メッセージ - いつまでも残る愛された思い出(1コリント13:8-13)
いつまでも残る愛された思い出(1コリント13:8-13)
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週報/メッセージ(説教)概要
前回は、聖霊の賜物の中で最もすぐれた「愛」について学ばされた。今回も、「愛」について学びたい。
もし私達が昔の事を思い返し、小学、中学、高校時代と、それぞれの時期の思い出をたどる時、心が暖まる時期とは、誰かが一緒にいてくれて、関わってくれていた時期、愛されていた時期ではないだろうか。
愛とは「関係」であり、そして「時」に制約されたものである。もし親や、友人との関係を断って、ゲームやインターネットなどで一人自己完結して時を過ごすなら、その年月はなんと暗く冷たい時期だっただろうと、後で悔やむものだ。しかし「あの人があの時愛してくれていた」「関係を持ってくれた」という思い出は、たとえその時期が、病や貧困でしんどかったとしても、闇の中に暖かく灯るともし火のようなものではなかろうか。
誰かから「愛された」という記憶は強烈に自分の中に残るが、自分から誰かを愛した、という記憶は、あまり残らない(マタイ25:31-46)。それは、愛は「与えるもの」で、本人に意識が無いからだ。しかし、人の「あの時は誰々から愛された」という思い出は、時が経てば経つ程、感謝と喜びに美しく輝いて行くものである。
『このように、いつまでも存続するものは、信仰と希望と愛と、この三つである。このうちで最も大いなるものは、愛である。』(1コリント13:13) この地上で生きた信仰の思い出、希望の思い出、愛の思い出は、地上のみならず、天においても、いつまでも残るものであり、永遠に感謝が絶えない。しかし最も価値ある愛の関わりは、究極の愛なるお方、永遠の救いをもたらして下さるイエス様へと導く事だ。
およそ二千年前、ベツレヘムにて、究極の愛は、見える形になってこの地に降りて来た。それも、赤ちゃんとなって。神の御子イエス様は、私達に愛を示すために人として降りて来られ、ご自身のからだを犠牲として捧げられた。パウロはその愛に触れられた故に、迫害を恐れず、時を惜しんで、このキリストを伝道した。
人生の中、親から当然受けるべき愛を受けて来なかった、と、不全感に陥っている人もいるかもしれない。しかしたとえ愛を受けるべき人から捨てられていたとしても、その間、いのちを投げ出す程の完全な、無償の愛で、愛され続けていたのだ。この御方・イエス様から。死をいのちで飲み込んで下さるイエス様の愛を知る時、真っ暗な過去の思い出は、オセロゲームのように全て白く塗りつぶされて行くのだ。
過去は、変えられない。しかし、過去も現在も未来も決して変わらぬ愛でずっと私達を愛しておられたイエス様が、その間もずっと愛しておられた事を知る時、思い出の色は、暗色から明るい色へと変わって行く。
イエス様から愛されていた、あるいは誰かから愛されていた、という思い出は、いつまでも残る。天国では世の知識はすたれ、預言も止む。なぜなら、世において知る事は一部分であり、預言するところも一部分に過ぎないからであり、天において全てが完成した時、部分的なものは廃れるからだ(1コリント13:8-10)。
愛の人になるにはどうすれば良いか。まずは私達の側が、愛を追い求めるべきである。「愛を追い求め(追求し)なさい」(1コリント14:1)と書いてあるからだ。そして、愛には犠牲がつきものであるが、その犠牲を面倒くさいと思ってはならない。愛の犠牲や、愛ゆえの苦しみは、この地上にいる間にしかできないからだ。
天国には、もはや労苦も寿命も無く、そして、イエス様を伝える事もまた、地上でしかできないし、天国という所は、地上でイエス様を伝えられ、イエス様を信じ、イエス様を愛する人しか存在しないからだ。
だから、キリストにある愛の労苦は、人の心に永遠に記録される思い出づくりであり、今しか出来ない尊い事であり、しかも、愛のわざを「しなかった事」は、死んだ後、永遠に後悔し続けるのだ。(ルカ16:19-31)
天国は、愛がいっぱい詰まった場所である。それ故、イエス様との愛の思い出が無い人は、天国に居場所が無く、主の御心を行わなかった人は、主から「あなたを全然知らない」と言われてしまう。
今、目の前に妻が、夫が、子供が、親が、友人がいる事は、永遠の視点で見るなら、とても尊い事であり、永遠に残る愛のわざを成すチャンスである。日々、世の中に出て家族のために働き、子供を食べさせ育む事は、とても尊い事である。愛のわざは時間に制限され、その人はやがて目の前からいなくなってしまう時が来るからだ。そして何より、イエス様を伝え、御言葉を伝授して行く事は、永遠に栄誉ある事である。
妻に、夫に、子供に、親に、友人に、あるいはまだ見ぬ人々に、「あなたが一緒にいてくれた」「あなたが愛してくれていた」「だからあんな時期でも、心は暖かかった」という思い出を作ってあげて、天において永遠に朽ちることの無い冠を、今日も備える皆さんでありますように!イエス様の名前によって祝福します!