メッセージ - 保証となって下さるお方が無いゆえに絶望するヨブと、そのお方がおられる故に希望がある私達(ヨブ記17章)
保証となって下さるお方が無いゆえに絶望するヨブと、そのお方がおられる故に希望がある私達(ヨブ記17章)
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- 礼拝メッセージ説教音声配信 » 講解説教(旧約) » ヨブ記
- 執筆 :
- pastor 2018-5-23 9:27
保証となって下さるお方が無いゆえに絶望するヨブと、そのお方がおられる故に希望がある私達(ヨブ記17章)
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メッセージ音声
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ヨブは引き続き、神からも友人達からも見捨てられた心情を吐露する。
17:1 わが霊は破れ、わが日は尽き、/墓はわたしを待っている。
17:2 まことにあざける者どもはわたしのまわりにあり、/わが目は常に彼らの侮りを見る。
17:3 どうか、あなた自ら保証となられるように。ほかにだれがわたしのために/保証となってくれる者があろうか。
この3節の「保証となられるように」は、原文は「保証する」の命令形であり、直訳は「どうか置いて下さい。私を保証して下さい。あなたと共に」となる。
ヨブははっきりと、神に、自分の保証を求めている。
しかしその声は虚しく響き、ヨブの身を担保して下さる方が誰もいないので、ヨブの心は再び闇の中へ落ち込んで行く。
いかにヨブのような義人であったとしても、神と人との間に立って弁護し、執り成してくれるお方がいないなら、ただ絶望の闇に落ち込んで行く以外に無いのだ。
17:6 彼はわたしを民の笑い草とされた。わたしは顔につばきされる者となる。
17:7 わが目は憂いによってかすみ、/わがからだはすべて影のようだ。
17:8 正しい者はこれに驚き、/罪なき者は神を信ぜぬ者に対して憤る。
17:9 それでもなお正しい者はその道を堅く保ち、/潔い手をもつ者はますます力を得る。
ここのヨブの叫びを見ると、あたかもイエス様が十字架の受難の中で叫んでいるかのような内容だ。
そう、イエス様は私達人間の代わりに、つばきかけられ、その目は憂いによってかすみ、そのからだは影のようになり、弁護される事なく、容赦なく十字架上で裁かれたのだ。
本来、私達こそ罪人であり、どんなに義人ぶったとしても、罪がある。
元々は、ヨブが絶望したように「神に捨てられた」「保証となってくれる人がいない」と言って絶望しなくてはならない者である。
しかし、イエス様が身代わりになって、十字架上で神に捨てられ、「父よ、どうしてわたしをお見捨てになられたのですか」と叫ばれた。
だから私達は、ヨブのように絶望する必要は無い。
イエス様が、私達の身代わりとなって捨てられて、死んで下さり、陰府へと下り、そしてよみがえり、今や、栄光の父の右に立って、私達の事を執り成しておられるのだから。
1ヨハネ2:1 わたしの子たちよ。これらのことを書きおくるのは、あなたがたが罪を犯さないようになるためである。もし、罪を犯す者があれば、父のみもとには、わたしたちのために「助け主(パラクレートス:弁護者)」、すなわち、義なるイエス・キリストがおられる。
2:2 彼は、わたしたちの罪のための、「あがないの供え物(ヒラステリオン:贖罪蓋)」である。ただ、わたしたちの罪のためばかりではなく、全世界の罪のためである。
「贖罪蓋」とは、契約の箱を覆う蓋であり、それが無いなら、契約の箱は外界へ開かれっぱなしであり、そうすると、罪有る人間は、神の「聖」に打たれて死んでしまう以外に無い。(1サムエル記6:19)
今や、イエス様が贖罪蓋となり、私達の罪を覆い、神と人との間の仲保者となって下さったゆえに、私達はイエス様ゆえに、自分の罪に打たれる事がないのだ。
ヨブには、それが無いという事で、絶望するしかなかった。
さらに私達を弁護して下さるパラクレートスが、ほかにおられる。
ヨハネ14:16 わたしは父にお願いしよう。そうすれば、父は別に助け主を送って、いつまでもあなたがたと共におらせて下さるであろう。
14:17 それは真理の御霊である。この世はそれを見ようともせず、知ろうともしないので、それを受けることができない。あなたがたはそれを知っている。なぜなら、それはあなたがたと共におり、またあなたがたのうちにいるからである。
イエス様が復活後、御父のところに上り、そこからペンテコステの日に送って下さった助け主、聖霊が、私達に留まり、それも、いつでも私達のうちにいて下さる。
ヨハネ14:18 わたしはあなたがたを捨てて孤児とはしない。あなたがたのところに帰って来る。
14:19 もうしばらくしたら、世はもはやわたしを見なくなるだろう。しかし、あなたがたはわたしを見る。わたしが生きるので、あなたがたも生きるからである。
14:20 その日には、わたしはわたしの父におり、あなたがたはわたしにおり、また、わたしがあなたがたにおることが、わかるであろう。
聖霊は私達と共におられ、そしてイエス様を証し、御父を証しして下さる。
だから、聖霊を否定する者は、御子も、御父をも否定する者であり、それは決して赦されないのだ。
こうして聖霊は、私達の弁護者となり、助け主となり、御子キリストを証するお方、御父を証するお方、である。
聖霊は私達が御国を受け継ぐ保証であられ、いつまでも共におられ、私達を生かし、導いて下さるお方である。
このように、私達はヨブのように、自分を保証して下さるお方がいないと言って絶望する必要が、全くなくなった。私達を保証して下さるお方、すなわち、私達の身を担保するために、身代わりになって十字架につけられ復活された主イエス様がおられ、そして、私達を弁護する助け主・聖霊がおられるからである。
この助けが得られている私達キリスト者は、どれほど素晴らしい中を、生かされていることだろう。