつかさたちから、父祖の家にしたがって、つえ十二本を取り、その人々の名を、おのおのそのつえに書きしるし、
17:3 レビのつえにはアロンの名を書きしるしなさい。父祖の家のかしらは、おのおののつえ一本を出すのだからである。
17:4 そして、これらのつえを、わたしがあなたがたに会う会見の幕屋の中の、あかしの箱の前に置きなさい。
17:5 わたしの選んだ人のつえには、芽が出るであろう。こうして、わたしはイスラエルの人々が、あなたがたにむかって、つぶやくのをやめさせるであろう」。
杖は、生物的な木としては死んだ物である。それが生き返る。
この、「死からの復活」を「しるし」とし、アロンこそ、神が直接任命した大祭司である事を人々に示すのだ。
死からの復活こそ、まさしく、「神がした」という権威のしるしである。
17:6 モーセが、このようにイスラエルの人々に語ったので、つかさたちはみな、その父祖の家にしたがって、おのおの、つえ一本ずつを彼に渡した。そのつえは合わせて十二本。アロンのつえも、そのつえのうちにあった。
17:7 モーセは、それらのつえを、あかしの幕屋の中の、主の前に置いた。
17:8 その翌日、モーセが、あかしの幕屋にはいって見ると、レビの家のために出したアロンのつえは芽をふき、つぼみを出し、花が咲いて、あめんどうの実を結んでいた。
果たして、モーセとアロンが一晩掛けて、精巧に、本物のアーモンドそっくりの模造品をこしらえたのだろうか?
偽の命は、すぐにばれてしまう。生命の模造は、現代の技術をもってしても、出来ない。
人は、いのちを造り出す事はできないし、模造すらも出来ないのだから、まして人は、死んだいのちをよみがえらせる事など、できないのだ。
古くから人類はそれを願い、研究し、努力して来たが、未だにそれには至っていない。
いのち。
それは、まごうことなき神の作品であり、死からの復活こそ、神の認証のあかしである。
神が最も顕著に示した「死と復活のしるし」は、イエス・キリストの十字架である。
彼は、十字架という木の死から復活した。
そういう訳で、彼キリストこそ、まごう事なきまことの大祭司であると、神は示された。
そのしるしを見せられても、なお否定する者には、弁解の余地なくさばきが待っている。
ちょうど荒野の民が、この17章のしるしを見てもなお逆らい、逆らった者達が、ことごとく倒れていったように。
アーモンドはヘブライ語でシャケィド、「見張る(シャケァド)」と同じ子音である。
エレミヤ書においても、主は、預言者エレミヤに「アーモンドの杖(マケル・シャケィド)」を幻で見せた。
エレミヤ1:11 主の言葉がまたわたしに臨んで言う、「エレミヤよ、あなたは何を見るか」。わたしは答えた、「あめんどうの枝(マケル・シャケィド:アーモンドの杖)を見ます」。
1:12 主はわたしに言われた、「あなたの見たとおりだ。わたしは自分の言葉を行おうとして見張っている(シャケァド)のだ」。
主は、アーモンドであるアロンの杖を通して、示しておられる。
主は私達を見張っておられ、そして、主ご自身が、御言葉を行おうと、見張っておられるという事を。
主の御言葉の成就は、イエス・キリストの十字架と復活を通して行われた。
そして、この死と復活の木、十字架を仰ぎ見、彼こそまことの大祭司とする者は全て、キリストが復活したように復活し、それでも彼を否む者は、荒野の民のように滅んで行くのだ。