メッセージ - 「災い」を積み立て貯金する方法 - 「わたしは悪くない」と主張する事(ヨブ記34:16-37)
「災い」を積み立て貯金する方法 - 「わたしは悪くない」と主張する事(ヨブ記34:16-37)
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- 礼拝メッセージ説教音声配信 » 講解説教(旧約) » ヨブ記
- 執筆 :
- pastor 2018-7-6 17:15
「災い」を積み立て貯金する方法 - 「わたしは悪くない」と主張する事(ヨブ記34:16-37)
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メッセージ音声
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エリフは、神は完全で過ち無く統治されるお方である事を示した。
以下続く節で、ヨブの、「私は正しい、神が不当だ」と言った事の過ちを示して行く。
34:16 もし、あなたに悟りがあるならば、これを聞け、/わたしの言うところに耳を傾けよ。
34:17 公義を憎む者は世を治めることができようか。正しく力ある者を、あなたは非難するであろうか。
ヨブは神を不当だと非難するが、万一にも神が「公義を憎む者」であったとするなら、とうの昔に宇宙も銀河系も太陽系も崩れていたはずであり、今もなお宇宙が秩序を保っているからには、神は公義を行う方であるからに他ならないと先に言った。
34:18 王たる者に向かって『よこしまな者』と言い、/つかさたる者に向かって、『悪しき者』と/言うことができるであろうか。
34:19 神は君たる者をもかたより見られることなく、/富める者を貧しき者にまさって/顧みられることはない。彼らは皆み手のわざだからである。
神はいつも、見ておられる。
王や、つかさたる者に、人は陰口は叩くことはできたとしても、その王やつかさに面と向かって「よこしまな者」「悪しき者」と言う事は、めったには出来ない。
それならなおさら、常に私達を御目で見て、御聞いて、知っておられ神に向かって悪口を言うとするなら、それは、よほど身の程をわきまえない事だ。
ヨブはそのような事をしたのだ。
34:20 彼らはまたたく間に死に、/民は夜の間に振われて、消えうせ、/力ある者も人手によらずに除かれる。
34:21 神の目が人の道の上にあって、/そのすべての歩みを見られるからだ。
34:22 悪を行う者には身を隠すべき暗やみもなく、/暗黒もない。
34:23 人がさばきのために神の前に出るとき、/神は人のために時を定めておかれない。
34:24 彼は力ある者をも調べることなく打ち滅ぼし、/他の人々を立てて、これに替えられる。
神は、人の営みを全て見ておられ、そして、人のそれぞれのいのちを計っておられる。
悪を行う者もまた、いかに闇の中に身を隠そうとも、また、心の中で密かに謀ろうとも、全て見ておられ、それぞれに応じたさばきを定められる。
警察はどこにでもいるわけではなく、全部を見聞きしているわけではないため、「取り調べ」という事をしなくてはならないが、神には全くその必要は無いのだ。
34:25 このように、神は彼らのわざを知り、/夜の間に彼らをくつがえされるので、/彼らはやがて滅びる。
悪を行う者のわざを、神は、何も「夜」という時間帯にしか覆さない、というわけではない。
夜は、人が寝る時間帯であり、また、闇夜は人が目で見えない時である。
そのような、人が計り知る事が出来ない思いがけない時に、神はそれを行う、という意味だろう。
34:28 こうして彼らは貧しき者の叫びを/彼のもとにいたらせ、/悩める者の叫びを彼に聞かせる。
34:29 彼が黙っておられるとき、/だれが非難することができようか。彼が顔を隠されるとき、/だれが彼を見ることができようか。一国の上にも、一人の上にも同様だ。
34:30 これは神を信じない者が世を治めることがなく、/民をわなにかける事のないようにするためである。
神は、人の営みを人類史が始まって以来ずっと秩序をもって保っておられる。
もし、上に立つ権力者が、絶対的な権力を奮って民草を虐げるなら、天災が起こったり、その者が不慮の死によって取り去られる。
そのような「前は必ず勝ち、悪は必ず滅びる」といった法則性を人はなんとなく知っているからこそ、神を知らない人でも、なんとなく、全ての人を超えた「天」という人格ある存在を意識している。
それは、神が、弱く貧しい人達がいつまでも虐げられ続ける事がないように、また人の悪が増大して人間みずから自滅してしまう事が無いように、神はいつも歴史に介入し、人類全滅の危機から、いつも人類を守ってきたのだ。
