メッセージ - 約束の時、約束の場所で、約束された主との出会い(使徒1:4-8)
約束の時、約束の場所で、約束された主との出会い(使徒1:4-8)
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週報/メッセージ(説教)概要
本日は聖霊降誕日(ペンテコステ)、イエス・キリストの弟子達が聖霊を受けた事を覚え、祝う日である。
この出来事の前、弟子達は弱く、よく失敗し、十字架の時に至っては、イエス様を見捨てて逃げてしまった。
私達も、人間的な頑張りと忠誠心だけでイエス様について行こうとするなら、この、聖霊降臨前の弟子達の域を超えられない。しかし弟子達は、聖霊降誕を境に全く変わってしまった。イエス様こそ神の御子・救い主であると大胆に宣言し、殉教をも恐れず、地の果てまで御言葉を届ける程、強力な働き人に変身した。
主の働き人の、力の根源は、聖霊である。『聖霊があなたがたに降る時、あなたがたは力(デュナミス)を受けて、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、さらに地のはてまで、わたしの証人となる』(使徒1:8)
聖霊が降った時に受ける「力(デュナミス)」は、ダイナマイトの元となった言葉である。聖霊を受けた時、各々は爆弾を抱えたような者となり、消極的な人の「消極」は爆破され、積極的になり、破綻してしまった人の「破綻」は爆破され、創造的な人に変わる。それはひとえに、その人がイエス・キリストの証人となるためであり、その人が全くいのちの方向へ変わってしまう様を見て、人々がイエス様を信じるようになるためだ。
聖霊はどんな人に与えられるか。それは主が約束された言葉を信じ、その成る事を求める人に、である。
弟子達は「エルサレムを離れないで、わたしから聞いた父の約束を待ちなさい。」(1:4)と言われた通り、都に留まり、そして皆一つ所に集まって「心を合わせ、祈りに専念していた。」(14節) そうして五旬節の日そこに集まっていた人にこそ、聖霊が与えられたのである。主の約束どおりする時、約束の成就があるのだ。
約束した日時に、約束の駅で待っていないなら、約束の地へ一緒に行く機会を逃してしまうように、主が約束された御言葉通りにしないで、その時、そこに居合わせないなら、主と一緒となる事を逃してしまう。
この「約束の日、約束の時間、約束の場所での、約束された主との出会い」を、ヘブライ語では「モエド」と言い、それをすなわち「祭り」と言う。ユダヤ人は日毎・週毎・月毎・年ごとに「祭り」があり、彼らはそれごとに、主との出会いをしている。もし、その祭りを逃すなら、その時限定の受けるべき祝福を、逃してしまう。
この聖霊降臨日(ギリシア語:ペンテコステ)は、旧約における七週の祭り(ヘブライ語:シャブオット)である。
七週祭とは、イスラエルの民がエジプトを出た49日(七週)後にシナイ山で律法を与えた事を記念する祭りであるが、旧約の「祭り」は、新約の出来事に対応しており、いずれも神のご計画のうちに成就されて行く。
旧約の「過越祭」は、新約におけるイエス・キリストが十字架でほふられる事に対応している。仮庵祭は、イエス様の受肉に対応しており、そして七週祭(シャブオット)は、聖霊降臨(ペンテコステ)に対応している。
シャブオットのその日、主はシナイ山に降りて来て(A)火の中に現れ、(B)雷鳴と角笛が吹かれる響きの中、全山は震え動いた(出エジプト記 19:18)。それに対応し、新約のペンテコステの日、天から(B')激しい風が吹いて来るような響きが起こり、(A')炎の分かれた舌が現れ、一人ひとりの上に留まった。(使徒2:2-3)
シャブオットの日、主の著しい顕現の中「わたしは主である(アニ・ヤーウェ 出20:2)」と、主ご自身が直接的に現れ語った(C)が、ペンテコステの日、一同は聖霊に満たされ(プレソー)、御霊が語らせるまま他国の言葉で、神の大いなるみわざを語り出した(C')。このように、旧約の祭りは、新約へと対応しており、主の約束とご計画が成就し、最終的には、黙示録にある終末へ、そして永遠へと対応する。
旧約のシャブオットの時、神がシナイ山に降りて来られ、神の御言葉(トーラー)がイスラエル民族に与えられるという、歴史をひっくり返す重大イベントだったが、新約における同じ日・ペンテコステは、聖霊なる神がキリストを信じる私達に降りて来て、私達に宿って下さるという、さらに歴史をひっくり返す重大イベントだ。
この重大イベントに立ち会う事が出来たのは、主が約束された言葉を信じ、祈りつつ待ち望んだ人である。
ダビデは、天から降った御言葉が宿る契約の箱が、自分の町に入った日、大いに喜び踊ったが、私達は、人を爆発的に造り変え、力強き働き人として下さる永遠なる神の霊が、私達に入居し、内住して下さる事を、喜び期待しつつ祈り求めるべきだ。「ある人たちがいつもしているように、集会をやめることはしないで互に励まし、かの日が近づいているのを見て、ますます、そうしようではないか。」(ヘブル10:25)
かの日、主にある兄弟姉妹達が、約束を信じ、共に集まり、心を合わせ祈り求めていたように、私達は主の「祭り」である礼拝に、共に集い、共に祈り求め、共に聖霊の充満を体験する皆さんでありますように!