こんな邪悪さを備えた人間が、何千年も自滅せず生きながらえている。それこそ、憐れみ深い神が存在するという事の証明ではなかろうか。
そういうわけでエリフは、続く節で、自分が犯した罪を認め、神に告白するようヨブに促す。
34:31 だれが神に向かって言ったか、/『わたしは罪を犯さないのに、懲らしめられた。
34:32 わたしの見ないものをわたしに教えられたい。もしわたしが悪い事をしたなら、/重ねてこれをしない』と。
口語訳で34節は「わたしは罪を犯さないのに、懲らしめられた。」と訳されているが、しかし他の多数の訳(新改訳、新共同訳、NKJVなど)は、「わたしは罰を受けました。もう悪いことはいたしません。」というように訳される。(新共同訳)
つまりエリフは、こういう風に悔い改めの告白をしなさい、と勧めているのだ。
34:33 あなたが拒むゆえに、/彼はあなたの好むように報いをされるであろうか。あなたみずから選ぶがよい、わたしはしない。あなたの知るところを言いなさい。
エリフは促す。
あなたは、悔い改めの言葉を発するのか、それとも、相変わらず全能者を不当だと訴え続けるのか、どちらかあなたが選びなさい、それはわたしの分ではないですよ、と。
34:34 悟りある人々はわたしに言うだろう、/わたしに聞くところの知恵ある人は言うだろう、
ここは新共同訳では「理解ある人はわたしに言うだろう。知恵ある人はわたしに同意するだろう。」と訳されている。こちらのほうがわかりやすいだろう。
34:35 『ヨブの言うところは知識がなく、/その言葉は悟りがない』と。
34:36 どうかヨブが終りまで試みられるように、/彼は悪人のように答えるからである。
34:37 彼は自分の罪に、とがを加え、/われわれの中にあって手をうち、/神に逆らって、その言葉をしげくする」。
ヨブは自分が罪がないと頑として主張し、語気を強めて、主張に主張を重ね、3人の友人たちさえ黙らせたが、しかしエリフは指摘する。
そうやって、「自分は悪くない」と、主張すればする程、実は神の前に、自分の「悪人」である事を積み立てているのだ、と。
私達も同じである。
妻が悪い、夫が悪い、親が、育ってきた環境が、社会が悪い、自分は悪くない。
そう主張すればするほど、実は自分の品性を損ね、貶め、自分で自分をさらに癒やし難くしているのだ。
人類最初の夫婦が、まさにそうだったではないか。
エリフは7-8節で
34:7 だれかヨブのような人があろう。彼はあざけりを水のように飲み、
34:8 悪をなす者どもと交わり、悪人と共に歩む。
と言った。
ヨブとすれば、自分は、あざけりを水のように飲むなどとんでもない、悪をなす者どもと交わったり、悪人と共に歩んだ事などない、と主張する所であろう。
しかし、実は、ヨブが自分を正しいとすればする程、彼は、悪をなす者共の交わりへとどんどん入り込んで行っていたのだ。
彼が自分は悪くない、と主張すればするほど、悪人と共なる歩みを進んでおり、全能なるお方を「不当だ」と叫べば叫ぶ程、彼は、全能者へのあざけりを飲み干していた。
その点、エリフの指摘は、ただ因果応報を繰り返すだけの3人の友人たちより、はるかに進んでいると言える。
結局ヨブは、イエス様が話されたパリサイ人と取税人のたとえの中の、パリサイ人を演じていたのだ。(ルカ18:10-14)
主は言われた。
ルカ18:14 あなたがたに言うが、この人が、義と認められて家に帰りました。パリサイ人ではありません。なぜなら、だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるからです。」
結局、自分を高くし、自分を正しいとし、神を正しくない、とする者を、神は裁かれる。
神が義と認めて下さるのは、自分を罪ある者として悔い改め、自分を低くする者である。
ヤコブ4:6 しかし神は、いや増しに恵みを賜う。であるから、「神は高ぶる者をしりぞけ、へりくだる者に恵みを賜う」とある。
4:7 そういうわけだから、神に従いなさい。そして、悪魔に立ちむかいなさい。そうすれば、彼はあなたがたから逃げ去るであろう。
4:8 神に近づきなさい。そうすれば、神はあなたがたに近づいて下さるであろう。罪人どもよ、手をきよめよ。二心の者どもよ、心を清くせよ。
4:9 苦しめ、悲しめ、泣け。あなたがたの笑いを悲しみに、喜びを憂いに変えよ。
4:10 主のみまえにへりくだれ。そうすれば、主は、あなたがたを高くして下さるであろう。
ヨブは最後、自分を誤ちある者とし、低くへりくだって、灰の中に伏した。
神がヨブを高めて下さるのは、その後である。